江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 宝とも子さんのこと

2005年12月27日 | 続・江利チエミ(初期記事・後編)

宝とも子さんは2001年8月2日に亡くなられました。

本名、追風八代子。 1921年(大正10年)広島県に生まれ。

>34年の13歳の時に宝塚少女歌劇団に入団して活躍。
45年に宝塚を退団してからは、NHKラジオ大阪の歌謡歌手として出演。人気が出てきてからは、関西を中心に活躍を続け、54年2月には待望のファースト・レコーディング「白樺の雨~星屑のタンゴ」が日本ビクターより発売された。これが東京進出のきっかけとなり同年4月には第2弾「セ・シ・ボン」を発表、大ヒットとなるが「歌い方がセクシーすぎる」と発禁処分になり、一躍その名は全国区となった。
この時代はジャズ歌手と呼ばれて、江利チエミやペギー葉山、藤沢嵐子らに続く人気を得ていた。
58年、大好きだったラテンを本格的に学ぶために単身ブラジルへ渡り、修行の間チリやメキシコなど中南米7カ国でTVやステージに出演。およそ6カ月間滞在した後帰国してからは、ラテン歌手として晩年まで活躍した。
65年には「日本ラテン音楽協会」(現在のアムラン)を設立、代表として後進の指導に努めてきた。 88年には、歌手生活50周年のリサイタルを開き、また99年には、彼女の54年から64年までの録音を集めたアルバム『スペシャル・コレクション of トモコ・タカラ』(VICG-60226)が、ビクターエンタテインメントより発表された。

              

セ・シ・ボン~“ラテンの歌姫”至上のアンソロジー
/宝ともこ
VICG-60226/1999.10.21発売/¥2,400(税抜)

1954年のデビュー曲「白樺の雨」から、数々の名楽団を従えたラテン・スタンダードの名唱までを、その歌声の成長とともにたどるヒストリー!一躍その名を有名にした「セ・シ・ボン」(セクシー度がすぎてユ54年当時発禁)、1958年幻のブラジル録音全4曲、そして近年の代表曲「海へ行く列車」のライブなど、貴重な音源をすべて網羅した究極のベスト・アルバム

※日本のラテンを牽引した大御所歌手です。
チエミさんとは『ジャズコンサート』で、数々の共演をされています。

♪昼も--- 夜も私に--- 
  生きる--- 喜びを くれた---- 懐かしい 私の恋人----よ
ラララララ ラララララン ラララララララララララ---- (オレ!!)
  マラゲ---ニア  黒い そ---の瞳よ-----
    マラゲーニア 私を捨てないで マラゲーニア 堅く抱いて----
                           @マラゲーニア(宝とも子盤)
宝さんの歌う日本語歌詞は、なかなか「なまめかしい」ものでありました。
宝さんは「ゴージャスなナイトクラブのイメージのある素敵なお姐さん」...という印象でありました。
藤沢嵐子さん(ランコ・フジサワ)とともにラテンボーカルを日本に浸透させた大きな役割を果たした大歌手でした。


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