■磯釣りの事故■
年に何度か、釣りをしている際に遭難したニュースが流れるように、不幸にも大波さらわれたり、転落したりで命を落とす人が居る。中でも多くを占めるのが、磯釣りをしている最中の事故だ。これには昔から、よく言われている「事故が起こるパターン」がある。
第一に「ライフジャケット(救命胴衣)」を装着していなかったケース。
このケースは、着衣のままで落水すると、水分を含んだ衣類が手枷足枷となって思うままに泳ぐことができず、最終的にはおぼれてしまうというものだが、これは車のシートベルトと同じで、ライフジャケットを装着していれば大事故をある程度防ぐことができる。だから、日頃から装着を習慣づけ、「これが無くては釣りが始まらない」という、釣り道具の一部としてとらえることが大切だと思う。現在では、ライフジャケットの装着がなければ船には乗せてくれない渡船店がほとんどだが、渡船利用のみとは限らないから、その場合は自己管理能力が問われる。
以前のように雑誌を始めとする紙媒体が情報の主体であった時代であれば、啓蒙の意味を込めて定期的に特集記事を組んで事故防止につとめていたのだが、ネット中心の現在、釣果情報のような「見たい記事」だけを選ぶようになった、今の若い世代に十分に浸透しているかどうかは心配されることでもある。
また、ライフジャケットの装着時には必須の条件がある。それは必ず通称「股ひも」と呼ばれる、ベルトを股間に通すことを忘れないで欲しいということだ。このベルトを通しておかないと、もし落水した場合に、スポンと体がジャケット内から抜け出てしまう危険性があるからだ。これも雑誌では昔から啓蒙していたことであり、ボクらが実際に釣り雑誌での写真撮りを行った場合、もしこのベルトが通っていなければ、その写真はNG=掲載不能になるほどの徹底ぶりだったし、それは今でも続いているほど重要な点なのだ。
もう一つのケースとしては、自己判断による無理な釣行があげられる。
一言に磯釣りと言っても、渡船を使って主に沖磯や人が陸からは入ってこられないような磯への釣行と、歩いて自分の足で入る地磯への釣行とがある。
渡船を使う場合、遙か沖合にある台風や熱帯低気圧からのウネリが入っている場合は数日前、少なくとも前日夜7時頃の天気予報時に当日の海が荒天だと判断されると、出船停止の船長判断が伝えられる。だから、よほどのベタ凪でもない限り前日の7時過ぎには出船の確認を釣り人側からとるべきだが、困るのは、思った以上に波が落ちなかったり、変わると思っていた風向きが変わらなかったりで、当日の朝、渡船乗り場で中止が発表される場合だ。
前日までに中止が判れば、当然、予約していたエサをキャンセルすることができるが、当日朝の場合は、もう購入済みであることから返品するわけにも行かず、そこに来るまでの交通費も掛かっていることから、損害金が大きくなる。そこで、釣り人の中から「どこかで竿出しはできないか?」と、つい考えてしまう人が出てくることになるのだ。
そしてその行き先が内湾の安全な防波堤程度であれば、問題は少ないのだが、そんなところで釣れる魚と言えば小さな魚が多く、物足りないから、「大きな魚を得るためには潮通しの良い『沖へ、沖へ』、『先端へ、先端へ』」という釣り人心理がつい働いてしまう。
そこで波が来るか来ないかのギリギリのラインにあり、車を駐めて歩いて降りられる地磯に向かうことになる。実はこの地磯がクセ者なのだ。
ある程度経験を積んだ漁師さんや船頭さんであれば「この風向きと風力なら、この方向から、こんな大きさの波が来る。」ということが、ある程度予測できるが、一見さんの釣り人の場合はそんなことは出来るはずもなく、あくまでも「見た目」でしか判断できない。しかし、波やウネリの大きさは少し観察しただけでは判断できないのだ。数回に一度の割合で波長が重なって大きくなることを知っているだろうか?。この大波が発生した時にさらわれてしまうのだ。
また、“地磯”という地形自体にも問題がある。独立礁に立っている場合だと、波高が膝下程度であれば、波は足下を洗いながら一定の方向へと通り抜けてゆく。だから和歌山県の南部(みなべ)地区や田辺地区にある沖磯は、満潮時に水没することで知られているが、その状態でも脚立に道具を乗せて“平気”で釣りが出来るのだ。(当然だが、限界もある。)
だが、地磯の場合は地形的に波が後ろに抜けないところも多く、見た目にそう高くない波であっても、一旦駆け上がった後は、落下する重力を伴って戻ってくる。これを「引き波」と言うが、地磯の事故はこの引き波にさらわれることで発生することが多いようだ。だから、事故防止のためには素人の自己判断は禁物であり、「諦め」が肝心なのだ。
渡船利用の場合であっても、各地の船頭さんの中には残念ながら他店を出し抜いて無理な磯渡しをする人も残念ながら存在するし、荒天が予想される状況であっても、少しでも渡せる可能性があるのなら釣り人に「行ける」と言いつつ、当日朝になって「やっぱりダメだった」と、簡単に言ってしまう人も存在する。
前者の場合は、そのまま渡船店利用での事故に繋がる可能性があるし、後者の場合は地磯での事故の原因にもなりかねない。
反対に釣り人の安全を考え、グレーゾーンであれば、思い切って中止を言い切る人も存在するし、こちらがどこから来るのかを確認し、「遠くから来るんだったら、リスクがあるからヤメにしたら?」と正直に言ってくれる人も存在するから、まさに「玉石混淆」の状態だ。そこでだが、安全に釣りをするためにイイ船頭さんと巡り会うには、電話でのやりとりで自分で判断するか、他の釣り人に意見を求める、あるいは地元に密着したエサ屋さんでエサを予約&購入し、怪しい場合はそのエサ屋さんで状況を説明して確認を取って判断するということが重要になるのだ。
そんなこんなで、磯釣りの事故について書いてみたが、僕自身自己判断による無理な釣行をして”ドエライ目”に遭った経験があり、人に対してエラそうなことは言えない。それは…
■隠岐での事故■
今から20年近い昔、当時妻とは交際中だったが、二人で島根県の隠岐へと旅行と釣りを兼ねて訪問していた最中の話だ。
隠岐の各島を廻り、最終の地である、中ノ島にたどり着いたのだが、その島の南端にある木路ガ崎(きろがさき)というところに灯台があって、その近くでキャンプをしながら釣りをしようとボクは考えていた。ポツポツと雨が降るものの、雨量は大したことはなく、何よりもそれまでの予定が狂ったおかげで持ち込んでいたオキアミが余っており、最終日のこの日に「それを撒き切ってやろう。」と考えていた。
灯台からポイントに降りるにあたって、地元の人間にとっては「勝手知ったる道」であるのかも知れないが、ボクには手がかりとして空撮写真しかなく、その写真に書かれている降り口(と言っても写真の上に点線が書かれているのみ)をたどって行った。
振り返ってみれば、アホなことだが、空撮写真を撮影した時からは時間が経ち、季節も違うから、そんなモノが役に立つハズはない。更に訪問時は真夏であったことから草木が生い茂り、踏み跡を確認してたどってゆくことは不可能だった。そうこうしているうちに、ぬれた草木に足を取られて少し滑落してしまった。落ちた段差の下から上を見上げると、重い釣り道具を持ったまま戻る気にはならず、とりあえず下に降りてエサを使い切ってから戻れば帰りは軽くなるとの判断から、更に下へ向かったのだが、岩伝いに垂直に切り立った岩壁を降りていた最中、掴んだ岩が外れてそのまま5mほどの高さから転落してしまったのだ。
着地した際に鈍い音と共に両足首から激痛が走った。どうやら重い釣り道具と重い体による衝撃の全てが両足首にかかってしまったようだ。しかし、不幸中の幸いでオキアミの詰まったバッカン(EVA樹脂製の容器)が、ウマく尻と岩の間に入って緩衝材の役目を果たしてくれたおかげで、腰骨や尾てい骨といったそれ以上の箇所には痛みはなかった。
「捻挫かヒビ程度だろう。」と、言い聞かせに近い自己判断をし、歩こうと思うのだが、どうにもこうにも自分の体が支えられず、タコのような”軟体足首”となってフニャフニャとその場にへたり込んでしまう。それと共に痛みが走り、どうにも耐えられない。
そこで辺りを見回すと、「天の助け」と言うべきか、「渡りに船」と言うべきか、地元漁師さんの操るサザエ採りの小舟が視界に入った。
そこへ向けて大声を出すと、有り難いことにこちらに近づいて来る。そして事情を説明すると漁師さんはボクを船内に収容して近くの港まで回航してくれるというのだが…。
しかし、灯台横には妻が一人で残っているし、マニュアルシフトの1BOX車を、当時はペーパードライバーだった彼女が運転することは危険だ。そのことでボクが困り果てていると、漁師さんが親切にも灯台横まで上がって、とりあえずの連絡をつけてくれると言う。
「どうやって?」と思ったが、聞けば、何とボクが降りた側と反対には、海から灯台へと行き来するためのステンレス製のハシゴが掛かっているというのだ。
そこを伝って漁師さんは妻に連絡をとりに上がっていったのだが、船に残ったボクの頭には「こっち側にこんなハシゴがあったのなら、何も無理をする必要は無かったのに…。」と同時に別の考えが頭をよぎった。
「このままだと、隠岐の島内に入院かも…。」
そうなると、中ノ島内に取り残される妻のことや、休み明けの仕事の手配、その他のことを考えると、「このままではダメだ。」という、思いが駆け巡る。そして次の瞬間に火事場の馬鹿力が出たのか、ボクは船を這い出て、膝と痛みの少ない右足の一部を使ってハシゴを登り、何とか灯台横の駐車スペースまで来ることに成功したのだ。
漁師さんには「島には残れない」という事情を説明し、島内の診療所を紹介してもらって、妻の運転で何とかそこに駆け込んだ。
診断の結果は、「レントゲンの調子が悪く、はっきりとは言えないが、恐らく両足首の骨折だろう。」ということだった。
診療所の先生の計らいで、便を早めてフェリーに乗り込み本土に戻ったが、その頃には両足はパンパンに腫れ、痛みで脂汗が出るほどだった。しかし、それを表情に出すと、途中の病院に入ることにもなりかねない。だから、自宅のある西宮市内の病院に到着するまでは、心配するる妻に愛想笑いをしながらこらえるしかなかった。
結局、妻の必死の運転で西宮市内の救急病院に駆け込んだ後に再診断を受けると、見事に左足首が1カ所、右足首が2カ所の計3カ所の骨が折れていることが発覚し、三日ほど腫れが引くのを待った後に手術を受けることになった。そしてこの日から約2ヶ月の入院を余儀なくされ、その間は車いすの生活を送っていた。
手術と治療の結果、両足で立ち、歩くことができるようになったが、今でも足首の動きは固く、和式のトイレで苦労することもある。
当時を振り返る度に、地元まで連れて帰ってくれた妻に感謝すると共に、打ち所が悪ければ半身不随以上、あるいは「命までもが…。」という状況だっただけに「よく死ななかったモノだ。」と、思いは巡る。そしてそれ以来ボクは素人判断での釣行は二度とすることは無くなり、渡船店利用でしか磯には上がっていない。多方面に迷惑を掛け、今でも反省することしきりだが、これがボクの教訓だ。
年に何度か、釣りをしている際に遭難したニュースが流れるように、不幸にも大波さらわれたり、転落したりで命を落とす人が居る。中でも多くを占めるのが、磯釣りをしている最中の事故だ。これには昔から、よく言われている「事故が起こるパターン」がある。
第一に「ライフジャケット(救命胴衣)」を装着していなかったケース。
このケースは、着衣のままで落水すると、水分を含んだ衣類が手枷足枷となって思うままに泳ぐことができず、最終的にはおぼれてしまうというものだが、これは車のシートベルトと同じで、ライフジャケットを装着していれば大事故をある程度防ぐことができる。だから、日頃から装着を習慣づけ、「これが無くては釣りが始まらない」という、釣り道具の一部としてとらえることが大切だと思う。現在では、ライフジャケットの装着がなければ船には乗せてくれない渡船店がほとんどだが、渡船利用のみとは限らないから、その場合は自己管理能力が問われる。
以前のように雑誌を始めとする紙媒体が情報の主体であった時代であれば、啓蒙の意味を込めて定期的に特集記事を組んで事故防止につとめていたのだが、ネット中心の現在、釣果情報のような「見たい記事」だけを選ぶようになった、今の若い世代に十分に浸透しているかどうかは心配されることでもある。
また、ライフジャケットの装着時には必須の条件がある。それは必ず通称「股ひも」と呼ばれる、ベルトを股間に通すことを忘れないで欲しいということだ。このベルトを通しておかないと、もし落水した場合に、スポンと体がジャケット内から抜け出てしまう危険性があるからだ。これも雑誌では昔から啓蒙していたことであり、ボクらが実際に釣り雑誌での写真撮りを行った場合、もしこのベルトが通っていなければ、その写真はNG=掲載不能になるほどの徹底ぶりだったし、それは今でも続いているほど重要な点なのだ。
もう一つのケースとしては、自己判断による無理な釣行があげられる。
一言に磯釣りと言っても、渡船を使って主に沖磯や人が陸からは入ってこられないような磯への釣行と、歩いて自分の足で入る地磯への釣行とがある。
渡船を使う場合、遙か沖合にある台風や熱帯低気圧からのウネリが入っている場合は数日前、少なくとも前日夜7時頃の天気予報時に当日の海が荒天だと判断されると、出船停止の船長判断が伝えられる。だから、よほどのベタ凪でもない限り前日の7時過ぎには出船の確認を釣り人側からとるべきだが、困るのは、思った以上に波が落ちなかったり、変わると思っていた風向きが変わらなかったりで、当日の朝、渡船乗り場で中止が発表される場合だ。
前日までに中止が判れば、当然、予約していたエサをキャンセルすることができるが、当日朝の場合は、もう購入済みであることから返品するわけにも行かず、そこに来るまでの交通費も掛かっていることから、損害金が大きくなる。そこで、釣り人の中から「どこかで竿出しはできないか?」と、つい考えてしまう人が出てくることになるのだ。
そしてその行き先が内湾の安全な防波堤程度であれば、問題は少ないのだが、そんなところで釣れる魚と言えば小さな魚が多く、物足りないから、「大きな魚を得るためには潮通しの良い『沖へ、沖へ』、『先端へ、先端へ』」という釣り人心理がつい働いてしまう。
そこで波が来るか来ないかのギリギリのラインにあり、車を駐めて歩いて降りられる地磯に向かうことになる。実はこの地磯がクセ者なのだ。
ある程度経験を積んだ漁師さんや船頭さんであれば「この風向きと風力なら、この方向から、こんな大きさの波が来る。」ということが、ある程度予測できるが、一見さんの釣り人の場合はそんなことは出来るはずもなく、あくまでも「見た目」でしか判断できない。しかし、波やウネリの大きさは少し観察しただけでは判断できないのだ。数回に一度の割合で波長が重なって大きくなることを知っているだろうか?。この大波が発生した時にさらわれてしまうのだ。
また、“地磯”という地形自体にも問題がある。独立礁に立っている場合だと、波高が膝下程度であれば、波は足下を洗いながら一定の方向へと通り抜けてゆく。だから和歌山県の南部(みなべ)地区や田辺地区にある沖磯は、満潮時に水没することで知られているが、その状態でも脚立に道具を乗せて“平気”で釣りが出来るのだ。(当然だが、限界もある。)
だが、地磯の場合は地形的に波が後ろに抜けないところも多く、見た目にそう高くない波であっても、一旦駆け上がった後は、落下する重力を伴って戻ってくる。これを「引き波」と言うが、地磯の事故はこの引き波にさらわれることで発生することが多いようだ。だから、事故防止のためには素人の自己判断は禁物であり、「諦め」が肝心なのだ。
渡船利用の場合であっても、各地の船頭さんの中には残念ながら他店を出し抜いて無理な磯渡しをする人も残念ながら存在するし、荒天が予想される状況であっても、少しでも渡せる可能性があるのなら釣り人に「行ける」と言いつつ、当日朝になって「やっぱりダメだった」と、簡単に言ってしまう人も存在する。
前者の場合は、そのまま渡船店利用での事故に繋がる可能性があるし、後者の場合は地磯での事故の原因にもなりかねない。
反対に釣り人の安全を考え、グレーゾーンであれば、思い切って中止を言い切る人も存在するし、こちらがどこから来るのかを確認し、「遠くから来るんだったら、リスクがあるからヤメにしたら?」と正直に言ってくれる人も存在するから、まさに「玉石混淆」の状態だ。そこでだが、安全に釣りをするためにイイ船頭さんと巡り会うには、電話でのやりとりで自分で判断するか、他の釣り人に意見を求める、あるいは地元に密着したエサ屋さんでエサを予約&購入し、怪しい場合はそのエサ屋さんで状況を説明して確認を取って判断するということが重要になるのだ。
そんなこんなで、磯釣りの事故について書いてみたが、僕自身自己判断による無理な釣行をして”ドエライ目”に遭った経験があり、人に対してエラそうなことは言えない。それは…
■隠岐での事故■
今から20年近い昔、当時妻とは交際中だったが、二人で島根県の隠岐へと旅行と釣りを兼ねて訪問していた最中の話だ。
隠岐の各島を廻り、最終の地である、中ノ島にたどり着いたのだが、その島の南端にある木路ガ崎(きろがさき)というところに灯台があって、その近くでキャンプをしながら釣りをしようとボクは考えていた。ポツポツと雨が降るものの、雨量は大したことはなく、何よりもそれまでの予定が狂ったおかげで持ち込んでいたオキアミが余っており、最終日のこの日に「それを撒き切ってやろう。」と考えていた。
灯台からポイントに降りるにあたって、地元の人間にとっては「勝手知ったる道」であるのかも知れないが、ボクには手がかりとして空撮写真しかなく、その写真に書かれている降り口(と言っても写真の上に点線が書かれているのみ)をたどって行った。
振り返ってみれば、アホなことだが、空撮写真を撮影した時からは時間が経ち、季節も違うから、そんなモノが役に立つハズはない。更に訪問時は真夏であったことから草木が生い茂り、踏み跡を確認してたどってゆくことは不可能だった。そうこうしているうちに、ぬれた草木に足を取られて少し滑落してしまった。落ちた段差の下から上を見上げると、重い釣り道具を持ったまま戻る気にはならず、とりあえず下に降りてエサを使い切ってから戻れば帰りは軽くなるとの判断から、更に下へ向かったのだが、岩伝いに垂直に切り立った岩壁を降りていた最中、掴んだ岩が外れてそのまま5mほどの高さから転落してしまったのだ。
着地した際に鈍い音と共に両足首から激痛が走った。どうやら重い釣り道具と重い体による衝撃の全てが両足首にかかってしまったようだ。しかし、不幸中の幸いでオキアミの詰まったバッカン(EVA樹脂製の容器)が、ウマく尻と岩の間に入って緩衝材の役目を果たしてくれたおかげで、腰骨や尾てい骨といったそれ以上の箇所には痛みはなかった。
「捻挫かヒビ程度だろう。」と、言い聞かせに近い自己判断をし、歩こうと思うのだが、どうにもこうにも自分の体が支えられず、タコのような”軟体足首”となってフニャフニャとその場にへたり込んでしまう。それと共に痛みが走り、どうにも耐えられない。
そこで辺りを見回すと、「天の助け」と言うべきか、「渡りに船」と言うべきか、地元漁師さんの操るサザエ採りの小舟が視界に入った。
そこへ向けて大声を出すと、有り難いことにこちらに近づいて来る。そして事情を説明すると漁師さんはボクを船内に収容して近くの港まで回航してくれるというのだが…。
しかし、灯台横には妻が一人で残っているし、マニュアルシフトの1BOX車を、当時はペーパードライバーだった彼女が運転することは危険だ。そのことでボクが困り果てていると、漁師さんが親切にも灯台横まで上がって、とりあえずの連絡をつけてくれると言う。
「どうやって?」と思ったが、聞けば、何とボクが降りた側と反対には、海から灯台へと行き来するためのステンレス製のハシゴが掛かっているというのだ。
そこを伝って漁師さんは妻に連絡をとりに上がっていったのだが、船に残ったボクの頭には「こっち側にこんなハシゴがあったのなら、何も無理をする必要は無かったのに…。」と同時に別の考えが頭をよぎった。
「このままだと、隠岐の島内に入院かも…。」
そうなると、中ノ島内に取り残される妻のことや、休み明けの仕事の手配、その他のことを考えると、「このままではダメだ。」という、思いが駆け巡る。そして次の瞬間に火事場の馬鹿力が出たのか、ボクは船を這い出て、膝と痛みの少ない右足の一部を使ってハシゴを登り、何とか灯台横の駐車スペースまで来ることに成功したのだ。
漁師さんには「島には残れない」という事情を説明し、島内の診療所を紹介してもらって、妻の運転で何とかそこに駆け込んだ。
診断の結果は、「レントゲンの調子が悪く、はっきりとは言えないが、恐らく両足首の骨折だろう。」ということだった。
診療所の先生の計らいで、便を早めてフェリーに乗り込み本土に戻ったが、その頃には両足はパンパンに腫れ、痛みで脂汗が出るほどだった。しかし、それを表情に出すと、途中の病院に入ることにもなりかねない。だから、自宅のある西宮市内の病院に到着するまでは、心配するる妻に愛想笑いをしながらこらえるしかなかった。
結局、妻の必死の運転で西宮市内の救急病院に駆け込んだ後に再診断を受けると、見事に左足首が1カ所、右足首が2カ所の計3カ所の骨が折れていることが発覚し、三日ほど腫れが引くのを待った後に手術を受けることになった。そしてこの日から約2ヶ月の入院を余儀なくされ、その間は車いすの生活を送っていた。
手術と治療の結果、両足で立ち、歩くことができるようになったが、今でも足首の動きは固く、和式のトイレで苦労することもある。
当時を振り返る度に、地元まで連れて帰ってくれた妻に感謝すると共に、打ち所が悪ければ半身不随以上、あるいは「命までもが…。」という状況だっただけに「よく死ななかったモノだ。」と、思いは巡る。そしてそれ以来ボクは素人判断での釣行は二度とすることは無くなり、渡船店利用でしか磯には上がっていない。多方面に迷惑を掛け、今でも反省することしきりだが、これがボクの教訓だ。