幼いころから良くいじめられたし、仕事に就いてからも
干されもしたし、左遷も味わった。
もう自分の味方は誰もいないし四面楚歌。
そんな崖っぷちを、いつも歩いてきたような気がする。
でも今思い返すと、誰かが、何かが
いつも傍にいてくれたような気もする。
それは陥れられた私を遠巻きに見る人々の中の
ほんの一人の、同情の眼差しだったのかもしれないし
居場所のない飲み会で、話しかけてくれた
誰かの優しい一言だったのかもしれない。
家庭の中でも孤立し、一人でリビングにいた時
心配そうに私を見つめる
犬の眼差しだったのかもしれない。
追われるように仕事を辞めた、最後の日。
花束を抱え、誰にも見送られず静かに職場のドアを閉めた。
エレベーターの下行きのボタンをぼんやりと見つめていた時
気配を感じて振り向くと、一人の部下が立っていた。
一言二言、優しい会話を交わしエレベーターに乗った。
確かにどんな時でも、誰かが、何かが
私の傍にはいてくれるのだった。
決して一人ぼっちではなくて。