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夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

大学の文系

2015年10月28日 13時48分00秒 | 日記
国立大学の文系を廃止すると国家の根幹を揺るがすことになる、と大学教授が言うらしい。だろうな、失業するから。バカも休み休みに言わないか、ティラノザウルスが目の前に来ているのにその解剖学的所見などを延々論議するような”アホのバカ乗の集合”なんかわが国には要らない。百害あって一利なし。大体我が薩摩の国では勉強が秀才で相撲は弱い奴を『聖人』と呼んで皆で密かに笑った。聖人なんか要らない。大体ガクシャとかヒョーロンカとかベンゴシとか言う連中は好かない。口で、顎を叩いて仕事をする奴は胡散臭い。

ショーセツカも余り好きではない。読んで字のごとく”小さい人”の”説”・・・ジャクチョーとか言う”大輪の花を咲かせるタメには他の枝は切らなければいけないのね”と言って幼い子供を捨てた・・・こんなのに人の心臓を鷲掴みにする文章など書けると思わないし大体初めから読まない。ノーベル文学書を取ったからと言って自分の言行がどえらい影響があると錯覚して老醜を曝しに出てくるようなのもその行い自体で中身を暴露している。

文科系大嫌いだ!息子達、首から上で生きるようなものになるな。足を地面に付けて神さんのエネルギーを足の裏から貰って(地球そのものが神である、・・・聖書を読んでいればフ・フーンそーか!とわかる)そのエネルギーで生きるのだ。間違ってもガクシャセンセー、聖人、などになってはならない。



特別な存在・・・弟

2015年10月27日 05時41分48秒 | 日記
岸恵子と川口弘の映画に『弟』というのがあった。日本で弟と言う存在は何だか特別な・・・どう言えばいいかな、兄が居れば兄の蔭に、『あっ、もう一人居るんだ!』との存在、姉が居れば『姉から特別に愛される』存在、のように勝手に思える。与謝野晶子に出征する弟を渾身気遣った詩があるではないか。・・・ああ、弟よ君を泣く、君死に給うことなかれ・・・と。

源義朝のすぐ下の弟は源義賢だった。彼は義朝の長男、義平に攻められ討たれてしまった。幼児だった義賢の子供、義仲は斎藤別当実盛に護られて逃れ、長じて平家を都から追い出したが長男家の頼朝に討たれてしまった。・・・次男家の不運!
織田信長の弟は乱暴者の兄と違って母や大人達から大事にされたが信長によって謀殺されてしまった。
徳川家光の下には忠長と言う弟が居て母親は弟の方を愛したが家康の裁断によって蟄居させられ、その終わりは不幸だった。
高師直は弟だったが兄の師泰をしのいで出世した。少ない例外のようだ。

我が家は長男であって頭は良いが泣き虫の父だけが残って叔父たちはみな戦死した。
母方も体の弱い(母親が溺愛すると子供は病気ばかりするようになる)兄の方が生き延びて弟は陸軍幼年学校に入れられて休暇で帰省の船が魚雷攻撃で沈没、フカに食われてしまった。
私にも年子の弟が居たが乳児の時に死んでしまった。弟が生きて居れば私は辛気くさい家庭で孤独の戦いをせずに済んだのではないかとの思いが歳とともに募る。

子供たちが小さい頃、私は貧乏した。妻も働きに出ていて次男は幼稚園から帰ってもひとりぼっちだった。ある日、偶然にも帰るところを見た。園児がみんなで『先生さようなら、皆さんさようなら』と言って解散した。次男は、心なしかトボトボとうつむいて帰り始めた。『母親が居ない家に帰るのは寂しいだろうな、かわいそうだな』と思って物陰から暫く見ていた。・・・と、丁度小学校が退けて帰りがけの兄が後ろから追いついて、つと弟の手を引いて帰って行った。忘れ難い思い出である。息子達に出世など望んでいない。財物など要らない。ただ、一つ願う事は終生兄弟仲良くあって欲しい、と言うことだけである。

パラソル

2015年10月25日 12時23分31秒 | 日記
      パラソル

暑いわね・・・と君はパラソルを開く
午後の驟雨の後 サルビヤの花が燃える
・・・子供たちの喧噪は 幻聴のようだ・・・
夏空に開いた万華鏡の下で
君の頬は輝き 十九歳の時が流れる

・・・・・・・・・・詩集『台北』

道東幻視

2015年10月25日 11時57分08秒 | 日記
道東幻視
眠れない夜 思い出す 阿寒 厚岸 釧路 の風景
草原 白樺の木 湖畔のホテルに 燃えたかがり火
ウォールランプの下 グラスの輝き 甘いダイキリ



コンキリエ 二つの海の傍らにまどろむ街 冷たく乾いた風
霧の街の喫茶室 大窓を濡らして過ぎた雨
コーヒーとピザの香り
記憶は歳月に遠のき 思出の額に納まる





人が一人でいるのはよくない

2015年10月25日 08時46分43秒 | 日記
人が一人で居るのはよくない。助け手として女を創ろう、とは聖書の冒頭で人類創造の神の言ったことである。そして神はアダムを深く眠らせ、そのあばら骨を取ってエバを造った。

君はこの深遠な意味を洞察出来るかね?

女に探究心がないなどと乱暴な事は言わない、後が怖い。が、男の探究心はもっと強烈で執拗である。確かに、何かを失っているのだ、あばら骨で象徴されている何かが欠落しているとの喪失感が男を飽くなき探求へと向かわせる。無論彼はその詳細な根拠など知りもしない。

その探究心なるある種の集合体が適切に力を発揮すると、芸術、科学、工学、探検、発見、発明等々の素晴らしい業績を上げる。しかし不適切に発揮されると カネを探究してバクチに狂ったりオンナを探究して色情に狂ったりする。実はこの適切と不適切の中間辺りに 放浪癖と言う愛すべくもショーのないものもある。女性のバクチ狂いや男狂いはあるかもしれないが余り聞かない。そこからも男性と女性の探究心の差が読み取れる。

では、元々アダムのあばら骨であった第二の人の責務とは何か?・・・答えは簡単である、男の探究心を満たしてやることであろう。それは何か?・・・思うに『美しく身を飾っていなければオンナの資格はない』言葉は悪いが、婆さんや大阪のオカンなどは男の探究心や創造意欲を掻き立てない。

女性が概念のオンナを目指さなく成る時、一遍に色あせて存在意義を失う。断っておく、婆さんが総てオンナではないとは言わない、カワイイ婆さんも居るよ!カワイイ婆さんは日本には結構居る。かわいくない女性はどんなに立派な業績、どんなに立派な良妻賢母でも私は評価しない。ウソだと思うなら織田信長や徳川家康にまた景行天皇に聞いて見ればいい。

さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて とはし君はも   万葉 詠み人知らず