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夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

放浪癖

2015年10月28日 23時52分48秒 | 日記
若干の放浪癖がある。癖と言うよりは指向か? 高等学校の時はインカ文明の虜になっていた。フォン・ハーゲンの”太陽の道”を繰り返し読んだ。大学では『西域病』と言う精神病に罹っていた。敦煌、楼蘭、亀茲、天山山脈、崑崙山脈、タクラ・マカン、ゴビ、アルタイ山脈なんて文字を見ただけで発作が起こった、勉強そっちのけでスウェン・ヘディンの中央アジア探検紀行を読んだ。大学院に入ると今度はカミニートに始まってパンパ放浪に魅了されてしまった。

後遺症が残った。未だに奇妙な白昼夢に捉われる。南米の草原だのアンデスの何処かを放浪してどこかに消えてしまう・・・後年息子たちが酒を飲みながらオヤジの奴一体どこへ行ってどこで生きて居るのやら死んだのやら、と言うようになればカッコイイな、と。或る時それを言ったら『そんなのお兄さんの身勝手ですよ』と義妹から言われた。そうかな?こっそり蒸発してどこか場末の屋台で誰とも知らぬ人々と酒を飲むなんて何だかわくわくせんかな?

『おまえそんな夢を見てると本当に糸の切れたタコになるゾ』と悪友は言った。瀟洒なホテルだの新幹線だの飛行機だのに余り感動できない。各駅停車で行き会い停車する単線夜行列車で居眠りしながら延々と走る、走馬灯のような車窓を見るともなく見る、・・・川端康成の『雪国』に名文があるじゃないか、そして木賃宿に泊まる、そういうミニ放浪に憧れる。

夢を見た。どこか北陸の大きな古い女郎宿に泊まっている。女たちが何かの準備で忙しく動いている。立って廊下に出て白い靄に霞んだ海を眺めた。薄青い島がぼんやり浮かんでその周りに白い波が寄せていた。いつの間にか横に若い女が立っていて二言三言話しかけて来たが虚ろな反響を残して消えた。

ハルマゲドン、つまり諸国民の時の終焉が完了して人類が本来の予期された生き方になった時、・・・生きて居ればの話だが、リュート一つ抱えて人の家に客人となって歩き廻りたい。無論そういう事が可能な時代になっていると言う条件で。

まあ、自動車もウチュウロケットも飛行機も、あっていいだろう、好きな人も居るだろうから。私は余り興味がない。ソローの”森の生活”、ヘッセの”クヌルプ”、ノヴァーリスの”青い花”はみなこの傾向の物語であり、川端康成の”雪国”また然りである。木賃宿で”おかめ”の給仕で麦飯と塩鮭に卵焼きとダイコンの味噌汁の夕飯、共同浴場で田舎の婆さんとおしゃべり、シンシンと底冷えのする夜に搔い巻きを被って真っ暗な山鳴りを聴きながら眠る、そんなのがいい。

大学の文系

2015年10月28日 13時48分00秒 | 日記
国立大学の文系を廃止すると国家の根幹を揺るがすことになる、と大学教授が言うらしい。だろうな、失業するから。バカも休み休みに言わないか、ティラノザウルスが目の前に来ているのにその解剖学的所見などを延々論議するような”アホのバカ乗の集合”なんかわが国には要らない。百害あって一利なし。大体我が薩摩の国では勉強が秀才で相撲は弱い奴を『聖人』と呼んで皆で密かに笑った。聖人なんか要らない。大体ガクシャとかヒョーロンカとかベンゴシとか言う連中は好かない。口で、顎を叩いて仕事をする奴は胡散臭い。

ショーセツカも余り好きではない。読んで字のごとく”小さい人”の”説”・・・ジャクチョーとか言う”大輪の花を咲かせるタメには他の枝は切らなければいけないのね”と言って幼い子供を捨てた・・・こんなのに人の心臓を鷲掴みにする文章など書けると思わないし大体初めから読まない。ノーベル文学書を取ったからと言って自分の言行がどえらい影響があると錯覚して老醜を曝しに出てくるようなのもその行い自体で中身を暴露している。

文科系大嫌いだ!息子達、首から上で生きるようなものになるな。足を地面に付けて神さんのエネルギーを足の裏から貰って(地球そのものが神である、・・・聖書を読んでいればフ・フーンそーか!とわかる)そのエネルギーで生きるのだ。間違ってもガクシャセンセー、聖人、などになってはならない。