ドキッ 2011-06-21 22:38:00 | ばあちゃん記 昼前、会社で昼の用意をしていたら パパから携帯に電話が 1か月前も この時間帯にパパから電話で 義父の死を知らされた。 今度は義母が亡くなったとの知らせだと 思ったが・・・・ パパ「かかった?かけたはずないんやけど、おかしいなぁ」って 驚かさないでって・・・
お母さん、お年玉使うん? 2011-06-06 22:16:14 | ばあちゃん記 子供達が小さい時 義姉や義父たちに「お年玉」を貰うと 必ず義姉、義父達は子供らに 「お母さんに盗られんようにしいな」って 盗るって・・・ 気にしないようにって思っていたが 子供に「お母さん僕らのお年玉使うん?」って言われた時は悲しかった。 一度パパに正月に義姉たちの所に行くのはやめようって言ったけれど そりゃそうだよね無理だわ^^:: 子供達が成長して年玉がいらなくなると なぜかホッとした。 これで泥棒扱いされずにすむんだって。
義父の家 2011-06-06 22:15:20 | ばあちゃん記 家の片付けが続く 義父の家も片付けなくては PCの「ゴミ箱」みたく クリックしてポイッ 全消去ファイルの中を空にしますか みたいになればいいのに。 義父も義母も衣装持ち 新品のまま着てない服も 義姉も義母も宝石好きで 震災の時は宝石ケースを見せて 「これ高かったんよ」とか「○○ちゃん(私の名前)こんなの持ってないでしょう」とか 宝石にまったく興味のない私 デザインは気になるものの宝石には興味なし ただの石にしか見えないのだけれど 義母、義姉達は目を輝かせ自分たちの宝石自慢をしていた。 もちろん良い事です、好きな物に夢中になれる、それに確かに宝石の持つパワーは 私も感じる事がある ただ葬儀の後に松山の姉が私を疑った事 上の姉や義母や義父にも同じような事言われた事があり 義父の家には足を踏み入れたくないのです。 また何かなくなったと言われるもの嫌だし 家ごと消しちゃいたい気分です^^
つい 2011-06-06 22:14:20 | ばあちゃん記 義父の葬儀やらなんやらで 義母と義姉達の事でイライラ 義姉達が来ると思うと 毎日片付け物やらなにやらで 自分の時間がないと言うか 心の余裕がないって言うか たまに夫婦の休み、愛犬つれて出掛けたい 映画も見に行きたい、あれも、これもと 残りの自分の人生を思うと 今体が動くうちに行きたい所いっぱい なのに あけてもくれても家と会社の往復で ちよっと心にトゲトゲ発生 末っ子に怒鳴ってしまった。 それは末っ子の衣装ケース それを2階の子供らの部屋の前に置いたのに またもや下に持って降りた末っ子 しかも置いた場所が部屋のドアの前 玄関はいってすぐに見える場所 「こっちが片付けているっていうのに」と その衣装ケースを片付け 中に入っていた服を別のタンスに入れ直し また部屋の片づけしていると 末っ子が「ケース上に持ってあがった方がいいん?」って 末っ子はケースではなく 中の服をどこになおしたかと聞きたいのを 遠まわしに言っている。 「いらないから下に持って降りたんでしょうが、 ばらして外に出した、燃えないゴミの日に出す」と言うと黙って二階へ しまったキツイ口調で言ってしまった これじゃ私の嫌う義父達と同じじやないのと 反省・・しかし 2階に置く場所ないって・・・・8畳と6畳の2部屋、 2人で使うには十分の広さだと思うんだけれどなぁ。
パパの気遣い 2011-06-06 22:00:01 | ばあちゃん記 お坊さんに来ていただく日が 6月26日に そして 49日の法用が7月3日に決まり パパの気遣いで 49日は自宅ではなく会場を借りてくれた 費用はかかるものの 精神的に楽です、パパに感謝 義姉と顔を合わすのは苦痛ですが 義父が安心して天国へ行けるよう 49日、そして初盆 今年は色々忙しい。
たかだか 2011-05-27 19:10:32 | ばあちゃん記 義父の葬儀準備でバタバタ 義姉は会うたびに「たかだか時給いくらの仕事して」と言う 自分の娘の方が稼ぎが良いだのなんだのって 実際私が働く会社を見たら きっとね もっと馬鹿にするんだろうと思います。 たしかに給料は安いし 社長ゴメン みた目、いや内容だってボロい? けれど 誰かに必要とされているってのが 今の会社にはあって お金とか物とかではない大切な物がある 必要とされているとか、お互いを思いやる なにより人徳があるって事は 素晴らしい事だと思う。 義姉にすれば鼻で笑うような給料でも 私にとっては重たい意味のある事で 数字ではない目には見えない物が そこには詰っているんだと そういう事に気づけた事に感謝 誰かに必要だって思われる事の喜びに感謝 私を必要ってしてくれているのは 会社と愛犬風馬だけかも^^
1週間 2011-05-26 22:23:34 | ばあちゃん記 義父の死から1週間たちました。 早いような遅いような 49日まで、いや 初盆までは気が休まりませんが 初盆までの事を考えると気が重い 父方の祖母が亡くなった時 年はハッキリと覚えていないが確か70代だったと思う。 通夜、葬儀では皆が「孫の祭り見たいな物だから皆笑って送りだそう」と 長男の奥さんの事を考え49日も1周記も たいそうな事はせず 近くの寿司屋さんで身内だけで食事をした それでいいのだと思う 義父だって一人息子に負担はかけたくないだろうと思うが 義姉が黙っていないだろうきっと 家族葬にと始めは言っていた義姉 結局は葬儀をする事に まだまだ精神的に落ち込む日々が続きそう いくつになっても パパは3人兄弟の末っ子 上に姉2人で 初めての男の子と言う事もあって 義父も義母も可愛がって育てたと言う。 義姉達と比べて手のかからない大人しい子 だったと義母が話してくれた事を思い出す。 きっとその遺伝子が息子らに受け継がれたのだろう。 私が産んだ子にしては出来の良い子だから^^;; 私の遺伝子を受け継いだならば ハチャメチャ息子になっていたに違いない^^ 義父の葬儀でパパの挨拶 「父に怒られた記憶がない」と そうだと思う、いやきっと怒るとか叱る そんな事の必要がないパパだと思う。 義姉からは「じいちゃんに子供の頃馬乗りになって叩かれた」 とか「じいちゃんに張り倒されて土間へ落ちた事がある」 と聞いた事があり、これもまた「叱る必要があった」 からではないだろうか? そして葬儀で喪主として立派に挨拶したパパ きっと思いっきり泣きたかっただろうに いくつになったって親は親 89歳まで生きていてくれたからと諦めるには 子供としては「もっと」と思うのは当然 パパは私が自分の親の時泣くのを我慢した そんな私に気配りを見せてくれたのかも お世辞とか言えないパパだけに 時折見せてくれる優しさ きっとこの遺伝子は義父や義母の中にも あると信じたい。
末っ子の成長 2011-05-22 21:20:14 | ばあちゃん記 義父の葬儀の朝 バタバタ一人で片づけをしていたら 今まで甘えん坊の末っ子が 初めて色々と手伝いをしてくれた。 そして笑えたのが 寝起き まずはじめに義父の祭壇に手を合わす 義父は祖父としては優しい人だったらしい^^ だが隣に祭っている私の両親には無関心で 言うと「だった知らないから」って 確かに 子供たちは私の親の事知らないわ せめて私だけでも両親の事思い続けていたい。
結局は 2011-05-22 21:10:19 | ばあちゃん記 義父の葬儀の時 パパの言葉 「父に叱られた記憶はなく、通夜の夜、姉とも話したのですが この家族に生まれてきて幸せでした」と けして裕福ではない家庭だろうが、確かに親子の愛は深い それは嫁いだ私が入る余地のない世界で 私が結婚1年後に両親を亡くした時も 義母の冷たい言葉に亡き、産まれたばかりの息子を抱き両親の後を追おうと思った事 弟を引き取った後も、阪神淡路大震災の時も、 私はひとりきりでした ただ、子供がいた、だから頑張れた 今また私は一人きりで この3日間辛かった 松山の姉には「私の化粧品知らないか?」と言われ (私は化粧しないつーの^^) 義姉には色々言われ 子供たちも成長した今 両親の所へ行きたいが、まだ迎えは来ないみたい・・・ この3日間パパ達は家族で私は一人 ずっと見ていて辛かった 部外者なのだ所詮嫁は嫁です。
亡き父へ 2011-05-22 06:46:17 | ばあちゃん記 亡き父 私は亡き父に一度も叱られた事がなく また手を挙げられた事もない 優しい父だった お酒の好きな人で 飲みすぎると心配する私に「これだけが楽しみだ」と 義父と義母は私には、とてもきつい人で 叩かれた事もありますが きっとね 義父たちは早くして親を亡くした私に 自分たちが二人分の親代わりと思っていたのでしよう 亡き父へ 義父の遺骨を持ち帰った時に 「そちらに義父がいきます、一緒に大好きなお酒飲んでくださいね」と頼む 89歳まで全部が自分の歯だった義父 最後は 大好きなお酒もいや 水が飲みたいって言う事さえも酸素マスクしていて 叶えてあげられなかった もう痛い思いも 苦しい思いもしなくていいから 好きなだけ飲んで 好きなだけ食べてね。
夜 2011-05-22 06:38:59 | ばあちゃん記 昨夜は 子供たちを義姉たちが食事に誘ってくれた 夫婦だけが残った でもって 夫婦だけで外食 近くの ごちそう村へ 行きがけはパパが運転 帰りは私 パパ飲むからね^^ 帰ると ちょうど長男たちも帰ってきた 義父の祭壇の前で あれやこれやと義父の思い出話を 今朝は次男が出勤前に 義父に供え物を・・・・・ 義父も喜んでくれているだろう 私の父と義父 今頃一緒にお酒飲んでいるだろうか?
2つの 2011-05-22 06:29:15 | ばあちゃん記 25年前 50代で亡くなった私の両親 その祭壇が我が家にはあります。 当時は弟が10歳だったため 姉の私がと言う事で 弟が成人してから弟に引き継ぐって感じだったのが 弟にはその意思なさそうでして・・・ 義姉は「一家に2つの祭壇は良くないって言うけれど、 2つあったっていいと思う」と 義姉の所には義兄の仏壇があるし 下の義姉は? いや パパが長男なんだから 骨あげ終わり 自宅に帰るとき 義姉が「ちゃんと祭ってあげて大事にしてあげて」 何度も頼まれた 帰る車中のなか 小さくなった義父 泣くもんかって決めたのに 懐かしい義父の住む町、私たちも新婚時代を過ごした懐かしい街 そして 子供たちの宮参りをした神社など 義父の骨壷を抱きながら 「じいちゃんお疲れ様、私たちの家に帰ろうね」と 涙が込み上げてきた。 自宅の床の間に・・・ 私たちより先に 葬儀社の方が来られていた 待たせてしまって・・・すみませんと言うと 「いやいいですよ」と 丁寧に祭壇を作ってくださった。
告別式 2011-05-21 06:24:16 | ばあちゃん記 告別式の朝 昨夜は通夜が終ってから自宅に帰ったのは 午後9時過ぎ 家の片づけをと思ったが 精神的に疲れていたのか 布団を引く間もなく寝てしまった 気がついたら朝の5時 ヤバイ・・・掃除だ 普段から掃除していればいいものをと 義父の声が聞こえそう^^ 朝8時過ぎ 自宅を出る ガソリンを入れてから・・・・と 義父の祭壇 義父の家に着くと 買い出しにパパと走る 義姉の「黒染めスプレー」までたのまれた^^ 人使いが相変わらず荒い 自分の家族は使わずに・・です 結婚25年慣れましたけれど
通夜 2011-05-20 06:19:56 | ばあちゃん記 義父の通夜 義姉たちと話した時は「家族葬」で、後々の事も 私たち夫婦に負担のないようにと 嬉しい言葉だったのに・・・ 毎度の事ですが 言う事がコロコロと変わる 上の義姉 通夜から告別式、骨あげ 神経がズタズタです 絶対上は102を超えた事のない血圧が 200までにあがっていた・・・ うそ?って計りなおしてみたら それでも130だった・・・・ ただ血圧計が壊れていたのか? だったらいいのだけれど
泣かない 2011-05-19 23:48:17 | ばあちゃん記 両親を亡くした時に 義両親、義姉たちに言われた言葉 だから 決めていた 義両親が亡くなった時は 絶対に人前では泣かない って 会社で訃報を聞いた時 一人 炊事場で泣いた 「じいちゃん よく頑張った、ごめんね じいちゃんの最後の言葉私には聞き取れなかった じいちゃんが言った 親が死んだぐらいで泣くな母親だろう って言葉 頑張って 人前では泣かないからね、今だけ、ここでは 誰も見てないから 今だけ じいちゃんとの別れさせてね、泣かせてね 思いっきり泣いたら じいちゃんの言うとおり 泣かずに頑張るからね、じいちゃん天国で私の父や母とゆっくり話してね」 って さぁ 義父の葬儀まで泣かないで頑張れるか? 大丈夫 きっと 予定では・・・・・ 義両親より先に 私が人生に幕下ろすはずだったのにな 私はいつ父や母、兄弟のいる所に行けるのだろうか?