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つばさ

平和な日々が楽しい

思い悩む人たちに居場所とつながりを作る。

2013年12月16日 | Weblog
春秋
12/16

 「高齢者の万引き犯が増加中」。本紙社会面に、そんな小さなコラムが載ったのは20年前のことだ。取り調べを受けた万引き犯の1割以上を高齢者が占めた。たいていは罪の意識がなく、親のような年長者に「盗むのはいけない」と説く警官の困惑を記事は伝えている。

▼直近の統計では高齢者が万引き犯に占める比率は3割を超えた。人口全体の高齢化を上回る増え方だという。4年前になるが、警視庁が取り調べ担当者を通じて万引き犯1000人余りを調査した結果がある。たとえば未成年の万引き犯には所持金がなく、遊びを楽しむ感覚で、仲間の誘いを断れず犯行に及んだ例が多い。

▼高齢者の答えは対照的だ。お金はある。しかし生きがいがない。家族も友人も周りにおらず孤独に悩む。誰かにかまってほしくてつい、という場合も目立つ。昔なら買い物ついでに会話があった。「店先から会話が消えたことも、お年寄りの孤立感を深めたのでは」。作家の藤原智美さんは、本紙の取材にそう語っている。

▼万引きは犯罪であり店には痛手となる。犯罪者をかばうのではない。とはいえ、街の居心地を良くし、罪を犯す人も減るよう、もっと工夫が生まれていい気もする。クリスマスに年末年始と、にぎわいが独り生きる人の心を乱す季節が来た。思い悩む人たちに居場所とつながりを作る。そうした発想もビジネスの芽になる。

役どころを主役から敵役にかえての「劇場」最終幕

2013年11月30日 | Weblog
春秋
11/30付

 「例のごとく、だれも問題の解明など期待していないイタリア式の議論で、夜は更けていった」。須賀敦子の「ミラノ 霧の風景」の一節である。それもまたこの国の魅力にはなるのだが、今度ばかりは政治の舞台で主役を張り続けたこの人に引導が渡されたようだ。

▼脱税で有罪が確定していたベルルスコーニ元首相(上院議員)を上院が追放した。今後6年は選挙に出られない。1994年から三度、のべ9年あまり首相を務めた大富豪ももう77歳、復活の道は険しい。艶聞に放言、さらに事件でも20年にわたり世を騒がせてきた「ベルルスコーニ劇場」いよいよ終演近し、を思わせる。

▼実業界から殴り込みをかけ、旧態依然とした政治に対する人々の不満をかぎ分けた嗅覚は認めねばならない。戦後のイタリアでもっとも成功した人物というのも誇張でないかもしれぬ。が、20年間にイタリアでなにがあったのか、といえば、類いまれな男が保身を図っていたという記憶以外に答えはなかなか見つからない。

▼議会を追放されても、本人は外から政党「フォルツァ(がんばれ)・イタリア」を率いてもう一花咲かそうともくろんでいる。一方、反ベルルスコーニ派は彼が表舞台から姿を消すと批判の矛先を失ってしまうというから複雑だ。役どころを主役から敵役にかえての「劇場」最終幕、まさか延々続きはしないと思うが……。

安い輸入品と競うのでなく、よいものを高く売る

2013年11月28日 | Weblog
春秋
11/27付

 「ハーゲンダッツ」という名前は北欧風の響きだが、実は米国の会社である。お値段は普通のアイスクリームよりかなり高いけれど、おいしいから人気がある。仕事で何か良いことがあった日など、勤め帰りに「自分へのご褒美」と称して求める人も多いのではないか。

▼その味の秘密は原料の牛乳にある。群馬の工場にほぼ一手に供給しているのが、北海道の浜中町農業協同組合だ。組合長の石橋栄紀さんは「道東の暴走老人」を自称する地元の名物男。農協の全国組織や乳業メーカーの言うなりにならず、自分たちの手で牛の品種や飼料を徹底的に改良して最高品質の牛乳をつくり上げた。

▼餅は餅屋というべきか。「ハマナカ」の名は日本国内より乳業大国ニュージーランドでよく知られている。来日したグローサー貿易相は、東京での政官界の要人との面会もそこそこに道東に飛び、石橋さんと膝を詰めて「戦略会議」を開いた。乳製品の対日輸出だけでなく、日本の農家との共同事業を考えているのだろう。

▼所得が伸び食生活が豊かになると、仕上げにデザートが食べたくなる。中国や東南アジアで高級アイスの需要が伸びれば、浜中町の商機が海外に広がるのは間違いない。「安い輸入品と競うのでなく、よいものを高く売る」。組合員わずか220人。TPPをめぐる「聖域論」をよそに、世界を視野にひた走る農協もある。

700キロというのは提灯としては破格の重量であろう。

2013年11月20日 | Weblog
春秋
11/20付

 おばあさんの皺(しわ)のよりかたにもいろいろあるらしい。縦の皺なら唐傘。縦横なら縮緬(ちりめん)。そしてもっぱら横だと提灯(ちょうちん)ばあさんと言うんだという。昭和の名人古今亭志ん生なら「そんなこたあ学校で教えてくれませんな」とやりそうだが、最近聞いた落語のなかの話である。

▼金を無心にきたと勘違いされた若い衆が「金貸してくれの提灯のってわけじゃねえ」と啖呵(たんか)を切るのも落語で耳にした。こうなるともうなぜ提灯なのかも判然としない。ともかくも、提灯が暮らしの身近にあった名残である。いま、飲み屋の赤提灯と並んで気を吐くのが、東京・浅草寺雷門の大提灯ということになろうか。

▼一昨日お披露目されたのが6代目。高さ3.9メートル、直径3.3メートルの巨体をつくったのは京都の老舗、京都・丹波の竹や福井県の和紙を材料にした工芸品でもある。「提灯に釣り鐘」といえば、重さが違いすぎることから縁談などが釣り合わないときに使うたとえだが、700キロというのは提灯としては破格の重量であろう。

▼病気快癒のお礼に松下幸之助が寄進したことに始まるというこの大提灯、今回もパナソニックが奉納した。ただ、はめ込まれた銘板にはこれまで通り旧社名の「松下電器」とある。どちらでもいいようでも、「松下」のほうが由来が分かるし、和風だし宣伝臭さがない。提灯を持ちたくはないが、持たなくてもそう分かる。


地域独占」に守られた経営の改革は容易ではあるまいが

2013年11月17日 | Weblog

 明治の半ばすぎの東京で、ガスを燃料にした路面鉄道を走らせる計画があった。内燃機関で生みだした動力を、チェーンで車輪に伝えて回すというものだった。現在の東京ガスで「瓦斯(がす)鉄道会社」の設立準備が進められ、市街のどこに線路を敷くかも描いていたという。

▼ガス鉄道には長所がいくつかあった。馬車鉄道のように、馬の糞(ふん)で街が汚れる心配がない。登場したばかりの路面電車と比べても電気を送る架線がいらないため、その分コストが安い。残念ながらガスを食い過ぎることがわかって計画はお蔵入りになったが、そのころの企業家の旺盛なチャレンジ精神を示すエピソードだ。

▼横浜でガス灯がともり、日本でガスが普及し始めたのは1872年(明治5年)。夜道が歩きやすくなり、人々は活動的になった。劇場や商店の中もあかりで照らされ、夜も買い物や芝居を楽しむ人が増えた。ガス灯が電灯に取って代わられた後は調理や給湯へと、いろいろな場面に使い道を広げてきたのがガスの歴史だ。

▼ガスの小売りに異業種の企業などが参入できるようにして、競争を活発にしようという制度改革の議論が始まった。ガス会社に求められるのは暮らしや世の中を便利にする新しい商品やサービスを創りだす力だ。「地域独占」に守られた経営の改革は容易ではあるまいが、明治の草創期の企業家精神を思い起こしてほしい。

1つの正解を探しすぎ、訴える力が弱い

2013年11月16日 | Weblog
春秋
11/16付

 試験用紙が配られる。ざっと全体に目を通し、瞬時に簡単そうな問題と難しそうな問題を区別する。時間は限られているから、確実に解ける設問から手をつけて難問は後回しにする。日本の学生にとって、これが答案用紙を書く手順の王道だろう。だがインドでは違う。

▼デリーで学ぶ日本人留学生から、人の能力を測る尺度の違いを聞いた。高等教育のテストは徹底した記述式である。大事な期末試験で1問目から順に回答を書いていったが、第2問で難航しそうなので、飛ばして3番、4番に注力したそうだ。全体の出来は上々だったが、教授に呼び出されて、こっぴどく叱られたという。

▼たとえ一問でも、一文字も書かず空白で出すとは何事か。「○○を論ぜよ」と求められたからには、とにかく何でもいいから書きまくる。設問に関連する知識が足りなければ、詩でも日記でも自己紹介でもいい。正確さよりも表現の量を重んじるのがインド式だ。白い答案を見て教授は「思考力が薄弱」と判断したらしい。

▼なるほど、と思い当たる。インド人といえば国際会議や学会で延々と持論を語り、司会泣かせで知られる。数字のゼロを発見した創造的民族にとって、多く語るのは良い事なのだろう。さて、グローバル人材の育成が課題という日本人はどうか……。「1つの正解を探しすぎ、訴える力が弱い」。インド人学者の評である。

十年後百年後も優しく語りかけてくるような建物だろうか?

2013年11月04日 | Weblog
春秋
11/4付

 ふらり門をくぐると、夕日のなか、市民ランナーがトラックに長い影を落としていた。いつ来ても走れるなら運動着と靴を持ってきたのに、と後悔する。夏に訪れたスウェーデン・ストックホルムの陸上競技場は、日本が初めて参加した101年前の五輪の舞台である。

▼もちろん改修は重ねてきた。しかし、れんが造りの外壁や木のベンチを並べただけの背の低い観客席が古風だ。壁には、1912年以降ここで生まれた世界記録を刻んだ金の銘板が飾ってある。だから紛れもなくトップアスリートが競う場なのだが、一方で、さりげないたたずまいは周囲の景色に見事に溶けこんでもいた。

▼さて、7年後の東京五輪で主会場になる新国立競技場である。完成予想図は巨大な自転車競技用ヘルメットのようにみえる。1300億円と見込んだ建設費は3千億円まで膨らむかもしれないというし、威容が緑多き明治神宮外苑の景観にふさわしくないという声、大きすぎて五輪後に使い道があるのかを危ぶむ声がある。

▼定められた規模は必要だろう。が、「せっかくの機会だから」と計画がどんどん太っていく構図はないか。「建築は花火や仮装行列と違って、はい、また来年、というわけにいかない。そばをジョギングする市民に五十年後百年後も優しく語りかけてくるような建物だろうか」。建築家槙文彦さんの懸念はもっともである。

どんなに才能や手腕があっても、平凡なことを忠実に実行できないような若者は、将来の見込みはない」。

2013年10月25日 | Weblog
春秋
10/25付

 人の名前は商品に不思議な力を与えるらしい。同じ野菜でも「山田さんのトマト」とあると、ただのトマトではなくなる。「○○県××村の山田さんのトマト」となれば、信頼はさらに高まり、山田さんの笑顔の写真でも横に付けば、もう完全に特別なトマトに化ける。

▼山田さんに会ったことはない。実在の人物かもしれないし、雇われた商品キャラクターかもしれない。他よりちょっと高いトマトは、確かにおいしく感じる。真偽を確かめる暇も必要もなく、人はものを買い、商品は流通し続ける。日々お金を払って消費されているのは、商品そのものだけでなく、情報なのかもしれない。

▼どこからが「嘘」となり、どこまでを「マーケティング」と呼べるのだろう。買い手が笑顔で満足なら、それでよいともいえる。けれども白を黒と呼べば罪である。京都の九条ネギと称して普通のネギを出せば、すぐ嘘だと知れる。「メニュー偽装」を犯した阪急阪神ホテルズは消費者の基準を、ずいぶん甘くみたものだ。

▼慌ててメニューを書き直しているレストランが、どこかにあるのではないか。急に産地を書かなくなった店は、疑うこととしようか。「成功の道は信用を得ることである。どんなに才能や手腕があっても、平凡なことを忠実に実行できないような若者は、将来の見込みはない」。阪急電鉄の創業者、小林一三の言葉である。

ただの居酒屋通いにも、じつは遺産保護という重大使命があったり

2013年10月24日 | Weblog
春秋
10/24付

 詩人草野心平が言った。「日本料理は捨てる料理つまり犠牲の料理です。対照的なのが中国料理で、包容の料理なんです」。清楚(せいそ)、淡泊、美観が日本料理の性格だという指摘も含め、なるほどと思う話である。日本料理には厳選した素材のいい部分だけ使う印象がある。

▼が、それも和食、そうでないのも和食ということだろう。ユネスコが「和食」を世界の無形文化遺産に登録する見通しになった。対象はこの料理、あの料理というのではなく、「自然の尊重という日本人の精神を体現した食に関する社会的慣習」だそうだ。日々の暮らしそのものが遺産とは、考えてみれば大風呂敷である。

▼となると高級な会席料理や寿司だけでない。正月の雑煮やお節料理は当たり前。各地の郷土料理も、家庭の一汁三菜も、あるいは酒場で供される旬の小料理も、そこに「日本人精神の体現」があれば世界無形文化遺産ということになる。ただの居酒屋通いにも、じつは遺産保護という重大使命があったりするのかもしれぬ。

▼居酒屋を経営した経験もある心平に、「料理について」という詩がある。「ゼイタクで。/且(か)つ。/ケチたるべし。/そして。/伝統。/さうして。/元来が。/愛による。/発明。」。料理を分解していけば、詩が並べる要素に行きつくだろう。その本質は、和食が遺産になろうがなるまいが、変わるところはなにもない。

いったん牙をむいた水は怖い。

2013年10月17日 | Weblog
春秋
10/17付

 19年ぶりに30個を上回るかもしれないという。今年生まれた台風の数の話だ。先月、京都の嵐山などで被害をもたらした18号の記憶も新しい中、こんどは26号が列島を襲い、伊豆大島では多くの尊い命が失われた。観測史上最多という大雨による土砂崩れが主な原因だ。

▼自然のままの山や崖をふだん目にせず暮らす大都市の人々は、土砂崩れと聞いても身に迫った問題に感じにくいかもしれない。しかし1969年の東京都の調査では、高さ3メートルを超す崖や擁壁が23区内に2万カ所以上もあった(芳賀ひらく著「江戸の崖 東京の崖」)。実際、7年前の台風では品川区で崖崩れが起こった。

▼今回の台風26号でも、今年春に駅を地上から地下に移した都内の下北沢駅でホーム下の線路が冠水。しばらく列車を運転できなくなった。埋め立て、地下開発、崖や山を崩したり埋めたりしての都心再開発や郊外の住宅建設。都市の拡大は自然環境への挑戦・改変を伴う。いざという時の危険度合いは年を追い増していく。

▼「300メートル離れた沢が氾濫し土砂が流れ込んだ」。自宅周辺が土砂で埋まった大島の住民が本紙の記事でそう語っている。千葉県成田市や神奈川県鎌倉市、東京都日野市といった、ごく普通の住宅地でも土砂崩れが民家を直撃した。いったん牙をむいた水は怖い。自宅周りの大地と河川の素顔を、改めて点検しておきたい。