これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

天皇皇后は伊勢神宮へ、皇太子一家はスキー三昧で米国の占領政策「日本人の精神の武装解除」達成!

2014-03-26 | 皇室 

両陛下、伊勢へご出発 20年ぶりに「剣璽ご動座」
           
MSN産経ニュース2014.3.25 11:14

 天皇、皇后両陛下は25日午前、20年に1度、社殿を造り替え、ご神体を移す式年遷宮「遷御(せんぎょ)の儀」を昨年終えた伊勢神宮を参拝するため、三重県伊勢市に向けて新幹線の臨時専用列車でJR東京駅を出発された。両陛下の神宮ご参拝は平成13年11月以来。  

 今回のご訪問では、皇位とともに伝わる「三種の神器」のうち、「剣璽(けんじ)」(剣と勾玉=まがたま)を携行する「剣璽ご動座(どうざ)」も行われ、両陛下に随行する侍従が黒いケースに入れられた剣璽を携えた。剣璽が皇居から持ち出されるのは、前回の式年遷宮後に伊勢神宮を参拝された平成6年以来、20年ぶり。 

 両陛下は26日午前に衣食住の神、豊受大神(とようけのおおみかみ)を祭る伊勢神宮の外宮をご参拝。午後には外宮から約4キロ離れ、皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る内宮を参拝される。内宮の正宮(しょうぐう)には神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」がご神体として収められている。27日は式年遷宮の資料を展示した「せんぐう館」などを視察し、28日に帰京される。

   
          (2014年3月25日 TBS Nスタ)


皇太子ご一家、長野県入り スキーなどをして静養  
      
朝日新聞デジタル朝DIGITARう2014年3月25日00時12分

  皇太子ご一家は24日、静養のため新幹線で長野県入りした。数日間、県北部に滞在し、スキーなどをして過ごす予定。ご一家は午後0時半すぎに長野駅に到着。駅前で約150人に出迎えられると、笑顔で手を振った。18日に学習院初等科を卒業したばかりの愛子さまは、白い上着にカジュアルなズボン姿。「おめでとうございます」と声をかけられ、左手をゆっくりと振って応えていた。

 愛子さまは冬休み中だった1月初旬にも、友人と同県北部の奥志賀高原でスキー教室に参加。急な傾斜の熟練者向けコースを滑ったり、焼額山(標高2009メートル)の頂上から滑り降りたりしたという。

    映像で見ると 
    庶民は消費税アップを直前に控え知恵絞っている。私ら家族はスキーで滑って転んで楽しく遊んでいます。
  ハッピーハッピー、ナルチャン、よかったよかった。妻が真ん中、妻に寄り添って生きていきますということか。
  朝日新聞は、黒枠で囲っている。三代目で”お終い”。わかるわかるよくわかる。
     (朝日新聞DIGITAL)                   (msn産経ニュース)
 

GHQの占領政策を遂行したニュー・ディーラー 
 1945年、日本の降服によって米国の占領行政が始まった。連合国軍最高司令官(SCAP)の総司令部(GHQ)を組織されたが、占領政策を遂行するために新たに設けられた民政局(GS)や経済科学局(ESS)、天然資源局(NRS)といった9つのセクションの局長も、大半がマッカーサの部下として太平洋戦争を戦ってきた軍人、いわゆる“バターン・ボーイズ”で占められた。しかしながら彼らは、政策や行政には全くの素人であった。

 各部局の長が行政経験のない軍人たちであるため、その下で働くスタッフは行政の知識と経験を持った専門家が必要であった。軍国日本を、米国製“民主主義”国家に変身させる大革命を遂行するためマッカーサーは、「ヨーロッパ戦線に従軍した経歴のある大佐以上で、連邦政府で働いた経験がある者」という条件を満たす者の派遣を米国陸軍省に要請した。

 その呼びかけに応えて馳せ参じたのが“ニュー・ディーラー”と呼ばれる連中であった。1945年当時、“連邦政府で働いた経験がある者”とは、フランクリン・ルーズベルト大統領の下で働いた者であるが、1945年春、ルーズベルト大統領が死去しトルーマン大統領になるとニュー・ディールも終わることになった。

 米国でかなえられなかったニュー・ディールの“理想”を実現すべくマッカーサの呼びかけに応え占領行政に積極的に取り組んだ。ルーズベルト大統領自身“容共的”であったが、ニュー・ディーラーも“容共的”であり米ソ対立が表面化する前の1946年1月までは、彼等は旧軍と対立していた人物は主義主張に関係なく呼び込み、扇動し、利用した。

 戦時中獄中にあつた共産党幹部の徳田球一や志賀義雄をはじめとする政治犯を釈放し、尾崎行雄や加藤勘十など軍部と対立関係にあった人物や、共産党の鹿地亘、野坂参三など利用するなど、GHQと共産党など左翼は蜜月関係にあった。彼らは天皇を戦犯として裁判にかけ、戦前の経済基盤を徹底的にに解体し(財閥解体)、地主を放逐し(農地解放)、日本の政府組織とその人事を根本的に改革し、日本の指導を誤った官僚主義と古い徒党のすべてを排除(公職追放)することこそが、日本を民主化する唯一の道である考えていた。

【参考】 旧連合軍総司令部(明治生命ビル)内の写真

日本が米国の“ポチ”になった由来 
   
米国もマッカーサーも天皇を最大限利用した 
 昭和天皇は「降服後ニ於ケル米国ノ初期ノ対日方針」を受け入れ米国のために動くことによって天皇は戦犯として裁かれるのを免れた。敗戦後、天皇がマッカーサーを訪問したが、この会談でマッカーサは天皇の“私心”なき人柄に甚く感銘を受けたとされている。2人だけの会談は“男同士の約束”として真相は明らかにされていない。


 マックアーサーは父親が日露戦争の観戦武官として日本に来ており、元帥も父親に呼ばれ付武官として日露戦争戦後、来日している。マッカーサは、当時の日本人は官民問わず国民全体が天皇に敬愛の念を持っていることに深く感銘を受けたようで、その経験から天皇を利用して占領行政遂行を遂行した。また天皇は“国体護持”・・・・即ち戦犯にならぬこと・・・・・をジカに取り付けることにより、占領行政に積極的に協力したのだろう。 

    1945(昭和20)年11月29日、米統合参謀本部はマッカーサーに対し、天皇の戦争犯罪行為の有無につき情報収集するよう命じた。 

 これを受けマッカーサーは、1946年1月25日付けのこの電報で、天皇の犯罪行為の証拠なしと報告した。さらに、マッカーサーは、仮に天皇を起訴すれば日本の情勢に混乱をきたし、占領軍の増員や民間人スタッフの大量派遣が長期間必要となるだろうと述べ、アメリカの負担の面からも天皇の起訴は避けるべきだとの立場を表明している。

      マッカーサーからアイゼンハワー陸軍参謀総長宛の「天皇の戦犯除外」に関する書簡 
  
                               (国立国会図書館の資料)

 米国の占領政策は、
①日本が米国の脅威にならざることを確実にすること 
②米国の目的を支持すべき政府を樹立すること   
③占領及管理の実施のための政策は米国の政策に従うこと 
天皇および日本国政府の権限は最高司令官に従属すること 
日本国における現存の政治形態を利用するものであるが、これを支持するものではない  ・・・であった。

 戦後レジームは天皇家が果した役割抜きには語れない。天皇も米国の命令に従順に従うことで戦犯になることを免れ米国の占領政策に尽くした。米国の占領政策に沿って生きてきたという点に関しては、昭和天皇、今上天皇および皇太子一家とも共通している。そして、ニュー・ディーラーが目指した「精神の武装解除」は皇太子夫婦によって達成しつつあるかに見える。
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1945年9月6日の「降服後ニ於ケル米国ノ初期ノ対日方針」は、
第一部 究極ノ目的
日本国ニ関スル米国ノ究極ノ目的ニシテ初期ニ於ケル政策が従フベキモノ左ノ如シ
(イ) 日本国ガ再ビ米国ノ脅威トナリ又ハ世界ノ平和及安全ノ脅威トナラザルコトヲ確実ニスルコト

(ロ) 他国家ノ権利ヲ尊重シ国際聨合憲章ノ理想ト原則ニ示サレタル米国ノ目的ヲ支持スベキ平和的且責任アル政府ヲ究極ニ於テ樹立スルコト,米国ハ斯ル政府ガ出来得ル限リ民主主義的自治ノ原則ニ合致スルコトヲ希望スルモ自由ニ表示セラレタル国民ノ意思ニ支持セラレザル如何ナル政治形態ヲモ日本国ニ強要スルコトハ聨合国ノ責任ニ非ズ 
      (略)

 第二部 聨合国ノ権限 
一 軍事占領 
 ・・・・・諮問機関ノ設置ニ依リ主要聨合国ヲ満足セシムベシ日本国ノ占領及管理ノ実施ノ為ノ政策ヲ樹立スル為有ラユル努力ヲ尽スベキモ主要聨合国ニ意見ノ不一致ヲ生ジタル場合ニ於テハ米国ノ政策ニ従フモノトス・・・・・・ 

二 日本国政府トノ関係 

 天皇及日本国政府ノ権限ハ降伏条項ヲ実施シ且日本国ノ占領及管理ノ施行ノ為樹立セラレタル政策ヲ実行スル為必要ナル一切ノ権力ヲ有スル最高司令官ニ従属スルモノトス日本社会ノ現在ノ性格竝ニ最小ノ兵力及資源ニ依リ目的ヲ達成セントスル米国ノ希望ニ鑑ミ最高司令官ハ米国ノ目的達成ヲ満足ニ促進スル限リニ於テハ 天皇ヲ含ム日本政府機構及諸機関ヲ通ジテ其権限ヲ行使スベシ日本国政府ハ最高司令官ノ指示ノ下ニ国内行政事項ニ関シ通常ノ政治機能ヲ行使スルコトヲ許容セラルベシ但シ右方針ハ

 天皇又ハ他ノ日本国ノ権力者ガ降伏条項実施上最高司令官ノ要求ヲ満足ニ果サザル場合最高司令官ガ政府機構又ハ人事ノ変更ヲ要求シ又ハ直接行動スル権利及義務ニ依リ制限セラルルモノトス 更ニ又右方針ハ最高司令官ヲシテ米国ノ目的達成ニ指向スル革新的変化ニ坑シテ 天皇又ハ他ノ日本国ノ政府機関ヲ支持スル様拘束スルモノニ非ズ即チ右方針ハ日本国ニ於ケル現存ノ政治形態ヲ利用セントスルモノニシテ之ヲ支持セントスルモノニ非ズ 
 
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日本人に打撃を与えた「精神の武装解除」 
 米国の占領政策の目指すものは米国に敵対日本を作るためには日本の歴史を否定し、日本人の魂の空洞化する必要があった。天皇の人間宣言による神道の解体、憲法制定、皇室典範、教育基本法、新聞、雑誌、放送、映画などに対する言論統制などなど、これらはどれも日本人の精神に大きな影響を及ぼすことになった。精神的支柱を打倒することにより精神も武装解除されたのである。

 米国の占領政策で日本人の考え方に打撃を与えたのは新憲法であり、皇室典範であり、教育基本法であったが、最大のものは、戦争中から周到に練られていた、戦争についての罪の意識を日本人に植えつける宣伝計画に基づき占領後に開始された新聞、雑誌、放送、映画などに対する厳しい言論統制、検閲であった。これにより日本人の言論の自由を封殺するとともに、日本の歴史を否定することで日本人の魂の空洞化をねらったのであった。

 これとともに、占領軍が重視したのが国家神道の廃止である。1945年(昭和20年)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)を出した。この指令には

公の金によって保たれている教育機関において、神社に参拝したり、神道と関係のある祭り・慣習・式を行ったり助けたりしてはならない。
政府は「国体の本義」・「臣民の道」や神道についての公の書物・論評・解説・訓令を出してはならない。
公の文書において、「大東亜戦争」・「八紘一宇」その他日本語として国家神道・軍国主義・極端な国家主義と深い関係のある言葉を用いてはならない。また、そうした行いは今すぐやめよ。
少しでも公の金で保たれている役所・学校・機関・国体・建物の中に、神棚やその他国家神道を表す物を設けてはならない。また、そうした物は今すぐ取り払わなければならない。
官吏・雇傭員・学生・一般の人・日本居住者が、神道であろうと他の宗教であろうと、これを信仰しなかったり信仰していると言わなかったり、その慣習・祭り・式・礼式に加わらなかったために、区別して扱ってはならない。
政府・府県・市町村の官公吏が、公の資格で、新任の報告をするため、政治の現状を報告するため、役所の代表として式や礼式に加わるために、神社に参拝してはならない。
  など事細かく規定されていた。
 この指令によって神道を弾圧し皇室の伝統、すなわち日本人の心の拠り所の抹殺を図ったのである。

 これをうけて、昭和天皇は1949年1月1日 新年の詔勅を渙発した。
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官報 号外 昭和二十一年一月一日
詔書
茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。

大小都市ノ蒙リタル戦禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我国民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。

夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努カヲ効スベキノ秋ナリ。

惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。

然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。

朕ノ政府ハ国民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。

一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。

御名 御璽
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 この詔書の赤字の部分「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。が「人間宣言」と呼ばれている。昭和天皇は、民主主義は米国に押しつけられるようなものではなく明治天皇の時代から根付いていたこと、また自身が“現御神”と祭り上げられることを好まなかったことなどを国民に知らしめるめ昭和21年1月1日に詔勅を渙発されたのである。
 占領軍が重視したのは“人間宣言”と称される部分であった。 
                 
   (続く)天皇皇后は伊勢神宮へ、皇太子夫婦はスキー三昧で米国の占領政策「日本人の精神の武装解除」達成!(続)

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