鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅳ216] 女が男を保護する事(16) / 女の十全性/男の完全性    

2023-02-05 22:15:45 | 生涯教育

脇道が長くなって戻るべき道が見えなくなりそうなので元に戻る。

「ヨブ記」に関してはもう一冊の名著がある。ユング『ヨブへの答え』(C.Gユング、林道義訳、みすず書房、1988初版)である。ユング(Carl Gustav Jung、1875-1961)は、スイス生まれの精神医学者。ユングは「ヨブ記」の書かれた時代を紀元前六百年から三百年の間、ソロモンの「箴言」から遠くない時期に成立したとする。ユングは「箴言」にはギリシアの影響の《印》が見られるが、それは《ソフィア》すなわち《神の知恵》、《完全に永遠なるもの》、創造に先立って存在せるもの、ほとんど実体化された女性的なプネウマ(注:霊のこと)であると記す。

ここで《ソフィア》とは、「ヨハネによる福音書」のロゴス(注:1:1「はじめに言〈ことば〉があった」の〈言〉)と同じ性質を持っている。彼女(ソフィア)は初め深みを孕んでいた。そして神と同様に彼女はその玉座を天に持っている。神と共にいることは《永遠の聖婚》を意味している。宇宙のプネウマとして彼女は天と地とあらゆる被造物に浸透している。そしてキリスト誕生前の数世紀の人々が、存在に先立つ《ソフィア》に触れてヤーヴェ(父神)と彼の振舞いを補償して、同時に知恵を想起したのである。知恵は高度に人格化され、それによって自らの自律性を表明しつつ、父神ヤーヴェに立ち向かう親切な弁護者として人々の前に現われ、神の明るい・情け深い・正しい・愛すべき・性質を示した、と記す。この《ソフィア》こそが新約聖書のキリスト・イエスの母《マリア》である‥これがユングの神観である。

「ヨブ記」が執筆された当時は父権的な男性社会から成っていて、女性は二次的な意味しか与えられていなかったのはごく自然なことであった。女性が劣っていることはわかりきっていた。女性は男性よりも不完全であり、それは「創世記」でイヴが楽園で簡単に蛇に誘惑されたことからも明らかであると考えられていた。ところがである。ユングは次のように記す。

『「完全性」は男性の望むことであり、それに対して女性は本質的に「十全性」を求める傾向がある。そして実際今日でもなお男性は長期にわたって相対的な完全性により、よく耐えることができるのに対して、完全性はたいてい女性の性分に合わないし、危険なものとなることさえある。女性が完全性を追及すると、十全性というこの補完的な役割を忘れるはめに陥る。十全性はたしかにそれ自体としては不完全であるが、しかしその代わりに完全性にとって必要不可欠な対極をなしているのである。なぜなら十全性がつねに不完全であるのと同じように、完全性もつねに十全ではなく、それゆえ最後に行きついた絶望的に不毛な状態だからである。《完全なものからは何も生まれない》と昔の賢者は言っているが、それに対して《不完全性》は未来の改善の芽を内に含んでいる。完全性は必ず袋小路に行きつくが、十全性は一方的な価値を欠いているにすぎない。』(p.55)‥と。

私はここで多田富雄氏の言葉を思い起こす。人間は元々は女性なのであって男性はそこから派生した生き物にすぎない、女性は存在であり男性は現象にすぎないのだ‥‥と。


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