■6月7日/ターニング・ストーン・リゾート&カジノ,N.Y.州ヴェローナ/NABA(北米)S・ライト級王座決定12回戦
クレタス・セルディン(米) TKO11R 元2階級制覇王者 ザブ・ジュダー(米)
90年代末から2010年代始めにかけて、J・ウェルター級とウェルター級の2階級を賑わせた”悪童”ことザブ・ジュダーが、41歳にしてボクサーとしての命運を(おそらく)絶たれた。
勝手知ったるニューヨーク(州内)と言いたいところだが、20年超のキャリアを誇るジュダーが、初めて上がったインディアン・カジノ(同州ヴェローナ)のリングで、まさかのアクシデントに見舞われるとは・・・。
同じニューヨーク出身の中堅選手,クレタス・セルディンを相手にした久々のタイトルマッチ(NABA=WBA直轄の北米王座/S・ライト級)で、終盤11ラウンドにロープ際で連打を浴び、短い時間ではあったものの棒立ち状態となり、レフェリー・ストップでTKO負けに退いたジュダーは、ダメージを心配したプロモーターらに説得され、近隣のシラキュースにある病院へ行って検査を受ける。
一旦は異常無しと診断されてホテルに戻り、レストランで遅い食事をとっていたが、その最中に異変を訴えて再び病院に戻り、緊急入院という事態に発展。
当初は「意識不明で昏睡状態」との風聞が出回り、複数の選手や元王者,関係者らが、相次いで回復を願うツィートを繰り返す状況となったが、興行を主催したジョー・デグァーティア(セルディンを擁するニューヨークの中堅プロモーター)が全面的に否定。
「ザブは大丈夫だ。意識を失ってもいないし、普通に喋って自分で歩いている。不確かな情報に振り回されないよう、充分注意して欲しい。」
再検査で脳内出血を確認したとも伝えられるが、開頭手術は行われずに済んでいる。デグァーディアが語った通り意識もはっきりしていて、会話や運動機能にも支障はなく速やかに退院し、ホテルに戻って静養に努めたということのようだ。
※ブルックリン出身のジュダーだが現在の活動拠点はラスベガス
当事者のセルディンは、「意識不明」の第一報を聞いて激しく動揺。試合後にジュダーと記念撮影をするなどしていたから、無理もない話しである。
セルディンの様子を聞いて心配したデグァーディアが直接連絡を取り、「誤報だから心配するな。ザブはOKだ。」と伝えてもすぐには信じようとしなかったらしい。退院してホテルに戻ったと知らされると、ようやく落ち着きを取り戻した。
「格闘技のリングでプロとして戦うようになってから、これほど恐ろしい夜はなかった。悪夢のようなアクシンデトを呪い、神に奇跡を祈り続けた。彼を召さないでくれと願い続けた。」
どんな激闘であったとしても、クリーンファイトの末に起きたアクシデントなら、選手は法的な罪に問われる事はない。しかし、心は無傷では済まないのだ。無事にリングを降りて、いつもと変わらぬ日常に戻ったボクサーは、罪の呵責に苛まれる。
試合は打ちつ打たれつの白兵戦で、総合格闘技の経験もあるタフなセルディンにフィジカルで押し込まれる場面も目立ち、中盤に差し掛かる段階で、ジュダーには疲労の色が隠せなくなっていた。10ラウンドまでのスコアは公表されていないが、仮に判定まで持ち応えられたとしても、期待した結果は出なかったと思われる。
全盛期(1998~2005年頃/21~28歳)には、メイウェザーをも凌ぐ無類のスピードを誇り、”スーパー・ジュダー”と呼ばれた天才サウスポーも、ウェルター級への増量(2004~2009年/27~32歳)を経てS・ライト級に出戻った後(2010~2013年/33~36歳)は、完全にピークを過ぎて往時のキレと精彩を欠き、真のトップレベルに抗し切れるだけの力を失って久しい。
頑丈でメンタルも強いセルディンは、中堅クラスとしてはいい線を行く良いボクサーだが、世界ランクのトップ10圏内に留まり、長く戦い続けられるアビリティの持ち主かと問われると、それは流石にキツいというのが正直なところ。マッチメイク次第で、二桁台の下位ランクなら何時でも可能といった辺りに落ち着く。20代半ば~30代初めのジュダーなら、中盤から後半にかけてストップを呼び込んでいてもおかしくない相手である。
そのセルディンを捌いて左のカウンターを効かせることが、長いブランクを余儀なくされ不惑を超えたジュダーにはもはや叶わない。基本的にはスピードスタータイプのジュダーだが、いわゆるタッチスタイルの安全運転ではなく、バチバチのしばき合いも辞さない気性の荒さで知られてきた。
生来の気の強さが、「オレ様はエリートクラス」というプライドの高さと相まって、1発いいパンチを貰って劣勢に追い込まれると、無謀とも思える反撃に出ずにはいられない。一時的な退却を良しとできないのだ。コンスタンティン・ジューに喫した痛烈過ぎる初黒星(序盤のKO負け)も、リング内外で引きも切らないトラブル癖も、すべての災いはその性格に起因する。
最盛期のスピード&シャープネスを失い、思うように足を動かすことができず、ファイタータイプと言ってもいいセルディンの接近をかわし切れない時点で、勝負の行方は決したようなもの。例によってストップを宣告されると、主審に何やら文句を付ける姿に昔日の面影が一瞬過ぎったが、早々と抗議を打ち切り控室へと向かう。心身ともに限界だったのだろう。
リング禍が起きる度に、ストップのタイミングを巡って議論が巻き起こる。けれども今回の場合、一進一退の競った勝負ではあったものの、一目でわかる強烈なダウンシーンや強打の一撃はなく、決定的な場面が無いままラウンドが長引く中で、互いに疲労が顕著になって行くというパターン。
こうした展開の方が「事故が起き易い」との指摘もあるが、レフェリーとコーナーを預かるチーフトレーナーには、難しい判断が要求される。リング上で昏倒して担架で運び出された訳ではなく、致命的な被弾を浴びる前だったことから、主審とジュダーのコーナーに対する批判などは特に聞こえて来ない。
6歳の頃から二人三脚で歩んだ実父ジョエルや、プロ入り転向後の師匠となったルー・デュバ、同じデュバの下で成功したパーネル・ウィテカー(引退後トレーナーになりジュダーのコーナーも率いた)らが、もしもこの日サポートに付いていたら、第7~第8ラウンド辺りで白旗を揚げられたかというと・・・。
シラキュースの病院で確認された脳内出血が過去の痕跡なのか、今回の試合で受けたダメージによるものなのか、その辺りも判然としない状況ではあるが、ニューヨークはネバダやカリフォルニア以上に健康管理に煩く、今後同州でジュダーにライセンスが許可される可能性は限りなくゼロに近くなった。
2013年にダニー・ガルシアとポール・マリナッジに連敗した後、丸3年に及ぶブランクを作ったジュダーは、2017年1月に実戦復帰。ニュージャージーで開催された小規模のローカル興行で、相手もホンジュラスからアメリカに渡ってきた無名選手。僅か2ラウンドで片付け、39歳の元2階級制覇王者は面目を示した格好。「オレはまだままだやれる!」と、大いに気を吐く。
長いレイ・オフの間、悪童はけっして引退していた訳ではなく、以下に列挙する相次ぐトラブルが原因で、試合をやりたくともできない苦境に自らを追い込んでしまった。
1)2014年 飲酒運転で逮捕(執行猶予)
2)2015年9月 ニューヨークでの再起戦が決まるも、前日計量で乱闘騒ぎを起こし、対戦相手に怪我を負わせて中止。
3)2015年11月 ラスベガスでファン・C・サルガドとの対戦が決定したが、サルガドが練習中の怪我を理由にキャンセル。代役は用意されずそのまま中止。
4)2016年3月 ラスベガスで中堅選手との再起戦が内定。しかしライセンスの申請に際して、養育費の未払いを隠し虚偽の記述を行ったとして、ネバダ州がライセンスを許可せず中止。プロモーターのロイ・エンゲルブレヒトも、ライセンス停止の処分を受けた。
5)2016年11月 夫人へのDVで逮捕収監(12月に釈放)
ようやくリングに舞い戻ったジュダーだが、2017年9月、養育費の未払いで遂に逮捕。3ヶ月の禁固を言い渡され、高齢者向けのケア施設でボランティアとして働き、拘束期間を短縮されたようである。
そして昨(2018)年1月、米国内での試合が難しい中、カナダのカルガリーで1年ぶりとなる10回戦に出場。中堅メキシカンを大差の3-0判定に下したが、リング内外のトラブルが耐えず、40歳を過ぎたジュダーに興味を示し手を差し伸べるプロモーターが容易に現れる筈もなく、試合枯れが続いていた。
トレーニングから離れて完全なオフを満喫してはいなかったのだが、3年の長期ブランクの後、1年に1試合づつしか出来なかった41歳のオールドタイマーに、チューンナップ無しの12回戦は負担が大き過ぎたと言わざるを得ない。
初登場のインディアン・カジノが、文字通りの墓標(Turn to Stone)になってしまったということか・・・。
◎セルディン(32歳)/前日計量:138ポンド1/4
戦績:26戦24勝(20KO)1敗1NC
アマ通算:26勝2敗
2010年ロングアイランド・トーナメント優勝
2009年リングサイド・トーナメント優勝
ニューヨーク・ゴールデン・グローブス準優勝
身長,リーチとも170センチ
右ボクサーファイター
◎ジュダー(41歳)/前日計量:138ポンド1/4
元IBFウェルター級(V0),元WBA・WBC・IBF統一ウェルター級(V0),元IBFJ・ウェルター級(V5/暫定→正規),元WBO J・ウェルター級(V1/返上)
戦績:56戦44勝(30KO)10敗2NC
世界戦通算:17戦10勝(7KO)7敗
アマ通算:110勝5敗
1996年アトランタ五輪代表候補(L・ウェルター級)
全米選手権優勝2回
1996年ナショナルPAL優勝
ニューヨーク・ゴールデン・グローブス優勝3回
身長:171センチ,リーチ:183センチ
左ボクサーファイター
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□オフィシャル
主審:チャーリー・フィッチ(米)
副審:
ドン・アッカーマン(米)
トム・シュレック(米)
エリック・マーリンスキー(米)
※審判団:全員ニューヨーク州選出
※第10ラウンドまでの採点:未公表
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□試合映像
Zab Judah vs Cletus Seldin (07-06-2019) Full Fight
https://www.dailymotion.com/video/x7am7gr
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□関連記事
<1>Zab Judah: Former world champion released from hospital after injury
6月11日/BBC Sport
https://www.bbc.com/sport/boxing/48594647
<2>Zab Judah awake in hospital after brain bleed
6月10日/ESPN
https://www.espn.com/boxing/story/_/id/26937667/zab-judah-awake-hospital-brain-bleed
<3>Zab Judah: Former world boxing champion 'awake and communicating' after being hospitalised following loss
6月10日/London Evening Standard
https://www.standard.co.uk/sport/boxing/zab-judah-former-world-boxing-champion-awake-and-communicating-after-being-hospitalised-following-a4163071.html
<4>ZAB JUDAH HOSPITALIZED AFTER TKO LOSS TO CLETUS SELDIN, BUT SHOWING IMPROVEMENT
6月9日/リング誌
https://www.ringtv.com/567638-zab-judah-hospitalized-after-tko-loss-to-cletus-seldin-but-showing-improvement/
<5>Judah vs Seldin results: Cletus Seldin dominates and stops Zab Judah
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6月8日/Bad Left Hook
https://www.badlefthook.com/2019/6/8/18657525/judah-vs-seldin-results-cletus-dominates-stops-zab-tko-stoppage-ibhof-weekend-2019-fite-tv-boxing
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スーパー・ジュダーに、リアルな終焉の時が訪れた。プロ・アマを通じて実績には申し分がない。今回の事故で正式に引退となれば、最短(ラスト・ファイトから5年経過)で殿堂入りに推挙される筈だ。
タイトルを獲ったと思ったらすぐに獲られてしまうイメージが強いけれど、2000年2月に獲得した140ポンドのIBF王座(暫定からのスタート)は、WBAとWBCを保持するジューとの3団体統一戦(2001年11月)に敗れるまで、連続5度の防衛に成功している。
在位期間は1年9ヶ月と短かったが、ジュニア・ウィッター(英)とティロン・ミレット(米)を、僅か2ヶ月のスパンで連破した頃の勢いは本当に凄かった。ウェルター級への参戦と制覇は容易と映ったし、「いったいどこまで行くんだろう」との期待を抱いたファンも多い。
147ポンドに上げてからのジュダーは、コーリー・スピンクスに五分の星(1勝1敗)の星を残したものの、カルロス・バルドミル(亜)に献上した大番狂わせの判定負けを筆頭に、フロイド・メイウェザー(中~大差の判定),ミゲル・コット(11回TKO),ガーナの鉄壁ガード,ジョシュア・クロッティ(僅少差の9回負傷判定)のトップ3に挑み、ことごとく弾き返された。
2010年に140ポンドに出戻ったが、2-1のスプリットを拾ったルーカス・マティセ(亜)戦は事実上の黒星で、アミル・カーン(英)のボディブローで悶絶し、ダニー・ガルシアにも小~中差の0-3判定負け。ピークアウトした後のポール・マリナッジ(3歳年下)にも大差の0-3判定を許すなど、ジュダーの時代が完全に終わったことを強く印象づけた。
兄ダニエルと2人の弟ジョサイア.ジョセフとともに、ボクサーだった父ジョエルに幼い時分から仕込まれたジュダーは、プロとしての育ての親とも言うべきルー・デュバ(殿堂入りしたトレーナー兼マネージャー/メイン・イベンツを息子夫婦と一緒に立ち上げたプロモーターでもあった)の下で世界チャンピオンに登り詰める。
その後デュバ・ファミリーとは一旦別れて、ドン・キング傘下に収まったが、キャシー・デュバが跡目を継いだメイン・イベンツに復帰。やはりルー・デュバのサポートを受けた兄弟子パーネル・ウィテカーとコンビを組むも長くは続かず、叔父のジェームズ・ハーヴェイがコーナーに付くなど、キャリア晩年はコーナーも落ち着かなかった。
※ジュダー・ファミリー
左から:弟ジョセフ(クリストファー・クロスビー/ウェルター級/6勝3KO1敗),父ジョエル,兄ダニエル(L・ヘビー級/24勝11KO11敗3分け),弟ジョサイア(ミドル級/10勝2KO1敗1分け)・・・ザブ以外は成功できずに引退した
今でも惜しまれるのは、序盤の差し手争いで優位に立ったメイウェザー戦。立ち上がりにジュダーが取った距離が素晴らしい。相手の正面に立つメイウェザーのパンチが、そのままの位置からギリギリ僅かに届かない、絶妙なポジショニング。
プリティボーイが得意にするいきなりの右も、素早く真っ直ぐ打ち込むワンツーも、ジュダーは的確に反応しながら、柔軟なボディワークと鋭いステップですべてかわして見せた。さらにジュダーは、シャープなワンツーと左ストレートをクリーンヒット。メイウェザーの顎を跳ね上げ、ウェルター級に乗り込んできた未来のPPVセールス・キングを混乱させることに成功した。
返す返すも残念なのは、抜群の間合いが練りに練った戦術ではなく、ジュダー一流の感覚だったこと。敢えて言うなら、「偶然の産物」だろうか。いつも以上の警戒心と情報収集を目的とした様子見が、たまたま作り出した”奇跡的な間合い”。
「これならいける」と手応えを感じたジュダーは、自から距離を詰めて墓穴を掘る。構えた位置からそのまま放つ、メイウェザーのいきなりの右が当たり出す。本当にタッチするだけの軽いパンチだが、後手を踏み始めたジュダーはリズムとテンポを失った。
踏み込みを逡巡し、攻守両面の動き出しが少しづつ遅れ出す。ここでジュダーが変に焦らず、「絶妙な間合い」に立ち戻ることができれば、その後の流れも違っていたと確信する。けれども、冷静に戦況を俯瞰できないところがジュダーのジュダーたる所以。戦術的ディシプリンとは対極の、自由奔放な閃き型にこそスーパー・ジュダーの本領がある。
「こんな筈じゃない」と近めの距離に留まり続け、懸命に当て返そうとしてさらなるドツボにはまって行く。メイウェザーに右ボディでミゾオチやストマックを狙い撃たれ、早々と消耗したジュダーはラフな展開に持ち込むしかなくなり、やらずもがなの乱闘騒ぎへと発展。
劣勢のジュダーが放ったローブローをきっかけに、4階級制覇を目指すメイウェザーのコーナーを率いる叔父ロジャーがブチ切れてリング内に乱入し、ジュダーの父ジョエルを含む両陣営が入り乱れての大立ち回りは、ボクシング史に残る汚点としてファンの記憶に永く止まるだろう。
ロジャーがリング内に入った時点で、メイウェザーは反則負けを宣告されても文句は言えなかった。ロジャーとジョエルにはそれぞれサスペンド(ライセンス停止)の処分が下り、後味の悪いことこの上ないビッグマッチではあった。
せめてあと3~4ラウンズでいいから、ジュダーがあの距離をキープし続けていたら、ウェルター級の勢力図が大きく変わっていたかもしれない。
J・ライト~ライト級で名前を上げ始めた頃のメイウェザーも、どちらかと言えば閃き型の攻撃的なボクシングをしていたが、ウェルター級に進出して以降、体格差と加齢の影響を克服する為、戦い方を180度転換。
ジャブ&軽打とペースポイントを金科玉条のように崇め奉るラスベガス・ディシジョンと、あられもないホールドやプッシングを見逃す堕落したレフェリングの後押しを受け、徹頭徹尾守りを固め、手数と運動量を惜しみ、綿密にスタミナ配分しながらリスク回避に努める「省エネ安全運転」を極めて行く。
最後の最後まで、”我慢できない男”を貫くしなかったジュダーは、自ら信ずるスタイルに殉じたとも言えなくもない。
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■クレタス・セルディン
ジュダーより9歳年少のセルディンは、サウスブロンクスと並ぶ犯罪多発地域として知られるイースト・ニューヨークの出身。殺人や武装強盗などの重犯罪の発生率では、近年サウスブロンクスを上回る勢いらしい。
一家はユダヤ系の移民で、祖父がブルックリンで勇名を馳せたバイカー・ギャングだっただけでなく、祖父に劣らず腕っぷしの強さで鳴らした父は、”アイアンマン(Iron Man)”の異名で呼ばれる、ちょっと知られた顔だったという。
幸いにもクレタス少年は真面目に学校に通い、アメフトとレスリングで才能を発揮。高校に進むと陸上競技(投擲?)にも進出した他、トレーニングの一貫として取り組んだパワーリフティングやボディビルにも精を出す忙しさだったが、手を出した競技ではどれも受賞歴があり、一定の成績を残したというから大したものだ。
高校を卒業する頃から総合格闘技に興味を持ち、レスリングの基礎を活かしながら柔術(茶帯)とボクシングを学ぶ。総合では思うような結果が残せず、22歳でボクシングへの転向を決断。アマチュアで3年活動した後、2011年7月に4回戦でプロ・デビュー。
ノーコンテスト(序盤のバッティングによるアクシデント)を1つ挟み、21連勝(17KO)をマークしたが、2017年12月のカナダ遠征でイヴ・ユリス・Jr.(モントリオールの中量級ホープ)に大差の判定負け。プロ初黒星を喫する。
※メインはビリー・ジョー・サンダース(英)とデヴィッド・レミュー(カナダ)のWBOミドル級戦
1年近く休養したセルディンは、昨年11月に復帰。無名選手を2人続けて初回KOで片付けて、今回のジュダー線へと漕ぎ着けた。
トレーナー兼マネージャーのピート・ブロツキー(Pete Brodsky)とは、どうやらプロ入り以来の関係らしく、実の兄がコロンビア大学の大学院生で、運動生理学を専門にしていることから、フィジカル・トレーニングのサポートを受けている。
ニューヨークの中堅プロモーター,ジョー・デグァーディア(Joe DeGuardia/スター・ボクシング・プロモーションズ/Star Boxing)の傘下に入り、世界タイトル獲得を目指ず32歳は、キャリア最大の勝利に酔うこともできず、最悪の事態を想定して不安な一夜を過ごしたが、ジュダーの無事を知って胸を撫で下ろした。
本格的なジムワークに戻るのはこれからのようだが、プロモーターのデグァーディアはこの白星をステップボードにして、さらなる勝負に出る意向を示している。
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■カムバック III /南米の猛牛が7年半ぶりのリング・リターン・・・? - M・マイダナの場合 -
2022年3月18日
https://blog.goo.ne.jp/trazowolf2016/e/2c46a03b27dbc61d648ac6d88529c0cf
■カムバック I
カムバック I /軽量級の爆裂パンチャーが4年ぶりの復活 - D・クェリョの場合 -
2019年6月9日
https://blog.goo.ne.jp/trazowolf2016/e/35ef816a5d29d1df6d4ca1ac2f735137