また、「1.17」がやってきた。
米国人の誰もが、「9.11」という心の傷を抱えているのなら、われわれにも「1.17」という爪あとが、しっかりマーキングされている。もはやそれは日付というよりも、ひとつの記号と呼べるものだ。あの未曾有の大災害の傷跡を残した「1.17」が、またやってきた。
しかし、私にとって「1.17」は、子供の頃からずっと変わらぬ特別な記号なんです。
ハッピー・バースデー・トゥ・ミー
何もいまさら誕生日が待ち遠しいという訳もないが、それでも一年に一度だけ訪れる、私にとってのスペシャルデー。それがあの日を境に、精霊宿る厳かな弔いのメモリアルデーに変わってしまった。実は、その4年前の同じ「1.17」、多国籍軍がイラク空爆を開始した、いわゆる「湾岸戦争」が勃発した日でもあるのだ。
あの時もそうだった。夜通しテレビの前で、火柱とともに無情についえてゆく命を、私はただただ呆然と見送るだけだった。
だから私は、「マイ・バースディ」が訪れても、浮かれることは一生あるまい。でも、そのことを惜しんだり恨んだりする気もない。いや、むしろ消し去ることのできない悲しみなら、あえてこの日に重ねてくれたことを感謝したい気持ちだ。一生涯、年に一度の「マイ・バースデイ」の訪れに、命のリビドー(欲求)とパッション(熱情)が織り成す無常を、深くかみしめられるのだから。そんなバースディもなかなか良いではないか。
「人を救うのは、人しかいない。」
当時、繰り返しテレビで放映された公共広告機構の広告だ。中でも「井戸水」編は、いまでも脳裏に焼きついている。
まだ所々から煙が立ちのぼる中、水が出る自宅の水道を開放しながらも、生では飲めないことを訴える張り紙と地域住民の声を収めた15秒ほどのモノトーンのCMだった。そして、最後に見るものの琴線を激しく揺さぶったコピーが、あのフレーズだった。当時、自らも被災者だった関西のクリエーター集団が、阪神復興のために、わずか2日間で制作したのだという。
あれから12年。
「人を殺めるのも、人しかいない。」
今ではそんなアンサー・コピーが返ってきそうだ。
「井戸水」編を世に送り出したCMプランナーの石井達也氏の言葉だ。あの日、あの時、瓦礫の狭間で生き延びた人たちは、失意の中で確かにつながっていたんだと思う。
ささやかな黙祷を捧げよう。
米国人の誰もが、「9.11」という心の傷を抱えているのなら、われわれにも「1.17」という爪あとが、しっかりマーキングされている。もはやそれは日付というよりも、ひとつの記号と呼べるものだ。あの未曾有の大災害の傷跡を残した「1.17」が、またやってきた。
しかし、私にとって「1.17」は、子供の頃からずっと変わらぬ特別な記号なんです。
ハッピー・バースデー・トゥ・ミー
何もいまさら誕生日が待ち遠しいという訳もないが、それでも一年に一度だけ訪れる、私にとってのスペシャルデー。それがあの日を境に、精霊宿る厳かな弔いのメモリアルデーに変わってしまった。実は、その4年前の同じ「1.17」、多国籍軍がイラク空爆を開始した、いわゆる「湾岸戦争」が勃発した日でもあるのだ。
あの時もそうだった。夜通しテレビの前で、火柱とともに無情についえてゆく命を、私はただただ呆然と見送るだけだった。
だから私は、「マイ・バースディ」が訪れても、浮かれることは一生あるまい。でも、そのことを惜しんだり恨んだりする気もない。いや、むしろ消し去ることのできない悲しみなら、あえてこの日に重ねてくれたことを感謝したい気持ちだ。一生涯、年に一度の「マイ・バースデイ」の訪れに、命のリビドー(欲求)とパッション(熱情)が織り成す無常を、深くかみしめられるのだから。そんなバースディもなかなか良いではないか。
「人を救うのは、人しかいない。」
当時、繰り返しテレビで放映された公共広告機構の広告だ。中でも「井戸水」編は、いまでも脳裏に焼きついている。
まだ所々から煙が立ちのぼる中、水が出る自宅の水道を開放しながらも、生では飲めないことを訴える張り紙と地域住民の声を収めた15秒ほどのモノトーンのCMだった。そして、最後に見るものの琴線を激しく揺さぶったコピーが、あのフレーズだった。当時、自らも被災者だった関西のクリエーター集団が、阪神復興のために、わずか2日間で制作したのだという。
あれから12年。
「人を殺めるのも、人しかいない。」
今ではそんなアンサー・コピーが返ってきそうだ。
『人と人がつながるためには、カッコつけていてはダメ。心を開かないと本当のつながりはできない。』
「井戸水」編を世に送り出したCMプランナーの石井達也氏の言葉だ。あの日、あの時、瓦礫の狭間で生き延びた人たちは、失意の中で確かにつながっていたんだと思う。
ささやかな黙祷を捧げよう。