Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

続「中井侍へ」

2011-03-01 20:17:02 | 農村環境

 先ごろ中井侍行ってきたことについて触れた。そもそも同行した彼が中井侍に魅力を抱いた原点には急斜面に暮らすという思いがあった。彼は何度となく比較の対象として現在の旧上村の下栗をあげた。下栗といえばあまり南に関心のない県北の人たちにも知られている。少し前まで盛んに引越しのサカイのコマーシャルに映し出されていたが、ただでさえ山の中の上町から山を登ることしばらくで展開される下栗は「別世界」という印象を誰もが抱く。さらにその空間が尾根の突端に張り出して集約されていることから、あたかも欧州アルプスの村をイメージさせるのも事実だ。よく30゜から40゜の急斜面に展開されるといわれるが、いわゆるよく目にする集落中心区域の九十九折れの道が家々を結んでいる光景はそこまで急斜面ではない。なぜならば尾根の突端だからなだらかなのだ。ただし、その突端から沢に向かっての斜面は確かに急だ。人々が暮らしている空間は、それほど急ではないということになるだろうか。もちろん箇所ごと異なるのですべてではない。一般的に紹介される角度がどういう場面を捉えているのか、イメージを描く参考数値といったところだろうか。

 同行した彼はこの下栗と比較して中井侍の方が急だと言うのだ。見る角度によっても異なるが、対岸の県道から望む中井侍の集落を初めて目にした時は、確かに急だとわたしも思った。下栗とはその立地から比較しがたい部分はあるが、暮らしている空間、例えば家の敷地の上下の高低差だけでみると確実に中井侍が急そうだ。そこで国土地理院の地図で高さ150メートルに対する水平距離で比較してみると下栗の尾根伝いの水平距離は340メートル。いっぽう中井侍の水平距離は230メートルであり、ほぼ3分の2になる。下栗24゜、中井侍33゜といったところだ。前述したように下栗の尾根から谷にかけた斜面は急であり、そこに畑が展開されているから生業の舞台が急であることに変わりはないが、彼の言うとおり中井侍の家々は急斜面に立地しているのである。わたしの印象では下栗に至る途中にある旧南信濃村須沢の集落も急だ感じていた。同じように測定してみると、中井侍並である。いずれにしても下栗では家々は比較的緩斜面を選んで建てられているわけである。

 さて、中井侍の駅から最も高所の茶畑まで登って行ったが、その高低差約150メートル。水平距離では駅から340メートルほどなのだが、そこまで至る道はなかなか険しい。飯田線において長野県内の秘境的駅の周辺は、実はけっこう集落が近い。もちろん小さな集落だから利用者がそれほど多いとは言えないが、まったく周辺に家が無いと言うわけではない。そして意外と駅の対岸に集落があったりして、例えば駅は泰阜村にあるのに、利用集落は下條村という為栗門島唐笠のような例もある。中井侍から天竜川伝いに県境を越えて次の小和田駅まで道が連絡しているらしい。一度歩いてみてみたいが、この小和田駅は静岡県浜松市に位置する。しかし、周辺に数軒地図には見えるが、まさに利用者はその数件しかありえない。佐久間ダムの湖底に沈んでしまったために家が無くなったというが、まさに秘境である。この小和田駅の南隣の駅が大嵐である。「中井侍へ」の中でも触れたように、南下すると大嵐で乗客があり、北上すると大嵐で降車客がある。ここを境にして乗客が増えるのだが、この駅も浜松市にあるが、浜松市側にはほとんど家が無い。天竜川を越えた旧愛知県富山村の中心部までとても近いのだ。ようはあの乗客はみな富山の人たちなのである。ウェブ上の例えばヤフーとかグーなどの地図を眺めていてもちっともその具体像が見えないが、等高線が密集した国土地理院の地図でこの一帯を眺めていると、中井侍に同行した彼にも負けず、とても興味が湧いてくるのである。


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