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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

お葉漬け 後編

2018-12-23 23:34:33 | 民俗学

お葉漬け 前編より

 『長野県上伊那誌民俗篇上』の「お葉漬」の項に次のように記されている。

 野沢菜・稲核菜・羽広菜などの漬菜を、塩で漬けたものを一般にオハヅケとよんでいる。以前は大根の葉を大根菜と呼び、漬菜にも用いた。十一月なかば頃、霜が二~三度もうたれた葉をこぎ水で洗い、塩で桶などへ漬け込み、重石を置き、水が上ったら、重石をやや軽くしておく。
(中略)オコウコと共にオハヅケはなくてはならないものであった。

 やはり野沢菜とは別に稲核菜の名があがっている。実はわたしの記憶の中には、野沢菜より稲核菜の方が古くからある。ということは、かつて我が家にあったお葉漬けは、稲核菜であったのかもしれない。母が「稲核菜」と言っていた記憶がある。もちろんずっと作ったというわけではなく、一時期作ったのかもしれない。

 先ごろ稲核で稲核菜の漬物を食べさせてもらった。稲核にある蕎麦屋でも稲核菜の漬物が出された。何も言われなければ野沢菜と言ってしまいそうだが、それは世の中の菜っ葉がほとんど野沢菜に駆逐されてしまったからだ。稲核でのお葉漬けには、必ず葉の部分とかぶの部分がある。かぶがあるから良い、というような話も聞く。

 

 

 さて、長野県内の漬け菜を図に示してみた。示したのは地域菜を明確に示しているもののみである。全件に野沢菜が分布することはわかるが、南信にはその分布が薄いことがはっきりと現れている。中信も薄い方かもしれない。その理由は、北信や東信では「野沢菜」と回答されているが、とりわけ南信では
「菜、ナッパ、ツケナ」と称したり「オハズケ」などと称したりと、必ずしも「野沢菜」であると明言していないのである。同様に中信でも「菜」と称したり、「ツケナ」と称したりと、やはり「野沢菜」と明言していない例が多い。図の中の「稲核菜、野沢菜」はふたつの回答がある事例を別に示したものである。稲核菜を漬けるし、野沢菜も漬ける、そういう例である。下伊那地域では近ごろ「源助かぶ菜」が見直されているが、「飯田かぶ菜」とも呼ばれている。「かぶ菜」というそもそもの名称からして、南信ではもともとかぶ菜だったと言える。

 

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