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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

久しぶりに「和田」まで走った

2022-12-11 16:10:57 | つぶやき

 昨日、久しぶりに「ふじ姫饅頭」を買いに和田まで走った。ふじ姫饅頭については、過去にも記している。「お返し」に、あるいは手土産にと考えると、なかなか手に入れにくい「ふじ姫饅頭」と決めている。が、しかし、わたしにとってもそう簡単には買えないし、そもそも日持ちがしないから、なるべくその日に食べてもらおうと思って買っていく。したがってひとり住まいの人にいくつもさしあげても困るだろうし、できれば繰り返し買えれば理想だが、なかなか手に入れづらい。

 予約して和田まで走るが、だいぶスピードを出して走っても、1時間近く要す。昔と違って、と言って良いか、あるいは最近は、とした方が良いだろうか。やはり矢筈トンネルを甫車は少ない。行くたびにそれを実感する。したがって対向車に会うことはあっても、スピードを出して行っても、前の車に追いつくことはほぼない。それほど走っている車が少ない。休日はなおさらなのだろう。約1時間、我が家からは50キロもある。それでいて1時間ほどで着くということは、平均時速50キロになるわけで、普通の道で50キロはかなり「早い」。同じ下伊那郡内なのにけっこう「遠い」。上町の辺りへ下ると、幟があがっていた。「そういえば」と思い出すのは霜月まつりの季節だ。しかし、10日に霜月まつりをするのは木沢で上町ではない。にもかかわらず幟の姿を見て、「今日なのか」と帰ってから調べてみると、やはり11日であって、1日早かった。すでに準備に入っていたのだろう。むしろ祭り当日のはずの木沢の方が静けさがあった。かつてわたしが訪れた「木沢」とは様子が異なるのだろう。さすがに「木沢」には30年ほど足を運んだことはない。

 さて、ふじ姫饅頭を買ってすぐにとんぼ返り。帰るころはすでに午前10時代なのだが、やはり車に会うことは少ない。ただ往路と違って走っていくと前の車に追いつくが、みな地元の人たちで、まもなくほかの道に逸れていく。帰りに妻の生家に寄っていくつか柚子を採って帰ったが、行きとそれほど変わらない時間でたどり着いた。その後辰野町の親戚まで走ったが、同様にほぼ1時間、たたじ距離は43キロほど、上伊那の方がエリアが狭いとつくづく感じる。親戚筋やお世話になっている方たちの家を訪ねては、とりわけ年配の方たちの顔をうかがって帰ってきたが、みなさん健康なようで安堵しての帰宅である。次はいつ「ふじ姫饅頭」ありつけるか、場所が変えて新たになった「かたくり」に初めて訪れたが、みんな思っているかもしれないが、昔の店の方が「良かった」。

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縦書きの算用数字

2022-12-04 22:40:20 | つぶやき

 『伊那路』(上伊那郷土研究会)は縦書き文章の雑誌である。世間に流通している雑誌も、いまだ縦書きのものが多いという印象であるが、わたしたちが通常書き記す場合は横書きが多い。『伊那路』が縦書きでありながら数字を算用数字で表記する違和感を覚えたのは、わたしが投稿した原稿の初校が帰ってきた時だった。正確に記憶していないが、平成29年ころだったと思う。当たり前に縦書きなら漢数字というイメージだったから「なぜ」と思ったわけである。印刷屋さんにそのことを言うと、算用数字で統一しているというような答えであった。あらためて当時発行されていた『伊那路』を開いて見ると、確かに算用数字なのである。年号を2017年と表記する場合、縦に2017と一字ずつ全角で表記している。その際言われたのは「新聞に合わせている」という言葉だった。確かに新聞を見てみると、同じ表記だったのである。研究誌や同人誌といったものがほとんど漢数字で表記しているなか、とても違和感があって、「民俗の世界ではこのような表記はしておらず、漢数字にしてもらえないか」と要望したところ、わたしの原稿だけは漢数字で表記してくれたのだ。とはいえ、同じ雑誌内なのに表記がばらついているのも「どうか」と思うのも事実で、以来ずっと違和感を抱いているわけである。

 民俗でいう「二月八日」を「2月8日」と縦書き表記されると、とても違和感がある。割り切れば良いところだが、とはいえ行事の名称には数字が付されることは多く、それらをみな算用数字で表記されると印象はだいぶ違う。まさか「十日夜」を「10日夜」は無いだろう。ようはそれらを漢数字で表記すると混在してしまって読みづらい、と思うわけだ。

 さて、『伊那路』に今回投稿しわうとしている原稿は民俗とは違う分野のもの。原稿は漢数字で書いたが、筆者の要望で漢数字でよいものか、と悩んでいる。そもそも『伊那路』が算用数字を使用するようになったのはいつなのか。過去にさかのぼってみると平成24年の秋ごろからというところだろうか。同年の10月号は通巻669号にあたる。偶然にもそれは「民俗特集号」である。この中で西暦年号は算用数字で縦書きで前述のように記している。そして和暦は例えば「享保二十年(1735)」と表記していて、混在している。同年の12月号(通巻671号)では和暦も算用数字にされていて、このあたりが算用数字に変化した境界域と捉えられる。

 ほかの郷土史雑誌はどうかとみてみると、同じように算用数字を採用しているものに『伊那』(伊那史学会)がある。こちらは算用数字を使用するようになったのは最近のようで、例えば今年の8月号(通巻1131号)を見てみると、執筆者によって表記がばらばらであり、とはいえ算用数字の方が多くなっている。またその表記にも疑問がわくが、例えば「平成21年(2009)」は、平成は当たり前に縦書きで2字、次の21は縦に「21」を一字で表し「年」はそのまま、いけないのは「2009」は右向きにさせて半角で縦に並べてある。過渡期といって良いのかどうか、執筆者ごと表記がばらばらの上に、西暦を横向きにして表記するというなんとも不可解な表し方となっている。

 さて、新聞が算用数字を利用しているから週刊誌もそうかと思うと、そうでもい。というか混在している。あまり気にしていないのか、それともそこまで統一できないのか、あるいは筆者の希望通りなのか、気にはならないかもしれないが、あらためて見てみるとばらつきに気がつくわけだ。こうした状況を鑑みると、筆者の希望で良いのかもしれない、と思えてきた。

 

参考に

 ちなみに文化審議会国語分科会の「新しい「公用文作成の要領」に向けて(報告)」には、縦書きは「漢数字」とある。

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「桑畑」記号の消滅

2022-12-03 23:03:07 | つぶやき

 「地図記号から「工場」「桑畑」が消えていたこと、ご存知でしたか?」などというページがあるように、わたしも「知りませんでした」。あえて検索してみると同じようなページがいくつも表示されるわけだが、『地図中心』603号(2022年12月 一般財団法人日本地図センター)の特集は「御役御免地図記号集成」であったことで知った。

 桑畑と言えば、このあたりでは当たり前に地図に記されていた記号である。しかし、桑を利用する養蚕が衰退したことで、桑畑はほぼなくなった。そもそも養蚕をしている人がいない。しかしながら実態としては、桑が生えていることは事実で、あまり目に入らなくなった、と言った方が正しいだろうか。もともと桑畑は植生を表す記号のうち「既耕地」の部類だった。繰り返すが桑の木は生えていても、今では既耕地とは言えない。荒地となって生えている、あるいはその他の樹木にあたるが、「その他の樹木畑」という記号も同時に消滅している。後先になったしまうが、これら記号が国土地理院の地図から消えたのは2013年の改定からだという。間もなく消えて10年に達するというのに、まったく知らなかった。同時に「工場」も「古戦場」も消えているようだ。川中島古戦場の記号も消え、今は文字で記されている。記号消滅の背景にはさまざまな理由があるのだろうが、「桑畑」は明らかに現状から消滅しているからなのだろう。しかし、実際には桑の木は意外に残っていたりする。では「桑畑」は地図上で何に変わったのか。と思い近在の地図「伊那大島」の昭和52年11月30日発行の25000分の1地図を開いて見た。桑畑の記号は実に多く記されている。しかしそこが今何になっているか、とみていくと桑の木が生えている、というよりは果樹園に変わっているところが多い。また、おそらくであるが、昭和52年当時に既に桑畑ではなくなっていたところが、桑畑表示されているところもけっこうあるのだろう。それほど桑畑記号は、当時の地図にはたくさん見える。おそらく現在は果樹園になっているものもあるし、荒地、あるいは畑、また広葉樹に変わっているところもあるのだろう。現実的に桑の木がそのまま生えているような場所は「荒地」なのだろうが、そもそも現在の国土地理院の地図に表されている記号が「正しいか」と言えば、NOとも言える。繰り返すが「既耕地」という捉え方をすると、水田は現地図に記されているものの中に、既に「荒地」と果てている場所が多い。山の中の「田」など、今ではわとんど消滅しているが、実際の地図にはまだまだ「田」記号が見える。

 ということで地図記号が消えたからと言って、現在の地図が正しいかといえばそうでもない。今や「既耕地」で表されるのは「田」「畑」「茶畑」「果樹園」のみとなった。かつての地図には多様な植生が見えたのに、今では「田」と「畑」と「果樹園」に集約されてしまった。確かに桑畑は今や見られないが、数十年において現状より地図の方が大きく変わった、と言えそうだ。ちなみに天竜村にも、南信濃村にも「茶畑」の記号は、現在の地図に見ることはできない。

参考 現在の地図記号

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権兵衛トンネル越えが「早い」

2022-12-02 23:14:58 | つぶやき

 松本市安曇稲核に用事があって、朝車で向かった。作業用の機器を持参だったので軽トラである。ふだんは道のりなど検索したこともなかったのだが、たまたまグーグルマップで検索してみた。もちろん通常は高速利用で表示されるが、ふつうに高速代を支払うと軽トラでも1320円必要だ。これを少しでも省こうと思えば、高速を利用しない方法を検索してみる。ということで検索したところ、目的地である松本市安曇支所まで示された最短ルートは、伊那市から権兵衛トンネルを越えて楢川に出るルート。今まで考えても見なかったルートだった。考えてみればいつも通っている善知鳥峠越えルートは、表示されたアルプスグリーン道路の塩尻市小曾部川橋のある信号機から松本歯科大学を経て塩尻市内を通過するルートだったが、辰野町までは30分余要す。そこから伊那市の分岐点である広域農道中の原信号までは20分余ほど要す。ようは1時間弱要すはず。ところが今回表示されたルートでは、50分を切るようだ。微妙ではあるが、通行量の多い善知鳥峠越えより、意外に「早い」のかもと思った、というよりグーグルマップはそう示している。グーグルマップの所要時間は、他の検索機能より所要時間が実態に近いことは知っていたが、あえて今まで検索したことがなかった。とりわけ一昨年から昨年にかけて安曇地域には何度も足を運んでいたが、当たり前に善知鳥峠越えをしていた。もっと言えば何度となく足を運んでいた梓川の真光寺や、安曇野市誌で足を運んでいた堀金にも、高速をなるべく利用しない場合は、善知鳥峠越えをしていた。いずれも松本・安曇の平では西山つけにある地域で、必ずアルプスグリーン道路の塩尻市小曾部川橋のたもとの信号機を通過して向かっていた。その回数は数えきれないほど。

 表示される時間差は10分もないから、わずかなものの上に、距離は権兵衛トンネル越えの方が5キロほど長い。しかし、信号による停止は少ない権兵衛越えと比較して燃料代の差はそれほど無いのだろう。ということで、今日、初めてグーグルマップで示された道を走ってみた。さすがに「木曽高速」と言われる国道19号は、時速70キロ平均で走る車がほとんど。早いのもうなずける。難点は県道294号の宗賀のあたりと塩尻市道を走る奈良井川沿いの道だろう。道がそれほど広くない。少し大きなトラックの後ろにつくと、避けあいのために時間を要す。43キロほどの距離を45分ほどの時間で走り切るというのだから、平均時速はかなり早い。実態に近いが、制限速度オーバーであることは明らか。そして平均的にこの道が「早い」ことは実感した。冬期間はあまり勧められないかもしれないが、それ以外の季節は確かに最も「早い」だろう。

 さて、行きは権兵衛トンネルを経ると姥神トンネル手前で右折して県道姥神奈良井線に入って国道19号へ向かう。国道361号にも掲示看板があるから間違えることはない。ところが帰りは既に暗くなっていたのと、滅多に通ったこともなかった道のため、国道19号の「どこを左折すれば」と気にして表示看板を注視していた。ところが左折すれば「伊那へ向かう」という看板はどこにもない。鳥居トンネル直前の「奈良井栃窪」という信号機がそれなのだが、そこには何も表示がないのである。もちろん今どきはナビが当たり前についているから、それを利用すればちゃんと誘導してくれるだろうが、そこまで土地勘がないわけではない。したがって看板を探していたのだが、全くないのである。信号機の名前を記憶していたわけでもなく、「ここだろう」と想定して左折したら間違っていなかったので良かったが、そうはいっても表示看板が「何もない」とは驚いた。国道19号、それも木曽谷から伊那谷へ分岐する道路なのに「何もない」。さすがにこの姥神奈良井線、そのせいではないだろうが、通行量は少ない。ちょっと驚きであった。いずれにしても、今後このルートは、頻繁にお世話になるのだろう。

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思うようにいかないもの

2022-12-01 23:23:05 | つぶやき

 体重とは不思議なもので、例えばトイレに行ったばかりだというのに、体重が下がっていなかったり、「今日はあまり食べていないなー」と思っていても上がっていたりと、思うようにはコントロールできないもの。水分量にも影響するのだろうが、「今日は下がっているだろーな」と思っていて、ずいぶん上がっていたりするとこころに響くものだ。とりわけ年老いてきて、いろいろ数値的問題が指摘されるようになると、意外に気を遣ったりしている。

 シロとの散歩で、少し遠出をするようになったのも、そうした指摘が影響している。「なるべく歩くように」とこころがけているが、「今日はずいぶん歩いた」としても、意外に体重が上がっていたりする。繰り返すがそう簡単に操作できるものではない。ボクシングの軽量で苦労するような方たちには、そうした術があるのだろう。

 歩数を気にするようになってからというもの、スマフォの歩数カウンターをけっこう気にするようになった。そもそも1日にどれくらい歩いているのか、という認識もしていなかった。歩数を気にするようになってからもう2年近いが、会社で外出もせず建物の中を歩いているだけの1日でも、ある程度歩いている。もちろん会社までの歩く道のりも影響しているが、1日5000歩くらいは歩く。加えて現場へ外出すると7000歩くらいには到達して、けっこう歩いていることに気がつく。そこにいくと、休日にシロと一緒に歩く際に、ずいぶん遠くまで歩いて行っても、せいぜい8000歩程度。「今日は歩いたなー」と思うものの、その程度で、さらにいけないのが休日はいろいろな数値が上がる。意識して歩いている日の方が身体には負担になっていないよう。こうしてみると、コロナ禍で在宅勤務なるものが登場してきたが、在宅では身体に悪いことは容易にわかる。仕事を辞めるといかに身体に影響があるかもわかる。

 秋から来春にかけては、こうしてシロとの散歩が続く休日であるが、その時間約1時間。もっと歩くべきかどうか、成果が上がらない中で考えている。もちろんシロには負担になるので、ほとんどは「抱っこ」であるが…。

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松本で飲み会

2022-11-26 23:26:45 | つぶやき

 長野県民俗の会総会が松本であった。今年も新型コロナウイルス感染症の影響で公には懇親会がもたれなかったが、わたしの後を受けていただいた田澤代表が今年度で代表を退任されるということで、本来なら懇親会で慰労を労うところだったが、叶わなかった。とはいえ、長野県民俗地図研究会を内部に立ち上げるという報告もあって、研究会の発足を祝うわけではないが、今後の打ち合わせも兼ねて有志で懇親会がもたれた。10名ちょっとという懇親会になったが、話を聞けばこの規模の飲み会も、みなさんはなかなか実施されていないよう。

 考えてみればわが社の出先でも、総勢13名ということもあって、いまだ今年の歓迎会が実施されていない。けしてできなかったわけではないだろうが、忘年会時期まで引き延ばされてきてしまった。忘年会を兼ねていよいよ実施の計画だが、やはり感染状況によっては「中止もありえる」と言っている。基本的に会社の人たちと「飲んだ」記憶は、今年は無い。がしかし、いっぽうで対外的な飲み会は何度も経験している。数日前には総勢54名という懇親会があって、そこには市長や県会議員といってオピニオンリーダーず何人も来賓で招かれていた。同じような来賓を参集している懇親会や祝賀会といったものが、ことしは何度か催されていて、行動制限がないだけに、わたしにとっては意外に飲み会を何度も経験している。

 さて、今日の総会のことは五室に触れるとして、飲み会があったので「泊るか」「帰るか」と考えた結果、今年は「帰る」こととした。昨年も有志で懇親会がもたれたが、「泊っていた」。コロナ感染もあって、午前中からではなく午後からの総会が続いていて、ことしも午後からだったということで10時過ぎに電車に乗った。いわゆる各駅停車しか飯田線にはないので、あえて中央線までたどり着いてから特急に乗るようなことは考えない。岡谷で30分ほど待って、各駅停車で松本まで向かった。この待ち時間のせいで所要2時間半ほどとなる。車で下道で行くより時間を要す。1日仕事であることに変わりない。午後5時半ころから2時間余、終了後間東京から来ていただいた安室先生の時間待ちに合わせて喫茶店でみなで調整し解散となったが、わたしにとってはここからがまた長い。午後9時過ぎの電車に乗ると、再び岡谷で乗り換えて飯田線へ。この電車は乗り換え時間が数分とロスのない乗り継ぎができるため、最初からこの電車で帰るつもりだった。飯田線を南下する電車の最終である。先日の懇親会の際は最終ではなかったが、最近飲み会後に電車に乗っても、夜の乗車客はとっても少ない。先日も今日も、郡境域でほぼ乗客はいなくなる。今日は飯島あたりで誰もいなくなった。飯田行きだが、以後乗客が乗ることがあるのかどうか…。

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気にも留めなかった指先の違和感から解ったこと

2022-11-20 23:43:37 | つぶやき

 ふと気がつくと指先に違和感が。「なぜ痛いんだろう」そう思うものの、あらためて指先を注視して、その場所を確認することはなかった。ようはちょっとした違和感であって、気に留めるほどのものではなかった、と言えるだろうか。「そんな暇はない」と思うほどでもなかったが、ちょっとした違和感に過ぎなかった。

 風呂に入り、「ぼーっ」としていると、指先の違和感を思い出した。なぜなら傷口にしみた湯が、意識を回復させたといったところだろうか。あらためてその指先を眺めた。それまで意識もしていなかったが、①人差し指であること、②そこに切り傷のようにぱっくり割れた姿が約1センチほどあること、がわかった。「あれっ、けっこう傷がついている」、とその時初めて気がつく。出血するほどではなかったのだろうが、ちょっとした切り傷を知らぬ間につけていたのである。よくある紙で切ったような傷跡。そしてそれをいつつけたのか、まったく覚えがないのである。

 このところ考え事をしながら、別の考え事に陥ることもよくある。複数の想いに馳せるわけで、そんなときは「ぼーっ」としているときに似ている。何があろうと、そのどちらかをすっかり忘れてしまったりする。以前にも記したが、いろいろ考えていて「日記に記そう」と強い意志を持ったにもかかわらず、いざ書こうとすると「何だったっけ」と忘れてしまう。とりわけ複数のキーワードを頭の隅に書き記すと、すっかり忘れてしまうことも度々。したがって思ったときに「メモする」が必要なのだが、メモの苦手なわたしには、それすら実行できないことが度々。

 だからだろう、先日記した〝月曜の朝〟だ。腕時計のありかがすっかり記憶から飛んで、危うく「燃えるゴミ」袋で出してしまうところだった。「いつかみつかるだろう」などと妻と話していたが、ふと気がついて「まさか」の行動をとったらゴミ袋から「見つかった」というわけだ。その際、頭の中に「ゴミ袋がいっぱいになっていて、間もなく出さなくては」という意識もあって、おそらくこのゴミ袋を目にするのも「最後だろう」と思っての「まさか」への行動だった。いろいろ伏線があっての「発見」だったのだ。まだ運に見放されていない自分に安堵するとともに、指先の違和感を見つめながら、「もう多重発想をする年齢ではないんだ」と諭されたわけである。が、しかし、相変わらずそうでもなければ、宿題は「減っていかない」ことも事実。大失敗をしなければよいが…。

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それぞれの葬儀

2022-11-17 23:00:47 | つぶやき

 今日もまた先輩の葬儀で大町市に向かった。聞くところによると今年会社のOBが亡くなるのは6人目だという。3日前の葬儀に参列する際に耳にしたのは、その数日前にも先輩が亡くなっていたという情報。その先輩も北の果て飯山で2年ほど一緒に働いた方だった。何よりも寮で一緒だったという縁もあったので、葬儀がふつうに行われていればその葬儀にも足を運んだことだろう。聞くところによると喪主の意向で葬儀は身内だけで行われたという。したがって葬儀の告知もなかったというわけだ。近ごろの訃報は、わたしにとってみれば若いころにお世話になった方たち。世代的には15年から25年ほどの歳の差がある。

 こうした状況下でも葬儀の景色はずいぶん違う。同じ北の果てでご一緒させてもらった9月に亡くなられた先輩の葬儀には、地域が伊那ということもあってか会社関係の方たちの姿をほとんど目にしなかった。けしてその先輩の影が薄かったというわけではなく、組合の執行委員長もされたし、本社にも席をおいて重責を担われた方だった。いっぽう先日の葬儀は長野市内の出身者。ご多聞に漏れずわが社も長野市に本拠地を置くだけに、北信地域の出身者が多い。にもかかわらず葬儀で目にする会社関係の顔は少なかった。今年参列したそうした葬儀にくらべると、今日の葬儀は懐かしい顔が大勢並んだ。

 NA先輩はわたしの地元の所長をされた方で、記憶では本社で退職された。決断力がなく、風見鶏的な行動が多くて、なかなか部下には慕われなかったかもしれない。でも捨てがたい性格の方。NB先輩はわたしの松本勤務時代の上司。ちゃらんぽらんなところがあって、ひと当たりは良かったが、やはり決断力はなかった。とっても賑やかなところがあって、ひとり言?と判断が難しいほど、ちょっとわたしに似たところもあった。驚いたのはマスクを外して見せてくれて、ちっとも歳をとっていなかった。S先輩も本社で退職された方で、かつての伊那の出先でご一緒させてもらった。親分肌があって、目立つ存在だった。さすがにマスクをつけていると上の方に目が行ってしまい、「ずいぶん老けたなー」という第一印象。NBさんと同世代なんだろうが、その違いがマスクで隠されていて「幸い」した感じ。Aさんもかつての伊那時代の方で、わたしにとっては仕事上いろいろ教えてもらった方。今日目にした先輩の中では最も若い方。と、大勢の先輩方と声を交わしたが、みなさんわが社の不遇の時代に接した方たちで、55歳、あるいはそれ以前に早期退職された方たちばかり。

 それそれの葬儀の光景の違いを感じさせてくれた、本日の葬儀であった。

 合掌

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少し前の姿を見る

2022-11-16 23:50:00 | つぶやき

 以前は違ったように記憶するが、最近のグーグルマップは航空写真映像には「2022」と表示されていてあたかも現在(今年)の画像のように印象付けるが、実際は数年前の画像が映し出されている。したがって表示されている「2022」にとらわれてはならないわけだが、そこからストリートビューに移ると、より最近の姿が映し出される。このあたりをうまく利用して仕事に利用させてもらっているが、航空写真上とそこにトレースされた地図データが姿が違っていて「あれっ」と思う例は多々あるのだろう。

 あくまでも現在写真(グーグル上)での話であって、この後ここで記していることは実感できなくなることは必然で、「今しか語れない」例であることは前置きしておく。

 下伊那郡松川町新井「馬坂」のあたりは、最近開通した主要地方道伊那生田飯田線が航空写真でも、ストリートビューでも実映像で見ることはできない。ところが航空写真上に映し出される道路の形と、ストリートビュー用の青いラインは、航空写真とは全くずれて表示される。なぜかと言えば地図テータは新しい道が整備されたデータに更新されているからだ。これをストリートビューではどうか、と切り替えてみると、付け替えされた北端の取付部にも(現在は「撮影日」9月2018と表示)、天竜川宮ケ瀬橋から松川町市街部へ通じる県道18号との交差部にも(現在は「撮影日」9月2014と表示)、さらに付け替え道路南端の取付部にも(現在は「撮影日」9月2018と表示)現在の新しい道路は表示されない。かろうじて南端の取付部には、付け替え道路の姿を少し見せているが、まだ開通までにはほど遠いという映像である。繰り返すが。あくまでも現在の表示画像での話。したがっていつ更新されるかはわからないため、ここで見る映像は、明日には消えているかもしれないわけである。

 このごろはグーグルマップにお世話になること、人は多いだろう。そこに現れている映像は、必ずしも現在値ではなく、「少し以前」の姿であり、裏を返すと、整備前の映像を「少し」過去にさかのぼってみることができるとともに、画面コピーして残しておくこともできるわけだ。

 

 さて、伊那市街地の西、小沢川の端に西天竜発電所がある。現在のグーグルマップの航空写真で見てみると、明らかにそこには発電所らしき建物が映っている。間もなく消滅する可能性があるから、あえてここにその画像をコピーしておく。表示上は「2022」とあるが、実際は現在とは異なる。これをストリートビューに切り替えてみてみると、これもあくまでも現在値であるが、右側に伊那市長選と市議会選の掲示板があり、今年の4月24日にあった選挙戦前の光景であることがわかる。その奥に西天竜発電所が小さく掘っ建て小屋程度に見えており(茶色い建物)、航空写真に見えている建物とはずいぶん姿が異なる。今年の2月1日から供用しており、これが現在の発電所の姿である。実際のところまだ周辺整備が行われており、もう少し姿は変わっていくのだろうが、発電所そのものの地上の建物はとても小さく姿を変えた。ようはこのように、航空写真は少し古い姿を残しており、急に光景が変わった、と思ったらグーグルマップの航空写真を画面コピーして保存しておくのも、後々役に立つことがあるかもしれない、という話である。なお、先ごろこの西天竜発電所を空撮したものがあるので、ここに記録しておく。

 

2022年10月12日撮影

 

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人はみな「悪」、そして「信用おけない」という世へ

2022-11-07 23:34:15 | つぶやき

 わが社でも10月から車で出張する前にアルコールチェックをするようになった。事前告知もなく、社内にアルコールチェッカーが置かれ、出張届に記録するように指示されたものの、多くの社員は道交法が10月1日に変わったと勘違いしたかもしれない。そもそも安全運転管理責任者選任事業所におけるアルコールチェックの義務化はすでに4月1日から始まっていて、当初は10月1日からアルコール検知器による運転者の酒気帯びの有無の確認をするようになっていた。ところが10月からのこの義務化は延期されている。4月から義務化されていたのは、「運転者の運転前後に酒気帯び有無を目視等で確認」であり、すでにそれに対する対応はしていなくてはならなかったのだろうが、まだ会社内では周知されていなかった。そしていきなりアルコールチェッカーでのアルコール濃度チェック。みなが錯覚するのも無理はない。そして検知器で確認すればよいだけではなく、4月からしなくてはならなかった「運転者の運転前後に酒気帯び有無を目視等で確認」も加えてやっていかなくてはならない。

 事業所としては必須事項であって、それが「当たり前」と意識しなくてはならないことだが、昔にくらべたら、今は飲酒をしない「人」も少なくない。けして「飲まない」「飲めない」からといってしないわけにはいかない。確かに悲惨な事故が変わらず発生し、これほどまで飲酒運転はダメだと言われながらいまだ飲酒運転がなくならない。こうでもしなければ「無くならない」事故を防ぐため、とはいうものの、この世の中が「性悪説」の上に成り立つ、あるいはそういう信用しない世の中になっていることに気がつく。その上で昔の人々から見れば「無駄」な作業をみながしなければならなくなったところに、悲しい姿を見るような気もする。「生きづらい」などというものではない。絶対無関係だと思われる人までもが、犠牲になって無駄な時間を費やすのだら…。そして労務管理をする人たちへの負担をも上乗せしていく。そう考えると発言として不適切かもしれないが、できる仕事量はどんどん低下し、その上で人は孤立化し、こころの病を患う人が嵩んでいくのも必然なのかもしれない。本気で「昔はよかったなー」などと独り言を吐くだろうし、こうした法律に縛られていく事象が嵩む、この先の世に暮らす若者の苦労を思いやるばかりだ。終末期を迎えようとしているわたし如きは、平和ボケの時代に暮らせて「良かった」と自ら「よしよし」と独り言を吐く。

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続・かつての祭りを振り返り③(平成4年11月4日)

2022-11-05 23:33:25 | つぶやき

かつての祭りを振り返り③(平成4年11月4日)より

 

 

 十日夜にどのようなことがされるかという図について前回示したが、おなじ十日夜に関して呼称について触れた「十日夜・前編」の図のことについても触れた。同様にQGISで呼称について図にしたものをここに示したが、呼称についての質問になると行事の内容について回答されたデータよりも希薄になるのは、図を見てすぐにわかる。なぜこのような分布になるのかはわからないが、たまたまこの図に先日〝「長野県民俗地図」ひとり言〟で触れた図1「節分に魚を挿す木」の図を一緒に表示してみた。すると、同一地点で両者の回答が重なるのは5地点しかない。QGISで作成する場合座標化されているので、同一点に記号が表示されると重なることになる。そこで十日夜の呼称に関する記号をここでは色づけした透過記号にし、節分に魚を挿す木の記号をそのままにして重ねたわけである。すると前者の上に後者が重なって表示され、両者の記号が視覚的にも判然とする形になっている。

 裏を返せばQGISで図を作成すると「こういうこともできる」ということがわかるわけだが、まったく無関係な図を、たまたま重ねたら「こんな結果になった」という例である。両者に関係性はないが、これほど2分された図ができることはめったにないはず。大雑把に言えば、十日夜の盛んなエリアと、節分の盛んなエリアが完全に県内で2分された、などと言い切れないが、たまたまこの図を見る限りそう見えるわけである。

 なお、小海町親沢の十日夜については、平成4年11月4日に当地で録音した囃子唄を「音の伝承」「長野県南佐久郡小海町親沢とおかんや」と題して掲載しているので、こちらも参考にされたい。

 

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かつての祭りを振り返り③(平成4年11月4日)

2022-11-02 23:14:12 | つぶやき

かつての祭りを振り返り②(昭和63年10月8日)より

 先日「QGISによる「長野県民俗地図」試作3号」において長野県内で十日夜に何が行われていたか、という分布図を示した。その際にも触れたとおり、2019年10月22日に「十日夜・中編」と題して記した日記に作図した例を掲載している。その際に「十日夜」について前編から後編まで3回にわたって記している。

 平成4年からは既に30年を経ている。小海町親沢にはその後にも何度か訪れているが、十日夜に訪れたのは平成4年のみである。かつての「十日夜」で示した図の通り、十日夜の行事が盛んなのは東北信であることは、とりわけ呼称について触れた「十日夜・前編」の図でわかる。けして十日夜が認識されていなかったわけではないのだろうが、南信では希薄である。その理由に十日夜において「山の神をまつる」とした上伊那地域の習俗が関係しているのかどうか。この上伊那における山の神に関することは、「十日夜の山の神の祭り」-『伊那路』を読み返して⑱において触れている。

 どうしても分布図にすると空白地帯がイメージに影響してしまう。そう考えさせられる例をここにあげてみよう。先日ここに掲載した「十日夜」の行事をQGISで作成した分布図へこれもまた先日触れた「農振:農業地域」を重ねてみよう。すると農振農業地域のほとんどに記号が分布することがわかる。ところが下伊那と木曽地域にはほとんど記号が落ちていない。ようは農振農業地域が人々が暮らしているエリアと捉えると、農振農業地域を重ねていない図ではそれが見えず、長野県の地形や全体像を認識していない人は、記号の落ちていない空間にイメージが誘導されてしまいかねない。そういう意味では、農振農業地域を重ねることは長野県民俗地図ではかなり有効な手段だとわたし的には思う。

 

南佐久郡小海町親沢(平成4年11月4日撮影)

 

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明千寺を訪れたころ

2022-11-01 23:24:45 | つぶやき

 先ごろ「遠いその日をイメージして」を記した。輪島に泊った日、穴水町の明千寺を訪れている。長野県内と違って、能登には中世の石造物が多い。石層塔の初層軸部の両側面と背面を板石で囲って厨子とし石仏を安置したものが国の重要文化財に指定されている五重塔である。厨子には金剛界大日如来坐像が安置されている。高さにして7メートル近くある五重塔はの建立年代は明確ではないが、鎌倉時代後期の作品といわれている。材料は寺の近くの前波海岸に産出する石灰質細粒砂岩(前波石といわれる)で、三重から上の部分が落下し、四重、五重の軸石と五重の傘石、相輪部分が失われてたものを昭和45年の解体修復工事で復元されたという。室町時代末期の境内古絵図によると東西に2塔配置されていて、上杉謙信の能登制圧によってひとつは分解されてしまい、現在では各地に点在しているともいう。現存しているものは東塔ではないかという。

 石川県指定史跡となっている「明千寺石塔群在地」には、鎌倉時代や室町時代の石造物が150基ほど、墓地には70基の宝篋印塔や五輪塔、板碑が残されている。もちろんこれらの写真は当時のもので、最近の様子はウェブ上からうかがい知ることができる。

 

重要文化財 五重塔

 

五輪塔板碑

 

明千寺石塔群在地

 

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「長野県民俗地図」ひとり言

2022-10-31 23:31:55 | つぶやき

「長野県民俗地図」より

 まったく素人だったところから長野県民俗地図試作1号をここに掲載するまでほんの1週間ほど(下準備のために協議したのはもう1か月以上前のことだが、その後ほとんど手をつけていなかった)。言ってみれば「適当」に図化して、そしてウェブ公開用にその画像を処理して試作1号以降ここに載せてきたわけであるが、日々少しではあるが進歩しているものの、正直なところ「本当はどうやるか」についてははっきりしないところも多々ある。とはいえウェブ上に検索すると、動画で説明してくれるものもあったりして、何とかここまでたどり着いている状況。

 

図1

 

図2

 

 ここに載せた図1と図2は、いずれもこれまでここに載せたものと同様の画像出力をしているもの。QGIS上において、「地図を画像にエクスポート」で当初は名前をつけて保存したものを画像処理ソフトを使って再編集をしていたが、今は同じく「地図を画像にエクスポート」の中で「クリップボードへコピー」で一時保存して画像処理ソフト上へ直接貼り付けるようにしている。段階を少なくすれば単純化する。その意味では図3はQGIS上で「レイアウト」して図のタイトルや凡例を配置してから「画像にエクスポート」したもので、さらに意図どおりのものが出力される。とはいえ、少し記号の大きさが違ったりして、イメージが異なってくることがわかるだろう。画面上で見ている画像のイメージに近いのは図1や図2の方だろうか。方法はどのようでも構わないのだろうが、出力方法もある程度マニュアル化しておいた方が画一化した図になる。

 

 

図3

 

 ここまでただむやみに図化して陳列してみたわけであるが、いずれにしてもデータ化さえできれば、図化は容易だ。これによって大量の「長野県民俗地図」が世に放たれるのかもしれないが、今日も友人とこのことについて話をもったが、そもそもパソコンのスペックの話、データ共有の仕方、などなど誰もが恩恵に預かれるかどうかは微妙でもある。

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遠いその日をイメージして

2022-10-24 23:13:39 | つぶやき

 平成2年の11月18日に能登は輪島に泊っている。翌朝輪島の朝市を訪れたのだが、モノクロフィルムへ盛んに朝市の様子を納めていた。記憶が定かではないのだが、あえてこのような対象を狙っていたのかどうかははっきりしない。見ての通り、お年寄りが地場の野菜を売っているものばかりが映り込んでいた。意図的なのかもしれない。

 今の朝市がどのような光景化はまったくしらない。しかし、当時のこれら写真を見ていると売り手も、そして買い手も、高齢の女性が目立つ。もちろん観光客らしき人の姿もたくさん見られるが、地元のお年寄りが朝市で野菜を手に入れている光景も目立つ。そしてなりより女性ばかりだ。今、まったく知識も、情報も得ないまま写真からだけ、あるいは記憶からだけ見つめているが、果たしてこのイメージが正しいのかどうか…。もはや30年以上前の記憶は、遠いものとなってしまっている。

「輪島朝市」平成2年11月19日撮影

 

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