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夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

新しい世界

2012年07月31日 22時40分00秒 | 日記
 聖書は首尾一貫して神が意図した世界が如何なるものか、そしてそれが必ず成る、ことを述べ、その凡その工程を暗示している。・・・我々人間がそれを知るよしもない。
 カルト宗教はその『時』を懸命に探ろうとする、或いは予言しようとする。しかしまさにそれが”カルト”の証拠である。”終わりの時はいつか?”、”ハルマゲドンはいつ来るか?”、などの詮索は”時に信仰を持つ”ことであって、宇宙或いは宇宙の主である神に頼むことではない。
 インターネットはこの今までの世界が倒壊した後に始まる新しい世界を薄々感じさせるとは思う、と言うよりはインターネットの世界はこの我々が知っている地上世界と相当違う。

 もともとこのブログを書き始めたのは、破壊されてしまった、血縁、地縁、カイシャ縁などなどに代わるネット縁をできないか、と言う意図があった。何事かを運営するに”対価の概念が必要”との妄想はその『縁』の中では不要になりはせぬか、できないか、と言う思いがあった。
 人間を不自由にしている、不幸にしている、無知蒙昧に放置している、たった一つの思い込み、それが”対価の概念”であると私は思う。世界は”全体の概念”、”愛の概念”、”奉仕の概念”、で動くはずだ。
 そこを見えなくしている何ものかが居る。”対価の概念”に由来する様々の葛藤、流血、紛争、苦しみ、そう言ったものを餌にし、それを執行猶予のよすがにしているものが見えない姿であなたのすぐ後ろに居る。
 日々の報道、広告、目に入るもの、耳に聞こえることば、ありとあらゆるものがその物がしかけた”騙し”に満ちている。
 ”あなたは奥の部屋に入り、戸を閉めなさい”とイエスさんは言った。どういうことか?全ての外界からの情報をシャットアウトし、”心眼で観る”。

この世ではない、少しあの世に近い・・・インターネットの世界

2012年07月31日 22時25分10秒 | 日記
 色々の人のブログを読んで興味を持ったらコメントを入れる。返事を見る、場合によってはメールのやり取りもする。そうしながらふと、昔見た”田園交響曲”と言う映画を思い出した。
 盲目の幼女を教区の牧師が引き取り育てる。幼女は少女に、そしてうら若い娘に成長する。その間牧師が実生活も精神面でも養育する。ところが・・・医療技術の進歩によって、診断の結果視力を回復できることになった、回復した。そうして娘の見たものは・・・微かに恋心を抱いていた相手が実は老いさらばえた老人であった。失意の大きさに彼女は自殺する。
 この三次元世界では人の本態である揺らぎ、或いは波動はオーラと実際の姿として現象化している。考えようによってはそれは不自由でむごい事だ。姿もオーラも見えないネット上での、”親しい人、自分が理想と考える人格”が親と子程に年齢が違うかもしれない。
 しかし、考えても見よ、それが人間本来のあり方だ。年齢とはこの地上四次元世界での仮のものだ。人は本来そういう壁、年齢も国籍も人種も、性別も一切ない世界での生き物なのだ。
 だからインターネットの世界はあの世に似ている。

生きるだけでいい

2012年07月31日 22時02分54秒 | 日記
 庭で雑草を取りながらふと頭に浮かんだ。
 若い頃は、・・・いや、つい最近まで、”何事かを成し遂げなければこの世に生まれた意味はない”と考えていた。例えば、今までに知られなかった何かの価値を残す、業績を上げる、何かを修得する、等々。
 昨夜、”生きることにも尽々疲れた”と、考えるままに書いていて、その結論は”人間としての生、生活とは宇宙の経験のためのセンサーである”となってしまった。それを思いめぐらしながら蚊を追い払い、草取り鎌を動かし続けた。
 すると、”人の本来の存在意義とは自分が遭遇する運命を甘受すること、それに或いは歓喜し、或いは苦悩し、色々あるが十分に味わい尽くすこと”である、とふと閃いたのだ。
 座り込んでしばらく考え込んだ。脅迫観念が去った! つい今朝まで”自分はこんなのでいいか?何の成果も上げぬ人生をだらだら続けてやがて死ぬ、そんなことでは何の為にこの世に来たかわからないではないか”と常に自責の念があった。同時にただ漫然と日々を過ごすかに見えている人々を心ひそかに”何と愚かな!”と考えていた。
 だが、まさに宇宙は、或いは神は、情報取得の為にある発信をしたのだ、ある波動を、或いは揺らぎを起こしたのだ、それが私だ、と、ふと閃いた。で、あれば何も焦ることはない、”人生を味わい尽くす、それが快であろうと不快であろうと”、それが謙遜と言うものだ、との結論に達した。今朝起きた時の自分と今の自分は『最早全く違う』ものになってしまった。

疲れ果ててている

2012年07月30日 23時11分38秒 | 日記
 数十年の疲れが出ているのであろう。
オリンピックだ、メダルだ、国威発揚だ、とシャカリキに騒ぐのを見たり聞いたりすることに疲れた。
 消費税増税だ、いやそうはさせない、離党だ、脱原発だ、と騒ぐのを見たり聞いたりすることに疲れた。
 世界経済がどうであるのこうであるの、国際収支がどうなっただの、領海問題だの、北方領土がどうであるのこうであるの、などと言うのを聞くことに疲れてしまった。
 小学校、中学校、高等学校の試験問題を見る、・・・要するに”採点しやすい問題を作っているだけじゃないか、子供たちのほんとの学力なんて考えてないじゃないか”、”数学や英語の名を借りたゲームじゃないか”、こんなものを見ることに疲れた。
 もの造り、もの造り、・・・・一体いつまでものを造れば気が済むのかい、それしか能がないのかい?
 どうして我が家にこんなにガラクタがあるんだろう。いつの間にこんなに集まったのだろう、エエイ棄ててしまえ、でごみ処理場に通って疲れてしまった。
 梅雨で庭は草茫々、木の葉も生垣も伸び放題、それに藪蚊がワンサとたむろして全身覆っていても衣服の隙間、布の目の隙から刺す、猛烈に、気が狂うほどに痒い!!頭の回りを熊蜂が飛ぶ、襟の間から羽虫が刺す、庭に降りると2時間でくたくたになる。
 雑然とした町並み、雑然としたカンバン、ひっきりなしに聞こえるバス内での案内や宣伝、電器店の聞き苦しい音楽、歌、つまりは騒音、雑然として蒸し暑い猛暑のアスファルト、ビルの脇の室外機、ほうほうの体で山に逃げ帰る。
 
 人間はどうしてこうも世の中を、世界を複雑にしてしまったのか??単純で平明で、静謐に満ちた世界は何故実現できないのか?この煩わしい世界が神の意図か?
 何故、生きるために貨幣がいるのか?誰がそうしたのか?神がしたのか?何故”努力”と言うばかばかしいことが立派なことなのか?草原に寝転んで、雲を眺めて生きる、それが何故つまらないことなのか?なぜそれが出来ない、何故そうさせない?神がそれを禁止しているのか?
 だったら”あなたは園のどの樹から採って食べてもよい”と何故神は言った??
  
 誰かが俺たちを巧妙に騙しているんじゃないか?星空は見るために公開されといるんじゃないか?草原を渡る風は”le vent ce leve,il faut tenter de vivre! と歓喜するために吹くんじゃないのか?誰かが俺たちを騙して、そんな遊んでいると死ぬと言ってるんじゃないのか??

 ロケットを上げることよりも、俺の国がエライと威張ることよりも、どうだ凄い鉄道網だろうと威張ることよりも、国民が金持ちだと威張ることよりも、いい家に住んでいると自慢することよりも、夜空の星に心打たれ、海辺で貝殻を拾って耳にあて、浪の音を聞き、はだしで歩き、雲を眺める、・・・そっちのほうが俺は好きだし意味があると思う。
 人間は宇宙の喜びのよすが、手段、感知器、として造られているのだ。何かを成し遂げなければならない、などと言う、そんな妄想を誰が植えつけた?? そんな立派なものである必要はない。
 

女性について2、だが本当は男について

2012年07月29日 14時58分29秒 | 日記
 妻は女子高、女子短大の先生である。それに我が家に女の子たちがピアノのレッスンに来る。随ってこれらの人々に関する体験を話す。それを聞いていて”女と言うものは俺たちと全然違う生き物だ”と思う。感性が違う、言葉が違う、視点が違う、みんな違う。
 聖書は男のアバラ骨から・・・無論象徴表現だろう・・・女を創った、とある。医学的にも”女を男にするよりは男を女にするほうが簡単”らしい。それはともかく妻の誕生日だからと、学生が実にこまめにカードを書いたり紙で飾り物を作ったりシュークリームを持って来たりする。
 自慢じゃないが男にそういう感性はない。尊敬するご老体が居たが別段誕生日かれこれではなかったけれど温泉に伴って背中を流したりメシを食ったりしたことはあった。男の場合はあまりはっきりは言わない。今日は貴殿の誕生日ですね云々・・・なんてのはない。そんなもん些細なことだよ、との返事が予想されるから。しかし”あの時あいつがあんなことをしたのはもしかして・・・?"と言うようなことをする。 つまり男は見かけに相違して”奥ゆかしい”のである、決して直接的表現はしない。
 もう60年も前のことになる、近所の兄ちゃんがしてくれたことの意味が今頃わかる。愛惜の情がこの真夏のあの時と同じような暑い空に燃え上がる。