「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

四半世紀前に試した、引きこもり脱出法

2015-04-30 21:35:14 | 引きこもりからの復活
 四半世紀前、私は引きこもりから脱出するに至りました。純粋な引きこもり期間は現在の厚労省定義でいくと大体3年くらい、ですか。
 不登校になって3年くらいで、ようやく自分から動き出したのでした。

 それ以前には、高校の紹介で名古屋市立大学の精神科にかかりました。清水教授〈当時〉は「学校は精神病と言っているが、全く病気ではないよ。」と母に告げました。プラセボのみ処方され、まったく効果なくカプセルをかみ切ってみたらからで、行くのをやめました。
 その後、名古屋市内の某有名クリニックに通い、ようやく「自律神経失調症」というもっともらしい病名をいただきました。要するに「半健康状態。病気でもないし健康でもない。原因も治療法も不明。」という見立てでした。ここも医師との話も合わず薬も合わず集団療法も空振りで、行ったり中断したりで、合わなかったです。

 母は宗教や臨床心理学にも頼りました。最初は怪しげな手かざしとかに突き合わさせましたが、結局は父方の親族で入信者の多かった某教派神道に落ち着いてくれました。のど元過ぎればなんとやらで、私が元気になったところで信仰心はなくなったようです。
 心理学のクリニックには平井信義先生を頼って大妻女子大と、近所の中京大に行きました。カウンセリングの先生に話をおうむ返しされるだけで、通う意味が本人的にはわかりませんでした。今から考えるとやられたことは来談者中心療法だったのかなあと思います。ロジャーズのやり方は基本かもしれませんが、あれに一回一万円近いお金を投入する価値は、いまだに見出すことができません。ただし大学時代の私には、ロジャーズの概念との出会いは大変大事でした。自分のやっていることと本当の思いの一致は、健康上も大事です。
 また、大妻大からは家族療法の誘いもあったようですが、父の参加見通しがなく実現しませんでした。
 そして平井先生はアスペルガー先生の直弟子で自閉症研究の権威したが、平井先生のお弟子さんを含め、私の、現在より相当強烈に異彩を放っていたはずの、アスペルガー障害を見抜くことができませんでした。
 それくらい、自閉症の診断は難しいのです。今でもきっと、昭和大の加藤先生なら私を自閉症とは認めないかもしれない、とか、思います。

 母経由のものは散々でしたが、独力で探した「税所式」は、少し興奮した数か月間は効果がありました。勢いに任せて東京アカデミーという大検予備校に父にお願いして通いましたが、二月でダメになってしまいました。大検予備校からのフォローは何もありませんでした。東京アカデミーさんの体質は労働裁判とかが起きていますから、今となってはお金を取ることには熱心だが精神的に弱い人を集めながらなんのフォローもない。そういう運営のスクールさんだったのかな、と理解します。
 税所式の早起きとかを否定するつもりはありません。ただ「通信式」で数十万円かかり、何度か税所先生にお電話いただいたのですが、結局は挫折しました。でもほんの数か月間だけでも昼夜逆転から回復し、家以外の場所で頑張ることができました。

 その数か月後、今井先生の情報を入手し繋がったことで、ようやく人生の転換点を迎えることができたのでした。
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