宙やまっくろくろすけで今、私たちのメンバー・保護者・スタッフが執筆した『自分を生きる学校』を寄贈することを行っています。
その寄贈先の候補の一つとして、自然出産を実践されている助産院が挙がっています。
自然出産とデモクラティックスクールがどう結びつくのか、子どもを生んだことも生ませたこともない私は最初ピンと来ませんでした。
でも、よく考えたら、普通に結びつくのかもしれません。
自然出産は、安易に科学技術に頼らない形で出産することを志向されているのだと思います。
デモクラティックスクールは、工場で製品を作るように、教室でテキストを教えれば正しい知識が身につくという考えを拒否します。
どちらも、人を安易にコントロールするという発想・考えを否定する点で共通するんですね。
ただ、あるデモクラティックスクールのスタッフで自然出産を経験した方もおっしゃっていたのですが、デモクラティックスクールは科学技術を否定して自然に触れることを志向する教育というわけではありません。
教育にも色々な形があります。その中には、コンピュータやゲームに子どもを触れさせないようにする教育もあるでしょう。
それに対してデモクラティックスクールの子どもはゲームもパソコンも大好きです。
一日中ずっとゲームをしている子どももいます。
でも、子どもを見ていると、ずっとゲームをしているように見えても、本当にずっとしているわけではないことがわかります。
いろいろしているなかで、ゲームをするときもあるのだということがわかります。
また、ゲームに熱中する姿は、野球や勉強や漫画に熱中する姿と同じだということが分ります。
勉強をしていて目が悪くなることもあれば、ゲームをしていて目が悪くなることもあるでしょう。
なのにゲームが批判されるのは、ゲームからは何も学べないと大人が思っているからです。
でも、そういう考え方がデモクラティックスクールでは通用しません。
ある事柄に取り組み、一つの状態にとどまらずに上のステップに進むと言うプロセスこそが学びであり、ゲームはまさにその例に当てはまるのです。
でも、そんな言い方をしなくても、子どもがゲームに熱中する姿を見ていれば、そこには何かあると考えるのが普通です。
デモクラティックスクールの自然とは、その人本来のあり方をすることです。その人本来のあり方とは、固定した・停滞した状態ではありません。
その人にとって必要なことはその人にとってわかるのであり、人をコントロールせずに人を信頼する、というのがデモクラティックスクールの考えです。