これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

天皇皇后両陛下のペリリュー島慰霊 時代転換の節目、自衛力を増強してもそこに“魂”は入れられない

2015-04-11 | 皇室 

  天皇皇后両陛下のペリリュー島慰霊
 

 両陛下が、第2次大戦の激戦地、西太平洋のパラオ共和国を訪問された。戦後70年の「慰霊の旅」である。「亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたい」。天皇陛下は」パラオ政府主催の歓迎晩餐会で、こう述べられた。

 戦没者と遺族に心を寄せ続ける陛下の率直なお気持ちだろう。両陛下は、日本政府がペリリュー島に建立した「西太平洋戦没者の碑」に、日本から持参した白菊を供花された。米軍の慰霊碑にも花輪を供えられた。両陛下のコ訪間に合わせ、生還した元兵士や遺族もペリリュー島を訪れた。元兵士は90歳前後になっている。慰霊する両陛下に立ち会ったことで、一つの区切りがついたのではないか。 

戦後70年、「戦後」とは「敗戦後」か「終戦後」か
 日本は大東亜戦争で「負けたのか」、それとも「戦争が終わった」のか、両者を曖昧のままにして70年過ごしてきた。戦前、天皇は「神聖にして犯すべからず」と位置づけられていた。

 天皇は天皇大権と呼ばれる広範な権限を有していた。特に、独立命令による法規の制定(9条)、条約の締結(13条)の権限を議会の制約を受けずに行使できたが、実態は、運用上は天皇が単独で権限を行使することはなく、内閣総理大臣が天皇の了解を得て決断を下すことが常であった。 

 また、大日本帝国憲法第11条「 天皇は陸海軍を統帥す」とある。統帥権を独立させ、陸海軍は議会や政府に対し一切責任を負わないものとさた。統帥権は慣習法的に陸軍参謀本部、海軍軍令部の専権とされた。統帥権に基づいて軍令機関は帷幄上奏権を有すると解し、軍部大臣現役武官制とともに軍部の政治力の源泉となり、陸海軍は天皇から直接統帥を受けるのであって政府の指示に従う必要はないとして、満州事変などにおいて政府の決定を無視した行動を取る力を誇示した。

 日露戦争後の中国特に満州の利権争奪をめぐる日米の対立が次第に激化したが昭和の時代に入ると軍部は「統帥権の独立」を理由に天皇の威を借りて国を動かし、米側の挑発もあり戦争に突入し敗北した。

 天皇は大権を有するが、天皇の行政大権の行使には国務大臣の輔弼(天皇が権能を行使するに際し、助言を与える事)を必要とする体制をとってきた。運用上は天皇が単独で権限を行使することはなく、内閣総理大臣が天皇の了解を得て決断を下した。陸海軍は議会や政府に対し一切責任を負わない。陸軍参謀本部、海軍軍令は、幕僚組織で天皇を補佐する機関であるとし戦争・戦闘で敗北しても責任をとった軍人はいない。

 戦前の日本は、内閣も軍部も天皇の名を借りて国を動かしたが国政を誤っても、戦争・戦闘に敗けても誰も責任を負わない仕組みになっていた。戦時中、日本は小さなことに、こせこせしたが、大きなことには抜けていた。全体と部分との混同が、至るところに見られた。部分的には立派なものであるが、全体的に総合すると、てんでんばらばらのものばかりで役に立たなかった。国全体が無責任だった。 

“戦後”は“終戦”で始まった  
  戦争は負けたのではない “終わった” のだ 
 ポツダム宣言受諾とともに鈴木貫太郎内閣が総辞職し,皇族の一員である陸軍大将東久邇宮稔彦王が内閣を組織した。東久邇内閣は国民に対し「承詔必謹」と「国体護持」を説き,天皇制支配の維持に努めるとともに,「一億総懺悔(そうざんげ)」を主張して国民からの戦争責任の追及を免れようとした。天皇の名を借りて国を動かした者が、敗北に至らしめ懺悔し天皇に謝罪するのは自然の流れであるが、一億総懺悔の前に軍人や政治家とこれに同調したマスコミなどが国民に懺悔すべきであった。誰も国民に謝罪することはなかった。

 東久邇宮首相は9月5日に国会で行われた施政方針演説において次のように発言した。

「事ここに至ったのは勿論政府の政策がよくなかったからであるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。 この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる。」

「敗戦の因って来る所は固より一にして止まりませぬ、前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ、我々は今こそ総懺悔し、神の御前に一切の邪心を洗い浄め、過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして、戦いの日にも増したる挙国一家、相援け相携えて各々其の本分に最善を竭し、来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきであります。」 

 東久邇宮は米軍占領直後には「終戦」という語句を用いて敗戦の現実を有耶無耶にしようとする流れを批判し、敗戦の現実を認識してはじめて国土再建が成ると閣僚に説いたが、下村陸軍大臣に国民の混乱を防ぎ、時局収拾を円滑にするため「終戦」という言葉を使ってほしいと説得され応じたという。

 東京裁判で連合国の戦争責任追及政策は、開戦責任が基調であり、いわゆる”A級戦犯”が罪をかぶり旧軍を悪者に仕立てることにして国民が大東亜戦争を総括することもなく、また戦争主体としての国民の責任や被害者に対する責任は有耶無耶にされた。 日本は戦に負けたのではなく終わったのだという意識が国民の間で定着した。“戦後”は“終戦”からスタートすることになった。 

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戦後の日本 

 他者に犠牲を強いることが出来ない国になった 
 ポツダム宣言の受諾によって戦争が終結した。平和憲法と象徴天皇という形で天皇制が存続し戦後の国体が形づけられ、サンフランシスコ講和条約と同時に締結した日米安保条約によって国体は盤石になった。
  
 日米安保条約は米国の圧倒的な力のもとに結ばれた不平等条約であり、米国は米国が望むところに望むだけの兵力を展開できることになった。その結果、日本(本土)の防衛は米国に任せ、外敵(=共産圏の国々)と直接対峙する必要性を感じなかった。


 米国の力が圧倒的であり、日本の経済力が米国以外の国のそれを圧倒的に凌駕している時代は、象徴天皇を戴き平和憲法のもと米国に追従していれば事足りた。国民は敗戦を意識することも、“弱小国”には物を言わせずにすんだ。日本国民でありながら保守の側も革新の側も、マスコミも国防に関心を持つ必要もなかった。国防は自衛隊、自衛官が関わることとされ、むしろ“悪”ととらえられた一時期も有った。戦後の体制はこれを是認する保守も、これに異を唱える革新にとっても“外敵”と直接対峙することがなかったので“平和憲法”のもで心地よいものだった。

 外敵と最前線で対峙したのは韓国、沖縄及び台湾であり、日本はその内側にあって“平和”を享受し経済的発展を追求することが出来た。

 戦後70年、この間、日本人にとっての天皇とは何か、その神威の下で行われた戦争と、その中での死者とは何であったか、そして、なかんずく、神としての天皇の死(1946年1月1日の『人間宣言』)の後、現に生存し、繁栄している日本人とは何かと問い詰めることなく過ごしてきたのである。

 日本国民は平和憲法が国を守るとの幻想にとりつかれ国防に関心を向けることなく“昭和元禄”という偽りの繁栄にうつつを抜かした。その挙句、精神性よりも“金銭”と“物質的幸福”だけが物を言う世の中に成り下がった。  

     戦後日本を象徴する お気楽な皇太子一家
     平時はまだしも、一旦有事になれば”兵”は命を捧げてまで
     国を守る気になるだろうか

      
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自衛力を増強しても、
   それだけでは “魂” を入れことはできない

 時が経ち米国の力の凋落と日本経済成長の勢いが無くなり、それと反対に日米以外の国、特に中国、韓国や東南アジアの国々が経済的に発展し力関係が大きく変わりつつある。また米国がアジアから兵を引き同盟国を守る力も気概を低下させるにつれ、大東亜戦争が、単に日米間の太平洋戦争としてとらえられ“戦争は終わった”という論理だけでは、これらの国々を納得させることができなくなった。

 米国以外のアジア各国、特に中国や南北朝鮮は“敗戦”を“終戦”と曖昧、有耶無耶にしてきたツケを蒸し返し日本に迫っている、これらの国々にとって“大東亜戦争”は決着していないのである。 

 中国、韓国の反日の動きはとどまるところを知らない。尖閣諸島には中国の公船の領海侵犯、接続水域の遊弋は常態化した。北朝鮮は核武装を強化しつつある。ロシアとの平和条約は締結されていない。戦後70年経って、日本は“外敵”と直接対峙しなければならぬ状況に直面することになったが肝心の日本国民は“外敵”と直接対峙するための心の準備が出来ていない。 

 大東亜戦争で先人は現人神である天皇のために命を捧げたが、敗戦後は、一転、現人神である天皇が人間になり、敗戦の責任を取ることもなく国民に謝罪したこともない。勝者・マッカーサーのもとに赴き写真に納まったのである。
 これは「国体は命よりも重かった」国から「人の命は地球より重い国」(福田赳夫元首相)へと転換した瞬間である。天皇が神として崇められたからこそ、兵は自らの命を捧げて戦ったが、人間として現れれば天皇のために捧げた命は何だったのかと全ての思いが瓦解する。
 かくて、戦後の日本は、誰もが他人に犠牲(=死)を強いることが出来ない国になったのである。外からの脅威に対し全く無防備になったのである。


 憲法改正論、有事法制、防衛力の増強、日米安保同盟の強化、防衛省の改革、教科書問題、歴史・道徳教育等など急ピッチで行われている。戦後体制の見直しを叫ぶ安倍自民党は、戦後体制の創始者である米国の意向に沿う形で日米同盟を強化に取り組んでいる国家が存続するためには、自らの利益を捨ててまで進んで国家を守るという動機が国民に起こらねばならない。 

 事に臨んで自らは生きたい、責任を取りたくないと生に執着するならば、その者が他者に犠牲を強いることはできない。その者のために命を捧げる程愚かなことはない。自衛官であろうとなかろうと。

 このような体質を孕んだ国家を是認し国家を運営してきた自民党に代表される政党・政治家が自衛力をいくら増強しても潜在的核武装能力を高めようとも、外敵と戦う集団である自衛隊に“魂”を入れることは不可能のように思える。



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