ネットオヤジのぼやき録

ボクシングとクラシック音楽を中心に

カムバック I /軽量級の爆裂パンチャーが4年ぶりの復活 - D・クェリョの場合 -

2019年06月09日 | Boxing Scene

■2019年3月8日/アンゴノ(マニラ近郊/フィリピン)/ABFバンタム級王座決定10回戦
元ミニマム級コンテンダー デンヴァー・クェリョ(比) TKO2R ジャック・アミサ(インドネシア)



2011年から2013年にかけて、ミニマム級で世界王座にあと1歩まで迫ったフィリピンのハードヒッターが、4年に及ぶ長いブランクを経て復活を遂げた。鮮度の落ちるレビューで恐縮だが、個人的に高い関心を持っていた選手なのでご容赦願いたい。

デンヴァー(デンヴェル)・クェリョは、イロイロ(ビサヤ諸島)出身の32歳。サウスポースタイルから放つ強打とスピーディな身のこなしで、最軽量クラスでありながら、「ネクスト・パッキャオ」の最右翼に数えられるチャンピオン候補の筆頭だった。

本来ならばキャリアのピークを築き、大輪の花を咲かせる筈だった28歳からの貴重な4年間を、右肩に負った大怪我が原因で棒に振り、長いドクターストップが解けてようやくリングに舞い戻る。


フィリピンのローカル・ニュースには、忘れた頃に小さな記事が掲載されていたらしいのだが、休養中にまったくと言っていいほど音沙汰がなく、昨年5月、Fightgame Asiaが「2018年度中の復帰」を報じたものの、具体的な続報が出ることはなく、てっきり引退したものとばかり思っていた。復帰決定のニュースを聞いて、「本当に大丈夫なのか?」と心配していただけに、危なげない勝利を知って一安心。
※Filipino Boxing Warrior Denver Cuello Eyes Ring Return This 2018
2018年5月24日/Fightgame Asia
https://fightgameasia.com/2018/05/24/filipino-boxing-warrior-denver-cuello-eyes-ring-return-this-2018/


選ばれた相手は8連敗中のインドネシア人(2011年以降の8年間で2勝29敗!)で、なおかつ主戦場は108ポンドのL・フライ級。求められればフライ級(プラスアルファ)の調整も厭わない典型的なアンダードッグは、118ポンドのバンタム級(53.5キロ)契約に応じてフィリピンに渡り、115ポンドのS・フライ級(52.2キロ)で計量をクリア(?)。

ここまで保険を掛けなくても・・・と思ってしまうが、なにしろ丸4年近く実戦から遠ざかっている。休んでいる間に三十路に突入し、体重は最高で70キロ近くまで増えてしまったという。

どうやら当初の計画では、ブランク前に戦っていたフライ級リミットでやるつもりだったらしい。本格的なジムワークを始めて少しづつ絞り込んだが、流石に112ポンド(50.8キロ)は厳しかったようだ。


ABF(Asian Boxing Federation)という、得体の知れないローカル・タイトル(?)が懸けられているが、まあこれはご愛嬌。本来の階級より6ポンドも重い調整だったこともあり、動きそのものはいまいちキレを欠いて、出足のスピードにも不満は残るが、なにしろ4年ぶりの実戦でバンタム級。加齢の影響も考慮しなければならない。

ミニマム級を席巻した豪打だけは健在で、手間隙かけずにきれいに片付けなければならない相手を、序盤のうちにKOでし止められたのは何より。鈍った試合勘と身体全体のキレやスタミナは、一番良かった頃と同じ水準は無理にしても、チューンナップを繰り返す中でそれなりに戻って行くだろう。

「The Excitement」のニックネームに恥じない勝利を持って、まずは良しとするべき。あれこれ細かいところを粗探しするのは、数戦やった後でも遅くはない。

※試合映像:クェリョ TKO2R J・アミサ
https://www.youtube.com/watch?v=unPHuUFPb5s

興行には「Return of the Champions」のキャッチコピーが付けられ、昨年2月の試合(無名の同胞に2回TKO勝ち)を最後に、やはり引退が取り沙汰されていた37歳のソニー・ボーイ・ハロ(元WBCフライ級王者)も一緒に復帰を果たし、無名のインドネシア人を5回TKOに下している(8回戦/ウェイト不明)。




ブランクを作った直接的な原因は、6年前の世界戦で負った右肩の負傷。2013年6月28日、中東ドバイ(UAE/アラブ首長国連邦)のワールド・トレード・センターで、中国の突貫ファイター,ゾン・シャンシャオ(熊朝忠:フライ級で内藤大助に挑戦)と、空位のWBCストロー(ミニマム)級王座を争った際、序盤に右肩の腱筋を断裂してしまい、初回にダウンを奪う快調なスタートが一変、大半のラウンドを左手1本で戦う苦境に陥った。

この決定戦がアナウンスされた時、クェリョの載冠は間違いないと確信したことを、今もはっきりと覚えている。海外の速報でクェリョが0-2の判定負けを喫したと知り、「そんなバカな・・・」と絶句した。



どんなに手こずったとしても、中盤までにはクェリョがストップに追い込むに違いないと、信じて疑わなかったからだ。懸念材料があるとすれば、頭ごと強引に飛び込んで来る中国人のヘッドバットぐらいしか思い浮かばない。実際に第9ラウンドに大き目の衝突が起きて、中国人は1ポイント減点されている。

その後ネットで映像を入手して確認したが、113-113のドローは百歩譲るにしても、112-115と110-113でゾンを支持したジャッジ2名は、始めから中国人の勝ちと決めていたと言われても仕方がない。


ドバイにはドラゴン・マートと呼ばれる巨大な商業施設(2004年オープン/中国資本による国外最大規模の施設)があり、「一帯一路(麻生太郎が”サラ金みたいなもの”と喝破してくれたが)」も込みで中国が深く手を突っ込んでいる。昨年夏には、中東最大のチャイナタウン建設も報じられた。

L・フライ級の絶対王者ゾウ・シミンのみならず、無事に北京五輪の開催に漕ぎ着け、ボクシングでは重量級のメダリストも輩出。”14億の新しいマーケット”に、王国アメリカのプロモーターたちも熱視線を送り始めた時期で、パッキャオをハンドリングしていたボブ・アラムは、ロマチェンコと村田諒太だけでなくゾウ・シミンも獲得して、一時は中国市場の開拓に本気になりかけたほど。

興行を主催したプロモーターは、2012~13年にかけてパッキャオを呼ぼうとして失敗したザック・タゥマファイ(Zach Taumafai)という人物で、自前の興行会社を持っている。この決定戦を承認した時点で存命だった御大ホセ・スレイマン会長も、中国初の世界王者(男子)を、是が比でもWBCから出したかったに違いない。



クェリョにとっては、完全アウェイと表すべき状況。それでも、過酷な逆風をものともせず、メキシコで豪快なKO勝ちを続けたクェリョなら、まず問題はないだろうと安心し切っていた。


傷心のうちに帰国したクェリョは、すぐに右肩の手術を受ける。無事に成功したが回復に時間がかかり、復帰したのは翌2014年10月。もともとウェイトはキツかった筈で、108ポンドのL・フライ級を飛び越えて、112ポンドのフライ級に主戦場を移す。

二線級の白星配給役を3人続けて倒し、新しいウェイトにも慣れて、いよいよこれからという時に右肩の故障が再発。2015年の秋に2度目の手術を受けたクェリョは、思いもしなかった長期のレイ・オフを余儀なくされる。

我らがホルヘ・リナレスも、ラスベガスでオスカー・ラリオスを7回TKOに下してWBCフェザー級王座を獲得した後、まったく同じ怪我でブランクを作り、そのままS・フェザーに階級アップ。丁度ゴールデン・ボーイ・プロモーションズとの共同プロモートが動き出した頃だったが、同じ理由で左肩を壊したデラ・ホーヤ(外科治療を選択せず庇いながら現役を継続)のアドバイスを受け、すぐに手術に踏み切った。

幸いにもリナレスは再発せずに済み、苦労はしたが3階級制覇も達成。一方のクェリョにとっては、まさしく痛恨の一大事。この怪我さえ無ければ、2013~15年の間に105ポンドと108ポンドの2階級を制覇し、対戦に二の足を踏んだであろうL・フライ時代の井岡一翔を相手にせず、ロマ・ゴンとエストラーダが睨み合うフライ級に早々と進出していたに違いない。


クェリョのパワーとスピードは、それぐらい突出していた。1発の破壊力が飛び抜けているだけでなく、連打の回転が効いて左右どちらでも倒せる上、すべてのパンチ(ストレート,フック,アッパー)が速くて強くて重く、抜群に良くキレる。

機動力と敏捷性にも優れており、前後左右にステップを刻みながら、上述した強打をカウンターで合わせる技術と勘を併せ持つ。基本的には即決型のKOパンチャーだが、長期戦における後半のスタミナにも大きな不安はなく、集中力を最後まで維持できるところが強み。

ポスト・パックマンを夢見て渡米し、志半ばで帰国を余儀なくされた同胞の若者たちの無念を晴らすとしたら、おそらく一番手はこの男に違いない。パワーだけなら、おそらくバンタム~S・バンタムでも通用する。

2011年7月には念願(唯一)の渡米が実現し、トップランクの興行に参戦。ブライアン・ビロリア(米国籍のフィリピン系移民)がフリオ・セサール・ミランダ(メキシコ)からWBOフライ級王座を奪った試合をメインに、S・フェザー級のマイケル・ファレナスも呼ばれて、フェルナンド・ベルトラン・Jr.(メキシコ)に2-1の判定勝ち。クェリョも105ポンドの元コンテンダー,オマール・ソト(メキシコ)を2ラウンドで撃墜した。


マルコ・A・バレラ,エリック・モラレスの2大レジェンドに、生涯の宿敵となるファン・M・マルケス,オスカー・ラリオスらとの熾烈なライバル争いを生き残り、メキシコ系のスーパースター,デラ・ホーヤ戦をモノにしてスターダムを駆け上がったパッキャオのお陰で、「メキシコ VS フィリピン」の抗争が勃発。伝統の「メキシコ VS プエルトリコ」に取って代わる勢いで、想像以上の盛り上がりを見せる。

パッキャオを保有するボブ・アラムは、筋の良さそうな若いフィリピン人ボクサーを積極的に招聘し、活きのいいメキシカンをぶつける興行を立て続けに組む。年々歳々人口を増やすメキシコを中心としたヒスパニック系のコミュニティは、今や米国内のボクシング人気を支える基盤にまで成長し、メキシカンの人気選手無しに大きなイベントは成立し得ないと言っても過言ではない。

S・ウェルターからS・ミドルの有力選手たちが、こぞってカネロ・アルバレスと戦いたがるのも同じ理由で、ハイ・リスクに見合うハイ・リターンが見込めるからだ。噂のレベルではあったけれど、トップランクとの正式契約が成立する寸前だったとの風聞もあり、文字通りクェリョにとっては泣くに泣けない故障という訳である。


そして復活の一報を聞いたメキシコのエディ・レイノソ(カネロ・アルバレスのトレーナー兼マネージャー/ローカル・プロモーターでもある)が、早くもオファーを出したらしい。クェリョはメキシコ国内で5度も戦っており、衝撃的なKOで締め括ったガニガン・ロペス戦を含む2試合がカネロ・プロモーションズの主催だった。



拳四朗(B.M.B.),木村悠(帝拳/引退)とも戦うことになるロペスとのエリミネーター(2012年5月/グアナフアト州セラヤ)は、クェリョの確かな実力と豊富な埋蔵量を強く印象付けたという点も含めて、忘れることのできない重要な試合である。曲者のサウスポーにスタートから圧力をかけ、僅か2ラウンドで粉砕した戦慄的なアッパーの一撃は、未だに脳裏に焼きついて離れない。

気になるレイノソのオファーだが、詳細は明らかにされてはいないものの、クェリョは大いに歓迎している様子。ただし次戦は既に具体化しており、6月18日にナガ・シティ(ルソン島)にあるイェッセ・ロブレド・コロシアム(1万人規模のドーム型競技施設)で、WBCフライ級のシルバー王座をメキシカンと争う予定。

このメキシカンをレイノソが送り込むのかどうか、その辺りもはっきりしていないが、S・バンタム級のWBOオリエンタル王者ジェオ・サンティシマ(23歳/17勝2敗・14KO)、バンタム級のプロスペクト,カール・ジェームズ・マルティン(20歳/12戦全勝11KO)が前座を固め、豪腕ソニー・ボーイ・ハロにも出場を打診中。

ちなみに、ハロは先月18日タイに遠征。フライ級の元ランカーで、バンタム級に上げたナワポン・ソー・ルンヴィサイ(ポー・チョクチャイ)に7回KO負け。試合内容にもよるが、常識的に考えれば、1ヶ月のスパンで戦うのは危険過ぎる。12連勝中のマルティンは、明日マニラで行われる興行に出場予定(タイ人との10回戦)・・・。


「次の試合が上手くまとまったら、ベストに仕上げて必ずベルトを獲る。そしてエディ・レイノソと協力して、今度こそアメリカで成功したい。」

引退の危機から蘇り、大きな希望に胸を膨らませるクェリョには申し訳ないが、世界戦でもないのに箱が大き過ぎるのではないかと、余計な心配をしたくなってしまう。新しいマネージャー(兼トレーナー?)のチャド・コロカドによると、ナガ・シティ市長の後援を取り付けているらしい。

※右の人物がどうやらチャド・コロカドらしい(?)



◎クェリョ(32歳)/前日計量:118ポンド
戦績:48戦37勝(25KO)5敗6分け
身長:160センチ,リーチ:163センチ
左ボクサーパンチャー

◎アミサ(32歳)/前日計量:115ポンド
戦績:69戦21勝(14KO)46敗2分け
身長:155センチ
右ボクサーファイター


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フィリピンのような途上国では、地方の有力政治家のバックアップほどアテにならないものもなくて、かつて個人マネージメントでルイシト・エスピノサをWBCフェザー級王座に復活させたジョーさん(小泉)が、カルロス・リオス(亜)との防衛戦で凱旋を果たした際、興行の主催者となったコタバトの州知事が約束のバンスを試合前日までに払わず、激怒したルイシト夫人が「試合には出さない」と態度を硬化させる一幕があった。

「英雄のお前を一目見ようと、地元の人たちがたくさん来てくれる。応援してくれる彼らのために戦おう。」と、ジョーさんは懸命の説得を試みる。

何とか試合はキャンセルせずに済み、ルイシトが防衛に成功して一息付いたが、結局州知事はギャランティを踏み倒し、ジョーさんが500万円の自腹を切る破目になった。それでも夫人の怒りは収まらず(当然ではある)、ジョーさんとの関係が破綻するきっかけになってしまう。

「知事が平気で契約を反故にする。訴えると迫れば、警護の軍人に銃で脅される。日本や欧米のビジネスの常識が、この国では通用しない。」

ルイシト夫人から一方的に契約の解除を伝えられたジョーさんは、「誰のお陰でチャンピオンに復帰できたのか・・・」と逆ギレしそうになる感情を抑えて、アメリカ・プレゼンツ(2000年代始めに経営破たん)との新しい契約について心配し、気がかりな点をアドバイスしようとしたが、夫人に「お前はもうマネージャーではない。余計な口出しは無用。」と拒絶されたという。

コタバトの州知事が約束したスポンサーを集められず、本当に金が無かったのか、あるいは集まった金を地元の顔役たちと山分けしたのか、それとも全額懐に入れてしまったのか。今となっては真相は藪の中という次第。


既に6月も1週間を過ぎたが、18日の興行は正式発表されていない。単なる延期(洋の東西を問わず珍しくはない)なのか、話しそのものがポシャったのかも含めて、明確なことは何もわからない。クェリョの新しいマネージャーも、同じテツを踏まなければいいけれども。

ブランク前のクェリョは、ソニー・ボーイ・ハロをハンドリングするアルジョー・ハロ(マネージャー兼トレーナー)の下で戦っていた。彼らとも長い付き合いになる筈だが、ソニー・ボーイもアルジョーと別れたのかどうかは不明(ハロの再起戦はネット上に映像無し)・・・と困っていたら、先月18日にタイで行われたナワポン戦の映像が見つかった。



コーナーに付いていたのは、アルジョー・ハロでないことだけはわかったが、チャド・コロカドという人物なのかどうかは判然とせず。

ハロが押し気味に試合を進めながら、第6ラウンドに受けたヘッドバット(ハロは反則=意図的な頭突きをアピールしていたがタイ人の主審は当然ノーチェック)をきっかけに様子が変わり、弱ったハロがロープを背負い、それまでとは別人のように強気になったナワポンが連打を浴びせる。

そして第7ラウンド、ナワポンの右を顔面に貰って効かされたハロの左脇腹に、右ボディが命中。ロープ際で片膝を着いたハロは懸命に息を整え、10カウントを数え終わるギリギリで立ち上がったものの、主審がそのままストップした。

頭突きによるカットや出血はなく、酷いダメージが残った訳ではないが、第6~第7ラウンドにかけて連打をまとめられ、数は少ないがまともに食っていた。年齢を考えるとしっかりした休養が必要との印象。

※試合映像:ナワポン TKO7R ソニー・ボーイ・ハロ
5月18日/パトゥムターニー県(タイ)
https://www.dailymotion.com/video/x792a6p


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■クェリョの試合映像
<1>2019年3月8日/アンゴノ(マニラ近郊/フィリピン)
クェリョ TKO2R J・アミサ
バンタム級契約10回戦
https://www.youtube.com/watch?v=unPHuUFPb5s

<2>2014年10月11日/ダバオ・シティ(ミンダナオ島/フィリピン)
クェリョ 7回終了TKO ジャイペッチ・チャイヨンジム(タイ)
フライ級契約10回戦
https://www.youtube.com/watch?v=kjeKLW-Ky2k

<3>2013年6月28日/ワールド・トレード・センター,ドバイ(UAE)
熊朝忠(中国) 判定12R(2-0) クェリョ
WBC世界ストロー(ミニマム)級王座決定12回戦
https://www.youtube.com/watch?v=Bk4XZVCKSxo

<4>2013年4月7日/大阪府立体育会館(ボディメーカー・コロシアム)
クェリョ 判定10R(2-0) 國重隆(大阪帝拳→ワタナベ)
108ポンド契約10回戦
https://www.youtube.com/watch?v=14_9HZAgGdo

クェリョ唯一の来日。亀田ジム(当然の報いとして消滅)の主催興行で、”和製平成の抱きつき王”こと國重隆(ワタナベジムに移籍後)と対戦したクェリョは、國重のあられもないクリンチ&ホールドに手を焼き、期待されたノックアウトは成らず。

國重の酷いホールディングを厳しくチェックしない主審宮崎、3ポイント差(96-93)の副審野田、95-95のドローを出血大サービスした副審原田の3審判は、国の恥とも言うべきみっともなさで万死に値する。97-92の5ポイント差を付けた副審半田が、辛うじて日本ボクシング界の面子を保った・・・か?

<5>2012年5月19日/グァナファト州セレヤ(メキシコ)
クェリョ TKO2R ガニガン・ロペス(メキシコ)
WBCシルバー ストロー(ミニマム)級タイトルマッチ12回戦
※WBC王座へのエリミネーターも兼ねる
https://www.youtube.com/watch?v=1xZDQr_CS4g

クェリョの存在を北米圏に知らしめた、キャリア最高とも言うべき鮮烈なノックアウト。この後、すぐにでも世界チャンピオンになると思われたのだが・・・。



<6>2012年3月10日/イロイロ・シティ(ビサヤ諸島)
クェリョ TKO4R キッド・スリヤ(インドネシア)
108ポンド契約10回戦
第1ラウンド
https://www.youtube.com/watch?v=TIDa67NP4r8
第2~第3ラウンド
https://www.youtube.com/watch?v=OO1B4m__VyQ
第4ラウンド
https://www.youtube.com/watch?v=fJ8Yk6ddPEQ

<7>2010年5月22日/プラザ・コンデーサ,メキシコシティ
ファン・エルナンデス(メキシコ) 反則3R クェリョ
WBCストロー(ミニマム)級挑戦者決定12回戦
https://www.youtube.com/watch?v=48e-VeVbZJI

驚天動地の逆転裁定により、明白にクリーンなKO勝ちを反則負けにされた恐るべき試合。フィニッシュ・ブローはレバーを抉った左ボディで、見事なまでのディレイド・アクションで倒れ込んだエルナンデスは、余りの苦痛に身をよじらせ続けており、悶絶という言葉がぴったり。

唯一無二の最終決定権者であるべき主審が、クェリョのKO勝ちを宣言したにもかかわらず、「倒れた後の加撃」を理由に勝利が取り消されてしまった。確かにエルナンデスが倒れた後、追いかけるようにして近づいたクェリョが、腕をダラリと下げたまま軽く拳を振って、パンチをする動作に見られても止むを得ないが、当たっているようには見えない。

仮に当たっていたとしても、殴りに行った訳ではなく、致命傷はあくまでクリーンなボディショットによるもので、それ以外の解釈は有り得ない場面である。この頃のメキシコは、ホームの選手が明らかに負けているのに、一度決定した裁定を平気で引っくり返すクレイジーな振る舞いが散見され、半ばお家芸のようになっていた。

当時のWBC王者は、安定政権を築いていたタイのオーレイドン。9月に選択戦が決まっていた為、エルナンデスはすぐに指名挑戦することができず、なおかつ横から割り込んだ格好の井岡一翔にオーレイドンをベルトごと浚われてしまう。

2011年2月、神戸のワールド記念ホールで井岡はオーレイドンを5回TKOに下し、8月の初防衛戦でエルナンデスとの指名戦に臨み、ワンサイドの判定で退けている。狂気の逆転裁定が発動されることなく、クェリョが当たり前に指名挑戦権を得ていたら、井岡はどうしていただろう。挑戦を受けずに、ベルトを返上してL・フライに上がっていたら、WBA王座に就いた八重樫東との統一戦も無かった訳だが・・・。

<8>2009年4月19日/アラネタ・コロシアム,ケソン・シティ(マニラ首都圏/フィリピン)
クェリョ TKO4R 松本博志(小倉高橋→角海老宝石)
WBCインターナショナルストロー(ミニマム)級王座決定12回戦
https://www.youtube.com/watch?v=SO2AAIhJy2A

2008年1月、帝拳と共同プロモート契約を結んで来日したロマ・ゴンの相手(日本国内第2戦)に抜擢され、一方的な判定で敗れながらも、デビュー以来続いていた連続KOを16でストップして話題となった松本が、アルジョー・ハロの求めに応じてマニラまで足を伸ばし、プロ10度目の黒星で初めてのKO負けを味わう。

帰国してから3ヵ月後、話題のゴールデン・ルーキー,井岡一翔のプロ2戦目に呼ばれて、2回TKOに退いた試合がラスト・ファイトとなった。

<9>2008年2月9日/タボッド(セブ島/フィリピン)
クェリョ 3回負傷ドロー アルマンド・デラ・クルス(比)第2戦
GAB(Games & Amusement Board)ミニマム級タイトルマッチ10回戦
https://www.youtube.com/watch?v=1FYaprOqBrk

<10>2007年6月1日/アンゴノ(マニラ近郊/フィリピン)
クェリョ TKO2R ファビオ・マルファ(比)
106ポンド契約10回戦
https://www.youtube.com/watch?v=NGjRlVFVDUA


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■カムバック III /南米の猛牛が7年半ぶりのリング・リターン・・・? - M・マイダナの場合 -
2022年3月18日
https://blog.goo.ne.jp/trazowolf2016/e/2c46a03b27dbc61d648ac6d88529c0cf

■カムバック II
カムバック II /不惑の悪童に何が起きたのか? - Z・ジュダーの場合 -
2019-06-16
https://blog.goo.ne.jp/trazowolf2016/e/add06e7f33e9639bae7882000186db0e

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