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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「御夜燈当番札」

2023-03-23 23:26:04 | 民俗学

 

 15日の夕方、伊那市高遠町勝間の共信にある「御嶽(おみたけ)」と言われている隣組で掛けられる灯篭を見に行ってきた。共信にはもうひとつ、北側に7戸で構成される「庄持屋(しょうじや)」という隣組もある。御嶽が6戸だから合わせて13戸の集落。庄持屋でも同じ日に灯篭が掛けられており、それぞれで灯篭が2箇所に掛けられる。御嶽では秋山文男さん宅東側の三叉路、庄持屋では宮原利男さん宅北側の三叉路である。常時そこには灯篭を掛けるための柱が建っていて、月の1日と15日の夜、それぞれの隣組の当番によって火を灯した灯篭が掛けられるのだ。御嶽では灯篭が古くなったため数年前に灯篭を新調した。その際作られた灯篭は女性や老人が持ち歩くには重いため、灯篭は常に掛けっぱなしとなっているが、もともとは隣組内を当番の家に灯篭を回し、当日灯篭に火を入れると掛ける場所まで灯篭を持って行き掛けていたという。隣組内に大工さんがいて造ってもらったら立派すぎて重いというわけである。

 

 同じ日庄持屋でも灯篭が掛けられていたが、すでに蠟燭が消えてしまったのか、それともこれから火を入れるのか、灯篭に灯りは灯っていなかった。御嶽の灯篭を見た後にも見てみたが、そこに灯りはなかった。庄持屋では現在でも灯篭を回して当番を渡しており、ふだん灯篭は掛けられていない。いっぽう御嶽では灯篭を回す代わりに「御夜燈当番札」という当番札を渡している。札が回ってくれば、次の1日あるいは15日に灯篭に火を灯す当番というわけである。

 

 御嶽の灯篭は火袋の幅27cm、高さ30cmで、地上1.2mに火袋がくるように設置されている。火を入れる扉の左右には太陽と月を表す窓が加工されており、上伊那でよく見かける灯篭に秋葉信仰を表すような例えば「秋葉」といった文字は見えない。とりわけ御嶽ではかつてあったと言われる御嶽様(おみたけさま)との関係が語られるが、庄持屋では現在も秋葉講が1月16日に実施されており、秋葉講の灯篭という意識がある。火伏せや盗難除けといった意識が灯篭を灯す意図にある。かつては灯明皿の油に灯したが、現在はローソクが使われる。それも仏壇用の小さなローソクを利用しており、点灯される時間は短い。とくに灯す時間に決まりはないが、暗くなると灯すといわれ、ときには当番を忘れてしまって、当番札がしばらく同じ家にとどまっていることもあるという。それぞれの家で灯す時間が異なるため、そして蝋燭が短いため、実際に灯篭に灯りを見られるのはほんのわずかなタイミングで、なかなか遭遇することはできない。伊那市から辰野町にかけてこうした灯篭を当番の家に渡す習俗が盛んであったようで、現在も実施しているところが見られる(上伊那郷土研究会『伊那路』4月10日発行号に「美篶青島のあきや様と代参」という中崎隆生氏の論文が掲載される予定〉。

 

 ちなみに庄持屋における秋葉講は、現在代参はなく、お札を配るわけでもない。ただ集まってお祭りをするだけで、近くにある神社に旗を立てて、その神社にお参りするというが、そこに秋葉様が祀られているというようでもない。また御嶽の「御夜燈当番札」の読み方を聞いたがはっきりしなかった。灯篭のことはふだん「とうろう」と呼んでおり、「灯篭当番札」で良いのだろうが、あえてこう記されている。「御夜燈」というと、伊勢原市の「善並御夜灯」がよく知られている。それは説明板によると「おんやとう」と呼ぶらしい。いわゆる常夜灯であったものが、毎日は大変だということで、御嶽では月に2日に変わったものと思われるが、すでに高齢の方たちに聞いても「昔と変わらない」というから、月の1日と15日の歴史は長いようだ。


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