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防衛省設置法第12条の改正、要は自衛官は人事権まで奪はれて去勢されたままでいいのかということ

2015-03-09 | 安全保障

防衛省設置法第12条時改正と政府統一見解
 政府は3月66日、防衛宮僚(背広組)自衛官が対等であることを明確にする防衛省設置法改正案を閣議決定した。これに合わせ、中谷防衛相は6日の衆院予算委員会で、政治が軍事をコントロールする「文民統制」(シビリアンコントロール)に関する政府統一見解を示した。

 
 中谷防衛大臣は、文民統制について「国会における統制、国家安全保障会議を含む内閣による統制とともに、防衛省における統制がある」とした。そのうえで、防衛省における統制を「文民である防衛相が、自衛隊を管理運営し、統制すること」と説明した。

 改正案で、背広組と自衛官の対等関係をはっきりさせるのは、部隊運用などでの自衛官の位置付けがあいまいになっていたからである。自衛隊法では統合幕僚長らによる防衛相の「補佐」が明記されており、改正案にも同様の規定を盛り込むことで、自衛官の役割を明確にした。自衛隊の部隊運用業務を自衛官中心の統合幕僚監部に一元化することも打ち出した。 

「文民統制」とは   
 現行法12条は、防衛相が各幕僚長に指示する際、官房長らが補佐すると定めている。これを根拠に、予算や装備調達、部隊運用などで官僚が主導権を握ってきた、との不満が長年、自衛官にあった。自衛隊が国内外で活動する機会が増える中、自衛官の発言権は徐々に拡大し、背広組が優位にあるとの実態は薄れている。

 今回の改正については、「文民統制(シビリアンコントロール)が弱まり、自衛官に対する抑制が利きにくくなる」といった批判があるが、的外れである。

 文民統制とは、民主主義国家で軍事に対する政治の優先を確保し、文民が軍人への最終的な指揮権を有することをいう。軍部の暴走を許した戦前の反省を踏まえた考え方である。背広組による自衛官の支配ではない。

 憲法66条は、首相や閣僚は「文民でなければならない」と明記している。これに基づき、文民の首相や防衛相が自衛隊を指揮・監督する。国会への法律制定や予算決定、出動時の承認などで自衛隊に対するチェック機能を栗たす。こうした二重三重の文民統制は改正後も全く変わらない。自衛隊は国民の代表である国会や内閣によってコントロールされている。
 
    一党独裁の軍事大国の中国、全人代に出席する軍人
            哀れ自衛官は国会で発言する機会もない。
 

「文民統制」と似て非なる制度  
  警察官僚が自衛官を抑えるために考え出した「文官統制」 

「文民統制・シビリアンコントロール(Civilian Control Over the Military)」とは民主主義国における軍事に対する政治優先または軍事力に対する民主主義的統制をいう。すなわち、主権者である国民が、選挙により選出された国民の代表を通じ、軍事に対して、最終的判断・決定権を持つ、という国家安全保障政策における民主主義の基本原則である 

 「シビリアン」とは、日本語訳で「文民」、つまり一般国民代表たる政治家のことを指すのであり、防衛省の事務官(背広組)を含めた官僚(文官)のことを指すわけではない。 元来、政治(選挙等による選抜)・行政(専門試験・能力による選抜)という二分論の下では、自衛官も事務官も共に行政の領域に属する以上、民主主義を制度化する国家においては、双方とも政治による民主的な行政統制の下に置かれるべきものである。 

 「文民統制」は自衛隊が警察予備隊、保安庁、防衛庁・自衛隊が創設されていく過程での関連法令によって警察官僚に都合のよいように歪められたのである。 これらの法令に基づく制度の中には、「文官(官僚)が武官(部隊)を統制する」という本来の文民統制とは異なる制度もできて来たのである。

 後に「文官統制(文官優位)」と呼ばれるこの制度は、再軍備の中枢を担っていく旧内務省の警察官僚が 旧軍人を復帰させたい政治勢力を抑え込む過程で、官僚自らを部隊の上位に配置する形で作られた。このような日本独自の制度が作られたのは、「文民統制」の意味が正しく理解されず警察官僚が彼らに都合のいいように歪めたためである。  

弊害だらけの「文官統制」
  その実態は自衛官を押さえつけ無能を隠す手段 

●かつては設置法12条の下で「防衛参事官制度」があった。重大事項は防衛参事官という局長級以上の官僚だけで構成する会議で決定していた。陸海空幕僚長、および統幕議長は参事官会議の正式構成員でもなかった。防衛相を補佐する防衛参事官は背広組が独占していたのだ。内局の運用企画局が自衛隊の部隊運用(作戦)も一端を担ってきた。軍事の素人が部隊運用に嘴を入れる国は日本以外には無い。

●「成立すれば自衛官組の影響力が強まり、シビリアンコントロール(文民統制)を確保するため防衛相の責任が一層問われる。」(朝日新聞 3月6日)、自衛官組の影響力が強まろうが無かろうが、こんなことは当たり前ではないか。

  政治家が軍事をコントロールする識見が無いことが問題なのだ。歴代の防衛大臣で国防に関心が有ったものが果たして何人いただろうか。国防に素養も関心も持っていない者に大臣ポストを提供するだけの閑職扱いであったではなかったか。民主党政権の防衛大臣、一川、田中はその最たるものである。ほとんどの防衛大臣、副大臣及び政務官、背広組は武器の知識も訓練・演習も知らない軍事に関しては全く素人である。 

●防衛省では自衛隊のことをろくに知らない20代の内局官僚が窓口になる場合が有る。素人の若い官僚相手では業務がはかどらない。陸上自衛隊OBの佐藤正久参院議員も「若い防衛官僚が陸自1佐の机に足を乗っけて、お酌をさせている姿を見たことがある」と言っている。
 その悪弊のシンボルが腐敗官僚、守屋武昌である。汚職まみれの守屋は防衛局長時代から人事に深く介入し、下部の役職の決裁より先に自分に複数の人事案を見せるよう要求したほか、下部の役職が承認するような人事案件も自身が選定する人事慣行を定着させ、防衛政策だけでなく防衛調達や自衛官への人事権を強め細部まで介入する人事構造を定着させた。また、自己に媚びへつらう人物を要職に抜擢する一方で自分と対立した人間を難癖をつけて左遷させるなど庁内で権勢を振るい「防衛庁の天皇」と呼ばれた。其の末路は哀れを誘う。 

●自衛隊で事件・事故が発生した場合、ことは急を要するにもかかわらず、事故速報を防衛庁長官に報告するには、一番よく分かっている自衛官組が防衛長官に直接会って報告することは許されなかった。背広組は陸海空自衛隊が保有している武器については全く素人である。説明は、武器の構造、原理など所的なことから始まり、訓練の詳細、事故の原因に渡り、事細かく丁寧に説明しなければ理解は得られない。

 背広組は長官の質問に備えるため自衛官にあれこれ教えを請うことになる。背広組の報告準備を手伝っているうちに2~3時間は経過する。最初から自衛官組が防衛長官に報告すれば、数分で事足れる。素人が防衛長官に報告するから遅れることになる。その結果、なぜ報告が遅いのだと自衛官組がお叱りを受けるが、背広組は責任を取らないで済む。

●「文官統制」の弊害が目立つようになって久しい。平成7年1月の阪神淡路大震災では内局への説明に時間がかかり、装備の搬入が遅れた。20年2月のイージス艦衝突事故では背広組・自衛官組の二重体制が防衛相への報告遅れにつながった。しかも背広組は矢面に立つこともなく責任逃れに汲々とした。 

自衛官は人事権まで奪はれ去勢されたままでいいのかということ 
 防衛省では「文民統制」ではなく官僚統制になっている。自衛隊は文字通り 官僚によって手足を縛られ、身動きが取れない状態になっている。官僚が自衛官を思いのままに操ろうというのが狙いである。現在では官僚の許可がないと 命令も下せない。 

 自衛官は決済・合議を受ける過程で、反対する官僚が人事=昇進などをチラつかせた場合、これに妥協せず屈せず自説を通すだけの胆力を持ち合わせているかかどうか、甚だ疑問である。世渡り上手が昇進することになる。自衛官人事権まで奪はれて去勢され手はならない。「文民統制」は変節常なき政治家とこれに連なる官僚に操られ、党利党略に利用されることではない。こんなことで良いのかということである。

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