旧刊時空漂泊

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ファウスト博士誕生

2014-04-30 12:47:32 | 日記
トオマス・マン 著
佐藤晃一 譯
昭和二十九年五月二十五日 発行
発行所 新潮社

         

 1942年から47年まで、『ファウスト博士』の成立を身辺から世界情勢までも交えて物語る書。

       六月六日、わたくしの六十九回目の誕生日の朝のこと、わたくしがまだ新聞をのぞかないうちに、
      ワシントンからアグネス・マイヤアが電話をかけてよこして、誕生日の祝辞を述べるかたがた、ノル
      マンディーにおいてフランス上陸作戦が開始されたという報道を伝えてくれた。彼女は陸軍省から
      直接に十分な報道を入手していたのである。                  (72頁)
    
       わたくしは、ある午後―― それは四月十二日であった―― 配達人がいつも玄関口に投げ込ん
      でおく夕刊を床から拾いあげて、大きな活字の「見出し」を一瞥したが、ためらって、それから無言の
      まま新聞を妻に渡した。ルウズヴェルトが死んだのであった。わたくしたちは、周囲の世界が呼吸を
      とめたような思いで、呆然と立っていた。                     (99頁)
    
       もう一つの忘れがたい訪問は、カナダの写真術の大家カァーシュのそれで、カァーシュというのは、
      チャアチルが微笑を浮べて残忍なことを考えているようなあの有名な肖像を撮影したひとである。
               (中略)
      大きな機械が幾度も短絡を起させるのであったが、彼はそれを操って、約二時間ばかりのあいだに
      わたくしの写真を何枚か撮影した。                        (140頁)


       私はトオマス・ブデンブロオクをも、ハンス・カストルプをも、アシェンバハをも、ヨオゼフをも、『ヴァイ
      マルのロッテ』のゲーテをも―― 恐らくハノオ・ブデンブロオクは別だが―― このアドリアン・レエ
      ヴァーキュウンほどには決して愛さなかった、ということをフランクに告白した。
      わたくしは真実を語ったのである。わたくしは善良なゼレエヌスのアドリアンに対する感情を文字通
      りに分ち持って、いろいろと心配しながらも、高慢な生徒時代以来のアドリアンに惚れこみ、彼の
      「冷たさ」や、実生活に対する疎遠や精神と衝動とのあいだを調停し和解させる法廷である「霊魂」
      の欠如や、彼の「非人間性」や、「絶望した心」、つまり、自分は呪われた身であるという彼の確信
      を溺愛したのであった。それでいながら、不思議にも、わたくしは彼にほとんど外貌を與えなかった。
      風采も、肉体も與えなかった。                           (79頁)



 カァーシュというのはトルコ生まれのユーサフ・カーシュのことでしょう。
トオマス・マンの作品のなかで、最も非人間的存在を作者が溺愛したというのは少なからず衝撃的でした。
アドリアン・レエヴァーキュウンは作者が熱愛したドイツそのものということでしょうか。
岩波現代叢書の『ファウスト博士』が刊行されたのは1952~1954年ですから、『ファウスト博士誕生』は
実にすばやい出版といえるでしょう。

 ところで朝刊に『トーマス・マン日記1953~1955』の広告が出ていました。
17000円+税ですから18360円。予想はしていたものの、これもやはりショックです。

       

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