この日記でも度々触れているんですが、自分のデビューは
留学中のロスでした(正式にはウェスト・ハリウッド)。
まあ何となく興味があったんですけど、あまりにも良い
オトコが街に溢れていたので、感情を抑えきれずに遂に
デビューしてしまいました。始めはバーの片隅でお酒を
チビチビ飲むのが精一杯だったんですが、若さというのか、
慣れというのか、徐々にセンターに行って踊ったりする事も
出来るようになりました。
ある時酔っ払って、上半身裸で踊っていたら、自分をジッと
見つめる1人の男の人がいました。その人は中年で小太りで
革ジャン姿、というパッとするのか、しないのか何とも判断が
難しいルックスでした。あまりその人の事は気にしないで
適当に踊った後、少し休もうと思いバーカウンターで
飲んでいたら、その小太りの男とバーのマネージャー
らしき人が自分に寄って来て、「少し話したい」というので、
上の階にある事務所へ行きました。そこで、その小太りの男が
「実は間もなくウェスト・ハリウッドでアジア人向けのクラブを
オープンする。もし良ければそこでGO-GO BOYをやって欲しい。」
という仕事の話でした。最初は「何トチ狂った事言っているんだ
このオッサンは。」と思い直ちに断りました。それでも
小太りのオッサンは食い下がって、是非お願いしたいと説得を
続けます。そこで「なぜ自分が?他にダンスが上手いアジア人なら
探せばいるはずなのに。」と質問をしてみました。そうすると
そのオッサンは「いろいろこの街を回って探したが、アジア人は
細くてオネエが入っているような子が多く、もっと線が太く、
筋肉質な子で男っぽくないとGO-GOはできない。君ならできる!」
と答えました。また当時は学生ビザだったので、仕事は基本的にNG。
その小太り(ジェリーというおじさんなので以下ジェリー)
のおじさんにその状況を説明して断ろうとすると、「基本的に
ダンサーは最低賃金以外はチップでお金を稼ぐので、君の場合は
最低賃金を発生させないで、それをチップとしてあげよう。書類上
君は働いていない事になる。」という本当に大丈夫なのかどうか
分からない説明でしたが、一応納得してダンスをする事に
なりました。
GO-GOの衣装で必要なのはT-バック1枚とちょっとセクシーな
ジム用ショートパンツとタンクトップ、それに当時流行っていた
CKの白ブリーフ。計40ドルぐらいでした。お金はジェリーが
用意してくれました。
ということでウェストハリウッドで初のアジア系ゲイバー
Temple Ballroomがオープンし、自分はGO-GOとして
オープンに参加することになりました。お世辞にも自分は
ダンスが上手いとは言えませんでしたが、何となくリズムに
合わせ適当に踊りながら服を1枚1枚脱いで、最後は
Tバック1枚になりました。始めは恥ずかしいなどの
抵抗感がありましたが、スポットライトを浴びている為、
自分からはクラブのフロアが全然見えなかったので、
徐々にその抵抗が和らいでいきました。何だかんだ
4時間踊って無事お仕事終了。T-バック内に入ったチップを
数えたら、全部で250ドルありました。
そんなこんなで暫く週1でGO-GOをしていたら、ジェリーが
ある日彼と同じような風貌の男を連れてきました。その男は
アメリカでアジア系のゲイビデオを輸入販売しているビデオ
メーカーの社長で、自己紹介するやいなや「今年はアメリカで
アジア系のモデルを使って自社でビデオを制作することになり、
その作品に出演してくれるモデルを探している。是非出演して
くれないか。」と言い出しました。そりゃ、いくらなんでも・・・と
思ったのですが、当時父が病気で倒れ入院生活をしていたので、
仕送りをしてもらう事に抵抗を感じていたり、好きな男に
逃げられたり、と凹むことが立て続けに起こり、ヤケ気味な
精神状態が背中を押したのでしょうか??または、ジェリーが
アジア系はアメリカ人からするとみんな同じに見えるので、
自分からバラさない限り正体はバレないはず、という言葉が
自分を安心させたのでしょうか?それとも毎日のように
ゲイビデオを見てあんな事一度でいいからやってみたい、
という若気の至りでしょうか??「勉強の支障がない程度なら」
という条件でOKしてしまいました。ビザの問題は一度メキシコへ
出国し、ワーキングビザに切り替えて再度アメリカに入国する、
というビデオ1本のために面倒な手続きを踏まえました。
さて、撮影は夏休みの時に行いました。場所はゲイバーの
プールテーブルが置いてあるラウンジ。モデルは自分(タチ)と
もう一人ネコ役のアジア系の男の子(アルバートという
ベトナム系の男の子)でした。スタッフは監督とカメラマン、
カメラアシスタントの4人。シチュエーションは2人で
ビリヤードで遊んでいるうちに徐々に燃え上がり、エッチする、
という極めて単純なお話。撮影中の生ナマしい話はご想像に
お任せしますが、なんとかタチはこなせました。自分は
メインのビデオモデルではないので、ジャケットの
写真撮影などはありませんでしたが、背表紙用の簡単な
スナップショット程度の撮影がその後30分程度ありました。
ビデオがリリースされた後、実際にゲイビデオ屋でパッケージを
手にとってみましたが裏表紙の自分は客観的に見ても自分では
ないような感じがしました。自分はJustinという名前で紹介
されていました。
誰だよJustinって・・・。
やはりアジア系のビデオはそんなに需要が無く、あまり
売れなかったようです。自分も何軒かゲイビデオが置いてある
アダルトショップを回りましたけど、1軒しか置いてませんでした。
その後、ビデオの話は全くありませんでした。GO-GOはその後
半年続けた後卒業前に辞めて、貯めたお金で帰国前にベガスで
1週間遊びまくりました。
これも青春の1ページ??
・・・・・今日のお話は全て嘘です。
エイプリル・フールと言うことで、嘘で固めたお話を作りました。
あまり上手い嘘じゃなかったかな・・・(笑)。
留学中のロスでした(正式にはウェスト・ハリウッド)。
まあ何となく興味があったんですけど、あまりにも良い
オトコが街に溢れていたので、感情を抑えきれずに遂に
デビューしてしまいました。始めはバーの片隅でお酒を
チビチビ飲むのが精一杯だったんですが、若さというのか、
慣れというのか、徐々にセンターに行って踊ったりする事も
出来るようになりました。
ある時酔っ払って、上半身裸で踊っていたら、自分をジッと
見つめる1人の男の人がいました。その人は中年で小太りで
革ジャン姿、というパッとするのか、しないのか何とも判断が
難しいルックスでした。あまりその人の事は気にしないで
適当に踊った後、少し休もうと思いバーカウンターで
飲んでいたら、その小太りの男とバーのマネージャー
らしき人が自分に寄って来て、「少し話したい」というので、
上の階にある事務所へ行きました。そこで、その小太りの男が
「実は間もなくウェスト・ハリウッドでアジア人向けのクラブを
オープンする。もし良ければそこでGO-GO BOYをやって欲しい。」
という仕事の話でした。最初は「何トチ狂った事言っているんだ
このオッサンは。」と思い直ちに断りました。それでも
小太りのオッサンは食い下がって、是非お願いしたいと説得を
続けます。そこで「なぜ自分が?他にダンスが上手いアジア人なら
探せばいるはずなのに。」と質問をしてみました。そうすると
そのオッサンは「いろいろこの街を回って探したが、アジア人は
細くてオネエが入っているような子が多く、もっと線が太く、
筋肉質な子で男っぽくないとGO-GOはできない。君ならできる!」
と答えました。また当時は学生ビザだったので、仕事は基本的にNG。
その小太り(ジェリーというおじさんなので以下ジェリー)
のおじさんにその状況を説明して断ろうとすると、「基本的に
ダンサーは最低賃金以外はチップでお金を稼ぐので、君の場合は
最低賃金を発生させないで、それをチップとしてあげよう。書類上
君は働いていない事になる。」という本当に大丈夫なのかどうか
分からない説明でしたが、一応納得してダンスをする事に
なりました。
GO-GOの衣装で必要なのはT-バック1枚とちょっとセクシーな
ジム用ショートパンツとタンクトップ、それに当時流行っていた
CKの白ブリーフ。計40ドルぐらいでした。お金はジェリーが
用意してくれました。
ということでウェストハリウッドで初のアジア系ゲイバー
Temple Ballroomがオープンし、自分はGO-GOとして
オープンに参加することになりました。お世辞にも自分は
ダンスが上手いとは言えませんでしたが、何となくリズムに
合わせ適当に踊りながら服を1枚1枚脱いで、最後は
Tバック1枚になりました。始めは恥ずかしいなどの
抵抗感がありましたが、スポットライトを浴びている為、
自分からはクラブのフロアが全然見えなかったので、
徐々にその抵抗が和らいでいきました。何だかんだ
4時間踊って無事お仕事終了。T-バック内に入ったチップを
数えたら、全部で250ドルありました。
そんなこんなで暫く週1でGO-GOをしていたら、ジェリーが
ある日彼と同じような風貌の男を連れてきました。その男は
アメリカでアジア系のゲイビデオを輸入販売しているビデオ
メーカーの社長で、自己紹介するやいなや「今年はアメリカで
アジア系のモデルを使って自社でビデオを制作することになり、
その作品に出演してくれるモデルを探している。是非出演して
くれないか。」と言い出しました。そりゃ、いくらなんでも・・・と
思ったのですが、当時父が病気で倒れ入院生活をしていたので、
仕送りをしてもらう事に抵抗を感じていたり、好きな男に
逃げられたり、と凹むことが立て続けに起こり、ヤケ気味な
精神状態が背中を押したのでしょうか??または、ジェリーが
アジア系はアメリカ人からするとみんな同じに見えるので、
自分からバラさない限り正体はバレないはず、という言葉が
自分を安心させたのでしょうか?それとも毎日のように
ゲイビデオを見てあんな事一度でいいからやってみたい、
という若気の至りでしょうか??「勉強の支障がない程度なら」
という条件でOKしてしまいました。ビザの問題は一度メキシコへ
出国し、ワーキングビザに切り替えて再度アメリカに入国する、
というビデオ1本のために面倒な手続きを踏まえました。
さて、撮影は夏休みの時に行いました。場所はゲイバーの
プールテーブルが置いてあるラウンジ。モデルは自分(タチ)と
もう一人ネコ役のアジア系の男の子(アルバートという
ベトナム系の男の子)でした。スタッフは監督とカメラマン、
カメラアシスタントの4人。シチュエーションは2人で
ビリヤードで遊んでいるうちに徐々に燃え上がり、エッチする、
という極めて単純なお話。撮影中の生ナマしい話はご想像に
お任せしますが、なんとかタチはこなせました。自分は
メインのビデオモデルではないので、ジャケットの
写真撮影などはありませんでしたが、背表紙用の簡単な
スナップショット程度の撮影がその後30分程度ありました。
ビデオがリリースされた後、実際にゲイビデオ屋でパッケージを
手にとってみましたが裏表紙の自分は客観的に見ても自分では
ないような感じがしました。自分はJustinという名前で紹介
されていました。
誰だよJustinって・・・。
やはりアジア系のビデオはそんなに需要が無く、あまり
売れなかったようです。自分も何軒かゲイビデオが置いてある
アダルトショップを回りましたけど、1軒しか置いてませんでした。
その後、ビデオの話は全くありませんでした。GO-GOはその後
半年続けた後卒業前に辞めて、貯めたお金で帰国前にベガスで
1週間遊びまくりました。
これも青春の1ページ??
・・・・・今日のお話は全て嘘です。
エイプリル・フールと言うことで、嘘で固めたお話を作りました。
あまり上手い嘘じゃなかったかな・・・(笑)。
「ええ?ええ?すごい経験だなー」って感じで、何の疑いもなく読んでしまいました。全て嘘って事ですが、どこかに本当の話も混じってたりして?
こんな妄想気味な嘘話に付き合ってくれて有難うございます。最初は宇宙人とチャネリングした話とか心霊体験の話とかも考えたんですが、折角のゲイサイトなんで、ゲイエロの話にしました。
この中で正しい話はデビューの箇所とGO-GOのスカウトの小太りおじさんに話しかけられたところぐらいです。