「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

人のいのち。初めて味わう利用者の死から学ぶ

2018-08-02 21:54:33 | 日記

 今週、はじめて利用者の死を体験した。家庭内での突然死だった。

 介護の必要な、脳機能をかなり失った、重い精神障害の方だった。

 先週まで、自分も介護していて、今週もするものと身構えていたら、突然の訃報だった。

 彼にはもう、会えない。自分の体で、彼を身体介護することは、今後もうない。彼は私に手のぬくもりを伝えてくることは、もうない。ただひたすら悲しいばかりだ。

 今日、彼の顔を見ることができた。眠るようにお亡くなりになっていた。天国に行かれたのだ。

 ご遺族の方々のお話や職場の人たちの話や、自分の目からも出てきた、涙にくれる時間を味わった。

 人の命って、尊いのだと、あらためて実感した。

 「われ看てなんぢを寶(たから)とし尊きものとして亦〈また〉なんぢを愛す」と、聖書には書かれてある。(文語訳:イザヤ書434節)

 彼は病死だった。自分より若いけれど天命だったと信じる。神様は彼のように判断能力の失われた人は自動的に天国に呼び寄せると牧師の説教で教わっていて、自分もそう信じている。神様にとっては彼のような存在こそ、大事にしなければならない命なのだと、私は教えられているし理解している。そして今日、実感を得てますますもって確信が深まった。

 

 人の命を生産性とか何らかの優秀さや利用価値で測ったり判断したりする思想が今でもしっかり世間を跋扈しいて、それが津久井やまゆり園での元職員・植松による大量殺人とか、杉田水脈とかいう自民党に引き抜かれた元維新の2チャンネル的ネトウヨネオナチ発言を公に繰り返す国会議員とか、あるいは少しさかのぼって優性保護法とかT4作戦とか、そういうのがあるが、そういうのとは戦わないわけにはいかないと、今日感じた。

 

 理屈じゃない。人のいのちは宝で尊く、愛すべきものだ。

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