中公文庫
1998年6月18日発行
著者 邱 永漢
発行所 笠松 巌
1992年7月から1994年2月までの日付で邱氏が娘への手紙の形式で書いた中国論。
目次の幾つかを並べてみます。
人生最後の十年は香港で
中国人社会に金儲けの先生はいない
四川省からいま帰ってきたところです
これが本物の香港ガイドブックだ
福臨門で一人前二万円ですませる方法
景徳鎮の肩入れには賛成です
黄山は仙人の住むところです
いまこそアメリカから撤退する時です
祁門紅茶と抱き合わせではいかが
茶館を見ずして北京を語ることなかれ
永遠の漂泊者と言われてしまいました
「いまこそアメリカから撤退する時です」というのは中国論らしくない題名です。
シアトルのダウンタウンで二年がかりで建てていた二十六階建てのシアトル・ハイツが完成して、
テープ・カットをやるためにこちらに来たのです。 (中略)
でもパパはこれを限りに、アメリカでの投資から手を引くつもりです。さいわい、売れ行きは順調で、
発売早々で三割が売れました。(中略) おかげでパパもどうやら無事にアメリカから兵を引くことが
できそうです。
と言うのも、アメリカの衰亡はおおうべくもないと見ているからです。一ドル百円を境として日米経
済摩擦はこれまで以上に激しくなるでしょう。アメリカ人は自分らがどういう危機に曝されているか、
ほとんど自覚していません。ですから、自分らのことは棚にあげて専ら相手のことを非難してばかり
います。かつて黄金時代を経験したことのある国もしくは個人は、その勢いを失った時、自力更生す
る力を持っていないとパパは見ています。そういう国とそういつまでも角突き合わせてはおられない
というのが今の心境です。 (130~140頁)
現在のTPP交渉を邱永漢が見れば、どういう見解を述べたでしょうか。
「永遠の漂泊者と言われてしまいました」はこの人の本質を教えてくれます。
そう言えば、新潮社から出版されることになっていたパパの小説集『邱永漢短篇小説傑作選 見えない国境線』
が出来上がったと、国分君(国分光洋、林泉舎という出版企画社長)から連絡がありました。 (中略)
本はまだ届いていませんが、新潮社の初見さん(初見國興、出版部副部長)から、パパの本のために諸井薫
先生が書いてくれた紹介分のコピーが送られて来ました。それによると、パパは「永遠の漂泊者」だそうです。
「現在の邱永漢は、日本のみならず、台湾、香港、中国本土とまことに手広く事業展開している企業家であり、
ユニークな視点による経済評論家にして『金儲けの神様』として講演依頼引きもきらぬビジネス・コンサルタント
であり、当然ながら大層な資産家である。 (中略) 」
(中略)
「植民地の子邱永漢は、巨富を得ただけでなく、かつての圧迫者である日本人からも本省人からも丁重に遇され、
その自由を束縛するものは何一つ見当らない、にも拘わらず、いまもなお邱永観は『漂泊者』のにおいを身辺に
漂わせる。この人の流浪はまだ終わっていないのだろうか」
かつてパパの『食は広州に在り』の解説を書いてくれた丸谷才一さんも、パパの心境を「亡国の民」としてとらえ、
さすが小説家だなあと感心させられたことがありますが、今度の諸井さんも家族ぐるみおつきあいいただいている
仲とは言いながら、パパの一つ所に落着こうとせず、いつも自らを不安定な状態におかないと生きている気がしない
性格をちゃんと見ているんだなあ、と改めて感心しました。 (222~223頁)
小説家としての邱永漢を論じた著作というのは見当たらないように思います。経済評論家としても正当に評価されていない
のではないでしょうか。「日本人」は邱永漢に少なからぬ負債を負っているのです
1998年6月18日発行
著者 邱 永漢
発行所 笠松 巌
1992年7月から1994年2月までの日付で邱氏が娘への手紙の形式で書いた中国論。
目次の幾つかを並べてみます。
人生最後の十年は香港で
中国人社会に金儲けの先生はいない
四川省からいま帰ってきたところです
これが本物の香港ガイドブックだ
福臨門で一人前二万円ですませる方法
景徳鎮の肩入れには賛成です
黄山は仙人の住むところです
いまこそアメリカから撤退する時です
祁門紅茶と抱き合わせではいかが
茶館を見ずして北京を語ることなかれ
永遠の漂泊者と言われてしまいました
「いまこそアメリカから撤退する時です」というのは中国論らしくない題名です。
シアトルのダウンタウンで二年がかりで建てていた二十六階建てのシアトル・ハイツが完成して、
テープ・カットをやるためにこちらに来たのです。 (中略)
でもパパはこれを限りに、アメリカでの投資から手を引くつもりです。さいわい、売れ行きは順調で、
発売早々で三割が売れました。(中略) おかげでパパもどうやら無事にアメリカから兵を引くことが
できそうです。
と言うのも、アメリカの衰亡はおおうべくもないと見ているからです。一ドル百円を境として日米経
済摩擦はこれまで以上に激しくなるでしょう。アメリカ人は自分らがどういう危機に曝されているか、
ほとんど自覚していません。ですから、自分らのことは棚にあげて専ら相手のことを非難してばかり
います。かつて黄金時代を経験したことのある国もしくは個人は、その勢いを失った時、自力更生す
る力を持っていないとパパは見ています。そういう国とそういつまでも角突き合わせてはおられない
というのが今の心境です。 (130~140頁)
現在のTPP交渉を邱永漢が見れば、どういう見解を述べたでしょうか。
「永遠の漂泊者と言われてしまいました」はこの人の本質を教えてくれます。
そう言えば、新潮社から出版されることになっていたパパの小説集『邱永漢短篇小説傑作選 見えない国境線』
が出来上がったと、国分君(国分光洋、林泉舎という出版企画社長)から連絡がありました。 (中略)
本はまだ届いていませんが、新潮社の初見さん(初見國興、出版部副部長)から、パパの本のために諸井薫
先生が書いてくれた紹介分のコピーが送られて来ました。それによると、パパは「永遠の漂泊者」だそうです。
「現在の邱永漢は、日本のみならず、台湾、香港、中国本土とまことに手広く事業展開している企業家であり、
ユニークな視点による経済評論家にして『金儲けの神様』として講演依頼引きもきらぬビジネス・コンサルタント
であり、当然ながら大層な資産家である。 (中略) 」
(中略)
「植民地の子邱永漢は、巨富を得ただけでなく、かつての圧迫者である日本人からも本省人からも丁重に遇され、
その自由を束縛するものは何一つ見当らない、にも拘わらず、いまもなお邱永観は『漂泊者』のにおいを身辺に
漂わせる。この人の流浪はまだ終わっていないのだろうか」
かつてパパの『食は広州に在り』の解説を書いてくれた丸谷才一さんも、パパの心境を「亡国の民」としてとらえ、
さすが小説家だなあと感心させられたことがありますが、今度の諸井さんも家族ぐるみおつきあいいただいている
仲とは言いながら、パパの一つ所に落着こうとせず、いつも自らを不安定な状態におかないと生きている気がしない
性格をちゃんと見ているんだなあ、と改めて感心しました。 (222~223頁)
小説家としての邱永漢を論じた著作というのは見当たらないように思います。経済評論家としても正当に評価されていない
のではないでしょうか。「日本人」は邱永漢に少なからぬ負債を負っているのです
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