江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 大晦日の軌跡

2021年11月28日 | 江利チエミ(続編)

昭和28年 第四回大会

ガイイズアガイ

29年

ウスクダラ

30年

裏町のお転婆娘

31年

お転婆キキ

32年

ヤムミーヤムミー

33年

さのさ

昭和33年/新宿コマ 紅組司会/黒柳徹子さんによる紅白歌合戦でそれまでずっと「カバー曲」で出場していた江利チエミさんはこの年「大ヒット」させた「さのさ」を披露しました。

黒柳:日本一の民謡歌手の登場です! 曲目はアレです...
  (のぼり...というかおそらく会場はじに垂れ幕が下りて、そこに「ご存知!さのさ節」と書かれていた...という記述があります) 

顔を袖で隠し、日本髪の女性が登場...
   顔を見せる... 会場がわ---っと沸く!

NHKアナウンサー:江利チエミさんです...   という登場だったそうです。

そしてそのときのチエミさんの応援が翌年挙式をあげられる高倉健さん... だったわけです。

34年

八木節

35年

ソーラン節

36年

スワニー

37年

虹の彼方に

38年

踊りあかそう

39年

木曾節

40年

芸者音頭

41年

私だけのあなた

42年

ひとり泣く夜のワルツ

43年

八木節

◇ 私だけのあなた - 江利チエミファンのひとりごと

江利チエミさんは昭和28年第四回から昭和43年まで紅白に連続出場をしています。
この最後の出場の時、会場を離れて北島三郎さんと「神田藪そば」さんから中継で大晦日の様子をロケで伝えるといった活躍もされましたが、前年より痛めた喉を手術したことなどがあって翌年44年の20回大会)を落選します。

>第20回 
人形の家」でヒットをとばした弘田三枝子が二年ぶり、2回目のカムバックを果たす。又、昨年まで16回連続出場中(当時の紅白最多記録)で、この年の人気投票でも上位3名の中に入っていたのにも関わらず江利チエミが落選となり、波紋を呼んだ。

>第21回
当初、江利チエミの2年ぶりの復帰出場が決まっていたが、ヒット曲が無い事や諸々の理由で自ら辞退する(その後、江利は紅白に復帰すること無く1982年に急逝)。代わって日吉ミミが初出場を決めた。森山加代子は8年ぶりの紅白出場で話題になった。
越路吹雪も出場者発表前に辞退を表明しており、以後、1980年に逝去するまで一度も紅白に復帰することはなかった・・・

昭和38年と39年には歌手だけでなく紅組キャプテンも務めます。
そのときの話...
>十二月十日、NHKから江利チエミのところへ使者が立った。「紅白歌合戦」のことだと聞いたので、チエミは、てっきり、「曲目を、もっと知られているジャズか民謡にして欲しいとでもいわれるのかしら」と、思い込んで待った。

 当日の曲目として、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の主題歌「一晩じゅう踊れたら」を希望していたからだ。
 ところが、使いの人は彼女に向って、
 「ひとつ司会のほうも、、、、、」と切りだした。チエミが、あの利発そうな目をいっそう大きく見開いておどろいたことは、想像に難くない。

 それにしても、十二月十日といえば、NHKが「紅白歌合戦」出場メンバーの発表を予定していた日にあたる。その十日になって、チエミをくどきにかかったというのは、女性軍ホステスの人選に、よほど頭を悩ませたあげくのことと思われる。

 初め、NHKの心づもりでは、紅白の司会者は、去年に引きつづいて森光子の起用を予定していた。けれども、彼女は、東宝芸術座正月公演「越前竹人形」に主演するため、大みそかの夜は、その舞台げいことかち合って、東宝・菊田専務からOKが出ない。水の江滝子、横山道代の名前が浮んだが、いずれも“帯に短し、タスキに長し”で、すぐ消えた。困りに困り抜いて、チエミとのひざづめ談判となったわけだ。

 江利チエミは、人気といい実力といい、紅組のエース格である。ことしで、この番組に連続出演すること十一回。連続出演記録でも、ペギー葉山の十回、越路吹雪、芦野宏、春日八郎、三浦洸一、三橋美智也らの八回をおさえてトップに立っている。
 見事なキャリアというほかない。

 しかしあくまで、チエミはバリバリの現役歌手である。その彼女を女性軍司会者に引っぱり出したのは、プロ野球にたとえれば、国鉄スワローズの金田投手に監督を兼ねさせる、といったところか。

 チエミは、十二日朝、最終的にOKの返事を出すまで、二日二晩、さんざん考えあぐねた。もしチエミにふられたら、もう打つ手がないNHKが、いくぶんムリヤリにくどいたふしもあるが、日ごろ、なにごとにつけても慎重な彼女である。引きうけた以上、勝算あってのことにちがいない。

 「紅白歌合戦」の司会ともなると、すいも甘いもかみわけたはずの森光子でさえ、かたくなりがちであった。チエミをくどいたNHKも、きまってから彼女にアドバイスする人も、みんな判で押したように、
 「気楽に、いつものキミのペースでやればいいんだよ」といったらしい。

 あまり、そういわれると、かえって意識しがちになるものだが、「咲子さんちょっと」(TBSテレビ)で、彼女が見せる茶目っ気や屈託なさが、こんども発揮されれば、まず成功の見込み十分、と太鼓判を押しておく。と同時に、プレーイング・マネジャーである以上、歌手としての自分の経験からわり出して、紅組を引きたてたり、白組を軽くいなしたりして欲しいものだ。

 思えば、昭和三十八年は、江利チエミにとって印象深い年となった。「マイ・フェア・レディ」のヒット、百十八回続いた「咲子さんちょっと」の無事打上げ、そして「紅白歌合戦」の司会等々、、、、、、である。正月の「マイ・フェア・レディ」再演のあと、さて来年は、どんな仕事ぶりを見せることか。
 「来年は、もっともっと、じっくりプランをねって、お仕事しなくては、、、、」
という彼女は、いそがしい芸能界にはめずらしく、マイ・ペースで一歩一歩進むスターである。

(週刊朝日1963年12月27日号)


 

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