Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

続々「中井侍へ」

2011-03-21 21:45:47 | ひとから学ぶ

続「中井侍へ」より

中井侍に住みたいと言っていた彼も、この春転勤である。ちょっとこの地より遠くに退くが、思いが褪せないよう願うのみ。ところで中井侍を訪れた際の出来事、彼はどうしても完璧でないという。もう少し付け足さなくてはならないのだが、以前記した部分に記載した方が良い部分は修正して追記した。ここでは自らも新たに触れておこうと思ったことを記しておく。

 前回も触れたが、駅にはノートが置かれている。そのうちの一冊に中井侍の地名の由来というものが貼り付けてあった。「住民からの聞き取り」によれば中井という侍が逃げ込んできたからというが、中井姓がないことから考えると違和感がある。「文献資料から」には「中」は親集落と子集落との間に位置するからというもの、「井」は「居」の意味、「侍」は「さなぎ」の変化だと記している。「地理上からの考察」も記されていて、これは「文献資料から」と同一の解釈をしている。「さなぎ」は「なぎ」に「さ」という接頭語が付されたもので、「なぎ」はもちろんこのあたりでいう崖のことである。集落と集落の間にある崖地にできた集落か「中井侍」のようだ。しかし、なぜ崖地に集落ができたのか、このあたりはなかなか説明がつかない。続「中井侍へ」で触れたように急斜面であって下栗のような緩斜面を持たない。尾根伝いであれば日当たりもよく緩斜面が存在する。ところが中井侍では陽が登るのは昼ごろだ。急であって半日村、それでいてナギである。とはいえ彼のように「住みたい」という人もいることだから、何か要因があったのだろう。ところで彼は中井侍について「なかいざむらい」と発音すると思っていたらしいが「なかいさむらい」が正しい。

 さて、彼の口から盛んに出たのはNHKの番組タイトルである。「小さな旅」と「家族に乾杯」である。後者はともかくとして「小さな旅は」はわたしにもお好みの番組だった。当初は首都圏のローカル番組だったというが、後に関東甲信越エリアに拡大されたころからわたしの記憶に残る番組となった。若いころに聞いた『関東甲信越小さな旅』という題名が今もイメージとして強く残る。したがって最近の「小さな旅」になってからはあまり視聴していない。彼が盛んに番組と中井侍紀行をだぶらせる気持ちは十二分に解る。人との会話は少なかったが、番組をなぞるような1日だった。NHKでは映像誌をテーマにした短編が放映されることがあるが、そんな映像を訪れた場所に描いている自分が確かにあった。

 最後にもう一つ。往路の三河大野までの乗車賃は2,210円だった。彼は伊那市駅から乗車して2,520円、その差たったの310円だった。我が家の最寄り駅から伊那市駅までは570円するわりには差額が小さいという印象を持った。ところが復路三河槙原まで2区間歩いた後に乗車したら1,890円と往路よりも320円も安くなった。ところが彼は往路と同じ2,520円。車掌さんに金額を聞いた際に「間違いじゃないのか」と疑ったほどだ。以前「電車賃の不思議」で触れたことがあるが、乗車賃は分割して購入したほうが安いケースがある。今回は分割したわけではないが、方や同一乗車賃なのに方や大きく乗車賃が安くなった。ずいぶん得をした気になったが、得をしなかった彼のおにぎりでこの日の昼食代わりにしたわたしには、ちょっと申し訳ない思いが残った。

 これまでの日記一覧

中井侍へ・前編
中井侍へ・中編
中井侍へ・後編
続「中井侍へ」
中井侍への忘れ物


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1 コメント

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Unknown (watagashi)
2012-08-27 19:46:02
中井侍という地名は、本当に中井というお侍が移り住んだことでついた名前です。
明治時代まで中井姓の人が住んでいました。
お墓も引き上げ、今は愛知県に移り住んでいます。
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