イワツツジの中にコシアブラ
先日「今年もイワツツジ」を記した。その中で山菜のことに触れたが、週末までおいてしまうと開ききってしまうと思い、今日午後仕事を休んで山菜採りとなった。がしかし、もう2日ほど早い方が「良かった」とは、妻との共通した認識である。ツツジの中にあるコシアブラも、すっかり開いていて、「しょうがない」とは思うものの、タイミングの難しさはいつも思うところ。
実はツツジに日が当たるようにと、数年前に山際の高木を伐採した。それまではツツジの中というより、山際のツツジとの境界域に高木になったコシアブラが何本かあった。高さにして5メートル以上はあるもの。それらは檜の木に日差しを遮られようにして成長したもので、木の太さはそれほどではなく、ずいぶん高くなってはいたものの、根元から高いところに手をやって曲げていくとてっぺんまで気がしなって届いたのである。したがって5メートル以上高いところに出たコシアブラの芽も採ることができた。そのとき思ったことは、「コシアブラってしなる木なんだ」ということ。ところが檜の高木を伐採して数年。表舞台に出て、陽を浴びるようになったコシアブラは幹が丈夫になって「しならない」のである。かつて届いていたてっぺんのコシアブラどころか、途中に出る芽も届くはずもない。巨大化して、もはや下から見上げるだけの収穫できないコシアブラになってしまった。陽当たりが良くなった場所にあるコシアブラは、いずれもその傾向があり、いずれ高木化しているコシアブラは、みな採れなくなってしまうのだろう。山の傾斜地にあるコシアブラだから、梯子で採るというわけにもいかず、これからは高木にならないように管理していくしかないのだろう。ということで、実はコシアブラはしなる木ではないということが解った。陽当たりが悪いとひ弱だから「しなる」というわけだ。人間と同じだ、と思ったしだい。
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