昭和16年10月30日 発行
社團法人 日満支石炭聯盟
表紙 米国露天掘炭坑に於ける十九立方碼能力電気ショベル
写真の説明は次のようです。
(上圖) 佛領印度支那のホンゲイ炭礦に於ける石炭捲卸、運搬の状況と積出港
(下圖) 佛領印度支那のホンゲイ炭礦に於ける露天掘の實況 従業者は安南人
昭和15年(1940)9月に日本軍は北部ベトナムに「進駐」しています。歴史年表では仏印進駐。
ホンゲイ炭礦の無煙炭が重要目的だったのでしょう。
50日後に戦争を始めるアメリカの「電気ショベル」が表紙を飾るというのは不思議な話です。
アメリカの工業力を日本人に伝えようとした人がいたのでしょうか。
写真の説明
佛領印度支那のホンゲイ炭礦
ホイゲン炭の積出驛
同上山元より捲卸し場迄の炭車手押運搬
ところで、日満支石炭聯盟の所在地は東京麹町區丸の内一丁目二、仲二十八號館
になっています。
社團法人 日満支石炭聯盟
表紙 米国露天掘炭坑に於ける十九立方碼能力電気ショベル
写真の説明は次のようです。
(上圖) 佛領印度支那のホンゲイ炭礦に於ける石炭捲卸、運搬の状況と積出港
(下圖) 佛領印度支那のホンゲイ炭礦に於ける露天掘の實況 従業者は安南人
昭和15年(1940)9月に日本軍は北部ベトナムに「進駐」しています。歴史年表では仏印進駐。
ホンゲイ炭礦の無煙炭が重要目的だったのでしょう。
50日後に戦争を始めるアメリカの「電気ショベル」が表紙を飾るというのは不思議な話です。
アメリカの工業力を日本人に伝えようとした人がいたのでしょうか。
写真の説明
佛領印度支那のホンゲイ炭礦
ホイゲン炭の積出驛
同上山元より捲卸し場迄の炭車手押運搬
ところで、日満支石炭聯盟の所在地は東京麹町區丸の内一丁目二、仲二十八號館
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