まだしつこく書いたりして。
東京都青少年健全育成条例改正案の関連ですが。
よそ様のブログを読んでて、なるほど、そうだよねーと思ったので紹介します。
へぼやさんの「ヘボログ」↓
非実在青少年関係「青少年育成条例改正? ふーん、いいんじゃない?」 という人へ
一部を紹介します
.............
●それじゃあ、俗悪な表現を放置しておくのか?
俗悪で、不道徳で、これは世にあってはならないと思える創作物があったとします。
だったら、貴方が採るべき第一の手段は、「表現の自由」を行使することです。
批判をし、糾弾をする事です。
出版社に抗議をしましょう。
或いは書店に抗議をしても良いでしょう。
不買運動を始めても良いでしょう。
抗議デモをしても良いです。
そうする権利が、貴方にはあります。
嫌がらせ、ではありません。営業妨害、でもありません。
表現の自由に基づいた、抗議です。
それが 「表現の自由」 だからです。
出版社だって営利企業です。
批判が多くなって、これは商売にならんと思ったら、自主的に販売停止にします。
出版社なんて所詮その程度です。
連中、たいして根性無いんです。
岩波みたいな、立派そうな所ですら、ちょっと文句言われただけで、『ちび黒サンボ』を絶版にしたりするんですよ。
その程度なんです、彼ら。
ですが、「公権力に取り締まりをして貰おう」と。
これは、最悪です。
公権力に、表現の自由を取り締まって貰おうというのは、最悪の方法なのです。
それは、「権力者様、私たちの首に縄を付けてください」 と、自らお願いをしに行くようなものだからです。
「どうぞ権力者様。私たちの首を縄で括って、いつでも好きなときにキュッと締めてください」 と。
「公権力に表現の自由を取り締まって貰おう」 というのは、そういう事なのです。
それは、奴隷の安寧です。
●でも、それでも出版され続けていたら?
勿論そう言うことはあります。
貴方に主張があるように、当然相手にも主張があります。
もし相手に根性があれば(無いことの方が多いですよ、出版社なんて)、彼らも自分達の意志と権利を主張します。
これは、「価値観の戦い」なんです。
戦って、頑張って「勝って」ください。
でも決して、勝てないからと言って、対話もせず、戦いを放棄して、奴隷に成り下がることは、止めてください。
目の前の戦いに勝てないからと言って、権力の奴隷になるのは、親や祖父母、そして子や孫にも顔向けの出来ない、最も恥ずかしいことだからです。
............一部引用してみました
そうなんですよ、何も、児童ポルノやそれに類するものを野放しにしろとか、もっと大胆に世に出せとか、そういうことを言いたいのではないのです。そうじゃなくて、出版や表現や言論は、どんな分野であっても、
「公権力によって規制しろ、取り締まれ」
などと言ったらいかんのだと。どう考えてもおかしい、間違っていると。
しつこいけれど、言います。
それしても都知事ってさー
青少年のためだとか何だとか言ってオリンピックの誘致活動して、大金を無駄遣いした上に失敗したらよその国の悪口言ったりして、どこが「青少年のため」になっているんだろうかと、思ったりするんですけど。今の子供たちが、ああいう大人だけにはなってほしくないわー
しみじみ思っている今日この頃でございます。

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東京都青少年健全育成条例改正案の関連ですが。
よそ様のブログを読んでて、なるほど、そうだよねーと思ったので紹介します。
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.............
●それじゃあ、俗悪な表現を放置しておくのか?
俗悪で、不道徳で、これは世にあってはならないと思える創作物があったとします。
だったら、貴方が採るべき第一の手段は、「表現の自由」を行使することです。
批判をし、糾弾をする事です。
出版社に抗議をしましょう。
或いは書店に抗議をしても良いでしょう。
不買運動を始めても良いでしょう。
抗議デモをしても良いです。
そうする権利が、貴方にはあります。
嫌がらせ、ではありません。営業妨害、でもありません。
表現の自由に基づいた、抗議です。
それが 「表現の自由」 だからです。
出版社だって営利企業です。
批判が多くなって、これは商売にならんと思ったら、自主的に販売停止にします。
出版社なんて所詮その程度です。
連中、たいして根性無いんです。
岩波みたいな、立派そうな所ですら、ちょっと文句言われただけで、『ちび黒サンボ』を絶版にしたりするんですよ。
その程度なんです、彼ら。
ですが、「公権力に取り締まりをして貰おう」と。
これは、最悪です。
公権力に、表現の自由を取り締まって貰おうというのは、最悪の方法なのです。
それは、「権力者様、私たちの首に縄を付けてください」 と、自らお願いをしに行くようなものだからです。
「どうぞ権力者様。私たちの首を縄で括って、いつでも好きなときにキュッと締めてください」 と。
「公権力に表現の自由を取り締まって貰おう」 というのは、そういう事なのです。
それは、奴隷の安寧です。
●でも、それでも出版され続けていたら?
勿論そう言うことはあります。
貴方に主張があるように、当然相手にも主張があります。
もし相手に根性があれば(無いことの方が多いですよ、出版社なんて)、彼らも自分達の意志と権利を主張します。
これは、「価値観の戦い」なんです。
戦って、頑張って「勝って」ください。
でも決して、勝てないからと言って、対話もせず、戦いを放棄して、奴隷に成り下がることは、止めてください。
目の前の戦いに勝てないからと言って、権力の奴隷になるのは、親や祖父母、そして子や孫にも顔向けの出来ない、最も恥ずかしいことだからです。
............一部引用してみました
そうなんですよ、何も、児童ポルノやそれに類するものを野放しにしろとか、もっと大胆に世に出せとか、そういうことを言いたいのではないのです。そうじゃなくて、出版や表現や言論は、どんな分野であっても、
「公権力によって規制しろ、取り締まれ」
などと言ったらいかんのだと。どう考えてもおかしい、間違っていると。
しつこいけれど、言います。
それしても都知事ってさー
青少年のためだとか何だとか言ってオリンピックの誘致活動して、大金を無駄遣いした上に失敗したらよその国の悪口言ったりして、どこが「青少年のため」になっているんだろうかと、思ったりするんですけど。今の子供たちが、ああいう大人だけにはなってほしくないわー
しみじみ思っている今日この頃でございます。

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