階段右側の石積の上に盃状穴を確認
盃状穴
昨年末「盃状穴 後編」の最後に「盃状穴の例は全国的にもたくさんあるようだ。もちろん意識してみれば、身近にもよく見られるはず、とわたしは思う。」と記した。身近にもよく見られるはず、と思い込んでいたのは、子どものころ生家の近くでそうした石をたくさん見ていたと記憶するからだ。ところが今その石を探しても現実的にはなかなか見られない。「人工ポットホール・前編」でかつて触れたとおり、生家周辺の様子は、ほ場整備によって一変してしまった。全町整備という大がかりなものだっただけに、邪魔なものはすべて撤去された。我が家のすぐ西側にあった狭い道の向かいに、とてつもなく大きな巨石があった。どのくらいといっても答えられないほど大きなもので、半分以上地中に埋まっていた。もともと河原だったから上流から押し流されてきたものだろう。生家の近くに「隅之木碑」という石碑があって、正徳5年(1715)に発生した「未(ひつじ)満水」のことを刻んでいるという。きっとその未満水によって流されてきたものに違いない。それほど昔に流された巨石も、昭和50年ころ消えてなくなってしまった。おそらく破砕してほ場整備した際に道路下に埋め込んだのだろう。同じような巨石は度々あったもので、そうした石に盃状穴があったと思う。
先週の日曜日、仲人をしていただいた方の四十九日法要が行われ、飯島町西岸寺を訪れた。仲人の家が近くにあって、子どものころこのあたりは遊び場でもあった。記憶では、こうした場所にも盃状穴があったと思うのだが、探してみたものの想定した場所にはそれらしきものは見当たらなかった。ところが山門の手前向かって右手の石積の上に盃状穴らしきものが複数あった。そこで境内なども注意深く見てみたが、ほかにそれらしきものは確認できなかった。古い寺であることは言うまでもないが、時代時代によって改変されてきただろう。この盃状穴そのものが、江戸時代から明治初期くらいのものだとしたら、やはり改変されないようなモノにそれらが見られる、ということになるだろう。したがって巨石のように、どうにも動かることができないようなものは、注意深く見てみると盃状穴が確認される傾向がある。古い時代のモノ、そして巨石といったモノが盃状穴のキーワードとなりそうである。
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