聖書は首尾一貫して神が意図した世界が如何なるものか、そしてそれが必ず成る、ことを述べ、その凡その工程を暗示している。・・・我々人間がそれを知るよしもない。
カルト宗教はその『時』を懸命に探ろうとする、或いは予言しようとする。しかしまさにそれが”カルト”の証拠である。”終わりの時はいつか?”、”ハルマゲドンはいつ来るか?”、などの詮索は”時に信仰を持つ”ことであって、宇宙或いは宇宙の主である神に頼むことではない。
インターネットはこの今までの世界が倒壊した後に始まる新しい世界を薄々感じさせるとは思う、と言うよりはインターネットの世界はこの我々が知っている地上世界と相当違う。
もともとこのブログを書き始めたのは、破壊されてしまった、血縁、地縁、カイシャ縁などなどに代わるネット縁をできないか、と言う意図があった。何事かを運営するに”対価の概念が必要”との妄想はその『縁』の中では不要になりはせぬか、できないか、と言う思いがあった。
人間を不自由にしている、不幸にしている、無知蒙昧に放置している、たった一つの思い込み、それが”対価の概念”であると私は思う。世界は”全体の概念”、”愛の概念”、”奉仕の概念”、で動くはずだ。
そこを見えなくしている何ものかが居る。”対価の概念”に由来する様々の葛藤、流血、紛争、苦しみ、そう言ったものを餌にし、それを執行猶予のよすがにしているものが見えない姿であなたのすぐ後ろに居る。
日々の報道、広告、目に入るもの、耳に聞こえることば、ありとあらゆるものがその物がしかけた”騙し”に満ちている。
”あなたは奥の部屋に入り、戸を閉めなさい”とイエスさんは言った。どういうことか?全ての外界からの情報をシャットアウトし、”心眼で観る”。
カルト宗教はその『時』を懸命に探ろうとする、或いは予言しようとする。しかしまさにそれが”カルト”の証拠である。”終わりの時はいつか?”、”ハルマゲドンはいつ来るか?”、などの詮索は”時に信仰を持つ”ことであって、宇宙或いは宇宙の主である神に頼むことではない。
インターネットはこの今までの世界が倒壊した後に始まる新しい世界を薄々感じさせるとは思う、と言うよりはインターネットの世界はこの我々が知っている地上世界と相当違う。
もともとこのブログを書き始めたのは、破壊されてしまった、血縁、地縁、カイシャ縁などなどに代わるネット縁をできないか、と言う意図があった。何事かを運営するに”対価の概念が必要”との妄想はその『縁』の中では不要になりはせぬか、できないか、と言う思いがあった。
人間を不自由にしている、不幸にしている、無知蒙昧に放置している、たった一つの思い込み、それが”対価の概念”であると私は思う。世界は”全体の概念”、”愛の概念”、”奉仕の概念”、で動くはずだ。
そこを見えなくしている何ものかが居る。”対価の概念”に由来する様々の葛藤、流血、紛争、苦しみ、そう言ったものを餌にし、それを執行猶予のよすがにしているものが見えない姿であなたのすぐ後ろに居る。
日々の報道、広告、目に入るもの、耳に聞こえることば、ありとあらゆるものがその物がしかけた”騙し”に満ちている。
”あなたは奥の部屋に入り、戸を閉めなさい”とイエスさんは言った。どういうことか?全ての外界からの情報をシャットアウトし、”心眼で観る”。