9. クリスマスイブ③
「まあまあ、濡れて・・・」
母は私たちの様子を一目見るなり一旦奥に消えて、バスタオルを持って戻って来た。
「ありがとうございます」
陽子が赤いバラの束を手にしながらお礼をいうと、さあさ、上がって、と彼女を家の中に上げることを許可した。
外は雪だった。最初は小粒だった雪も大きな塊になって絶え間なく降り続いていた。
コインロッカーの事件のあと、私たちはお互い別々の列車に乗って帰途に就く予定だった。
それが陽子の乗る路線だけが、不通になってしまった。駅員に聞くとM町の方は雪がかなりひどいらしい。途中の駅まで行くが、そこで折り返し運転になるとのことだった。
陽子はタクシーで帰るからと言ったが、山までタクシーでいくらかかるかわかりゃしない。
私は半ば強引に自分の家に来るように勧め、陽子を連れてきたのだった。
「初めまして、私は・・・」
陽子が挨拶をしようとすると、母は「陽子さんね。分かっているわよ。それよりその薔薇、私が預かっておくから」と言って陽子から薔薇を奪うようにして手にし、また奥にもどっていった。
陽子を連れてきたのは突然の出来事だ。私は何故母が陽子の名前を知っていたのか不思議だったが、姉の顔が浮かび、納得すると上がるように陽子を誘導し、二階の自分の部屋に連れて行った。
八畳の部屋は閑散としている。南側に机と西側の壁側にベッドが備え付けられている他は中央に電気ごたつが敷かれているだけで特に何もない。
私はこたつの電源を入れ、陽子に座るよう促した。
私たちはお互い向かい合うようにして座り、背を丸めるようにして手をこたつの中に入れ、ふと目が合うと、笑った。
「落ち着いた?」
「うん」
「コインロッカーの前で泣かれたときにはどうしようかと思ったよ」
「泣いてはいません!!」
「そうなの?」
「うん。ただ、感動はしたわ」
「感動?」
「そう。感動。・・・・あたし男の人にあんなことされたの初めてだったから」
「気障だったかな?」
「ううん、嬉しかった」
陽子はふと自分がコートを着たままなのに気づくと、ごめんなさいと言い、コートを脱ぎ、丁寧に重ね折をして脇に置いた。そして、両手をこたつ板の上に重ねて置き、その上にあごを乗せた。
「ねえ・・」
「何?」
「なんて言ったの?・・・あのとき」
陽子は覗き込むようにして私を見た。その様子はなにかを欲している猫のようだ。
私は、えっ、と陽子の顔を見、ああ、あのときの言葉かと気づくとなんだか顔が熱くなった。
「聞いてなかったの?」
「あのとき頭が真っ白になっていたから・・・」
陽子は笑っていた。真っ白になったと言いながら、本当は違うといっている顔だ。
「あれは、一生に一度だけの魔法の言葉。二度目はないよ」
「でも、聞きたい」
「駄目!」
「ケチッ」
「ケチで結構。一生心に秘めておくよ」
私が言うと陽子は、残念無念と呟きながら背伸びをした。
それから陽子はおもむろに立ち上がり、私の部屋の周りをぐるりとひと回りした。
机の上に置いてある漫画本を見つけると、ふーん、こういうの読むんだと一言いい、またもとの場所に戻った。
きょろきょろと辺りを見回すと、広い部屋ねえと言う。
私の顔をじーっと見てたかと思うと、コアラに似てるねえと笑った。
そうして、右手を口元にやると大きな欠伸をし、ごめん、さっきからあたし限界なの、寝るわ、と言い、ゴロンと横になるとこたつに潜ってしまった。
私は突然のことに驚き、「おい、風邪ひくからベッドに寝ろよ」と言ったが、彼女はどこ吹く風、「大丈夫、大丈夫。あたしどこでも寝られるから」と言って数秒後には寝息をたててしまった。
初めて来た男の部屋で寝てしまうとは・・・・。
私は毛布をかけながら、陽子の寝顔を見た。
安心しきった顔だった。
まったく臆病なのか大胆なのか。幼稚なのか、大人なのか・・・・。
私は苦笑し、起ちあがるとサッシを開けベランダに出た。
外の雪は激しさを増していた。
しんしんと降っている。
降り積もる雪にはわだちさえもなかった。
私は冷気を感じながら、一日の出来事を振り返り、明日を思い、そしてこう呟いたのだった。
明日になれば彼女はきっと・・・・。
Pretenders - Show Me (Lyrics)