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イバラノツルヒコの華麗なる生活
ボンソワール、今夜も僕と素敵な話をしよう
 

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この間、構内で一番日当たりのいいラウンジでぼんやりしていたら、通りかかった院生の渡辺さんがお茶をおごってくれた。卒論を無事に出せたお祝い、だそうで、このところおごることはあってもおごってもらうことなんかめっきりなくなってしまった僕は、ありがたくごちそうになることにした。

それで、そのラウンジの片側は一面がガラス張りになっているんだけれど、そこから外を眺めていると、芝生に鳥がやってきた。なかなか可愛らしかったので、窓に張り付きながらなんとなく

「あれなんて鳥かなあ」

と呟いたら、「あれはムクドリね」と渡辺さんが言ったので、まさか答えがかえってくるとは思わなかった僕はへえ、と思ってあらためてしげしげとその鳥をながめてみたんだけれど、もしまたこの鳥をみてもやっぱり「なんて鳥かなあ」って言っちゃいそうだと思った。

それにしても、覚える気もないくせに、「これはなんて名前かなあ」と考えちゃうのはどういったわけなんだろうね。

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二人でいること、が「一緒にいる」こととは限らない、ってことがあって、しかもそれがネガティブな意味ではない、ことだってあるんだなあって。

目の前にいる相手がすごく遠い、けれどその遠さが絶望よりは希望にリンクしている感じ、ってなんだかうまくいえないけどね。

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僕はいささか酔っているらしいので、この文章とさっき書いたコメントへのお返事の内容にはちょっと自信がない。

ただ、どうやら言えるのは、僕はひょっとしたらすごく忘れっぽくできているのかもしれないってことだ。
そしてそのせいで、僕はのほほんとしていられるけれど、誰かがさみしい思いをしていたりするのかもしれない。

だけど忘れっぽい僕は、今日こんなことを書いた理由まで、明日には覚えていないのかも…。


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…ふと思うわけなんだけど、「空想」と「妄想」の境目ってなんなんだろうね?

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Free、って言葉があるね。自由という風に訳せばとてもいい感じの言葉だし、ミニコミ誌なんかの上にこの文字が躍っていたら「無料」って意味だ。「今フリーなの?」ってきかれたら、時間が空いているかとか、場合によってはステディな異性がいないかとか、きかれているって思うだろう。

学生っていうのは社会全体からみても、かなり自由な身分だと思うけど、それはつまり身動きが簡単にとれるっていうことで、「誰のものでもないかわりにそれがなくてもあんまり困る人もいない」ってことなんだと思う。うまくいえないけど、僕には今自分が責任をもって守らなきゃいけない財産とか、家族とか、地位とか、組織とか、社員とか、そういうものがほとんどない。少なくとも僕がいなくなっても変わりがいるし、もちろん家族は悲しむだろうけどさしあたり僕が今いなくなることで路頭に迷ったりもしない。

そう考えると、不自由っていうのもなかなかすごいことなんだと思う。簡単に身動きがとれないとか冒険ができないというのは、それだけ自分以外のなにかに責任を負っていたり、必要とされていたりするってことかもしれないから。その人の一挙一動のおよぼす影響が、大きいっていうことだと思うから。・・・もっとも、こんな風に考えるようになったのは最近のことだけどね。

僕は、今のうちに自由を謳歌しておきたいと思う一方で、そうやっていろいろなものを積み上げて「何か」を培ってきて、結果「不自由」になっている上の年代の人々に圧倒される。今僕が彼らに全く歯が立たないことがとてつもなく悔しいことに思えたりするときがある。うん、自分でも意外な気がするけど、たまにはそういうときもあるんだよ。

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実は今日もそういうことがあったんだけれど、僕は時々壁のシミとか、電車の車体のキズとか、それ以外でもいろいろなものが、すごく素敵な絵や写真に見えたりすることがある。

もちろんすぐにそれがシミやキズだって気づくんだけど、見間違えたイメージがあんまりいいものだから、それを頭に焼き付けて、家に帰ったら描こう、なんてじいっと見つめていたりすると、…後ろを通りかかった人が「何事か?」って感じにのぞきこんできたりする。もちろん僕は壁のシミを凝視しているだけだから、かなり妙な人って思われているんだろうな。

ところが残念なことに、家に帰って再現しようとすると、まったく似ても似つかないものになっちゃうんだよ。いつも思うことだけど、頭の中のイメージを、写真にとるみたいにしてプリントアウトできたらいいのになあ。

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記号  




眼鏡をかけている人がすべて理知的だ、なんて思う人はまずいないはずだけど、でもやっぱり眼鏡をかけている人は頭がよさそうにみえたりするよね。

ということは、僕も眼鏡をかけたら急に印象がかわったりするんだろうか。

眼鏡とか、エプロンとか、白衣とか、スーツとか…、それらは記号的な意味合いが強いものだなあって思う。

いろんな格好をしてみて、見知らぬ人の態度がどう変わるかなんていうのを細かく記録したら、結構面白い研究になるんじゃないかな。さらに、まわりの対応が変わることで僕自身のふるまいなんかが変わったりもするかもしれない。

そんな風に考えていくと、僕と人との境目ってものがだんだんあいまいになってくるような気がして、面白いと思ったりちょっと不安になったりするね。

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心配させてしまったかもしれないけど、無事卒論を入稿したよ。

その後思わず祝杯をあげたり、調子にのって家に帰らなかったり、眠ったりしていたのでちょっとブログをさぼっちゃった。

ま、たまにはいいよね。

応援してくれたみんな、どうもありがとう。

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もう2月だね…っていうか、今月ばかりはまだ終わらないでほしい僕だけど、とにかく壁紙をつくったよ。よかったら使ってね!

カレンダー入り
カレンダーなし

それじゃ今日はアデュー!

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もうすぐ卒業だし、こっそり書いちゃえ、と思うわけだけど、うちの教授は海外生活が長くて、そのせいかなかなかダンディな紳士ということで女子の人気が高い。

僕は行ったことがないけど、教授宅を訪問したりすると、奥さんとのやりとりがとてもやさしくてスマートなんだ、そうだよ。

まあそういう姿は僕も見習いたいとは思うけど、一方で彼があんまり手馴れた様子で女性をエスコートしていたりするのを見ると、自分のことでもないのになんだかちょっと気恥ずかしいような、落ち着かないような気がしたりもするんだなあ。

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