南洲手抄言志録
佐藤一齋・秋月種樹(古香)
山田濟齋訳
八十一
凡爲レ學之初、
必立下欲レ爲二大人一之志上、
然後書可レ讀也。
不レ然、 徒貪二聞見一而已、
則或恐二長レ傲飾一レ非。
所レ謂假二寇兵一、
資二盜糧一也、
可レ虞。
〔譯〕
凡そ學を爲すの初め、
必ず大人たらんと欲するの志を立て、
然る後書讀む可し。
然らずして、
徒(いたづら)に聞見を貪(むさぼ)るのみならば、
則ち或は傲(がう)を長(ちやう)じ非を飾(かざら)んことを恐る。
謂はゆる寇(こう)に兵を假(か)し、
盜(たう)に糧(りやう)を資(し)するなり、
虞(おもんぱ)かる可し。
八十二
以二眞己一克二假己一、 天理也。
以二身我一害二心我一、人欲也。
〔譯〕
眞己(しんこ)を以て假己(かこ)に克(か)つ、天理なり。
身我(しんが)を以て心我を害(がい)す、人欲(じんよく)なり。
八十三
無二一息間斷一、
無二一刻急忙一。
即是天地氣象。
〔譯〕
一息(そく)の間斷(かんだん)無く、
一刻(こく)の急忙(きふばう)無し。
即ち是れ天地の氣象(きしやう)なり。
〔評〕
木戸公毎旦考妣(ちゝはゝ)の木主を拜す。
身煩劇(はんげき)に居ると雖、少しくも怠(おこたら)ず。
三十年の間一日の如し。
八十四
有レ心二於無一レ心、 工夫是也。
無レ心二於有一レ心、 本體是也。
〔譯〕
心無きに心有るは、工夫(くふう)是なり。
心有るに心無きは、本體(ほんたい)是なり。
八十五
不レ知而知者、 道心也。
知而不レ知者、 人心也。
〔譯〕
知らずして知る者は、道心(だうしん)なり。
知つて知らざる者は、人心(じんしん)なり。
八十六
心靜、方能知二白日一。
眼明、始會レ識二青天一。
此程伯氏之句也。
青天白日、常在二於我一。
宜下掲二之座右一、以爲中警戒上。
〔譯〕
心靜にして、方(まさ)に能く白日を知る。
眼明かにして、始めて青天を識り會(え)すと。
此れ程伯氏(ていはくし)の句なり。
青天白日は、常に我に在り。
宜しく之を座右(ざいう)に掲(かゝげ)て、以て警戒と爲すべし。
八十七
靈光充レ體時、
細大事物、
無二遺落一、
無二遲疑一。
〔譯〕
靈光(れいくわう)體(たい)に充(みつ)る時、
細大(さいだい)の事物、
遺落(ゐらく)無く、
遲疑(ちぎ)無し。
〔評〕
死を決するは、薩の長ずる所なり。
公義を説くは、土の俗なり。
維新の初め、一公卿あり、南洲の所に往いて復古の事を説く。
南洲曰ふ、夫れ復古は易事(いじ)に非ず、
且つ九重阻絶(そぜつ)し、
妄(みだり)に藩人を通ずるを得ず、
必ずや縉紳(しんしん)死を致す有らば、則ち事或は成らんと。
又後藤象次郎に往(ゆ)いて之を説く。
象次郎曰ふ、復古は難(かたき)に非ず、
然れども門地(もんち)を廢(はい)し、
門閥(もんばつ)を罷(や)め、
賢(けん)を擧(あ)ぐること方(はう)なきに非ざれば、則ち不可なりと。
二人の本領自ら見(あら)はる。
八十八
人心之靈、
如二太陽一然。
但克伐怨欲、
雲霧四塞、
此靈烏在。
故誠レ意工夫、
莫レ先下於掃二雲霧一仰中白日上。
凡爲レ學之要、
自レ此而起レ基。
故曰、誠者物之終始。
〔譯〕
人心の靈(れい)、
太陽の如く然り。
但だ克伐(こくばつ)怨欲(えんよく)、
雲霧(うんむ)四塞(しそく)せば、
此の靈(れい)烏いづくに在る。
故に意を誠(まこと)にする工夫は、
雲霧(うんむ)を掃(はら)うて白日を仰(あふ)ぐより先きなるは莫なし。
凡そ學を爲すの要(えう)は、
此(これ)よりして基(もとゐ)を起(おこ)す。
故に曰ふ、誠は物の終始(しゆうし)と。
八十九
胸次清快、
則人事百艱亦不レ阻。
〔譯〕
胸次(きようじ)清快(せいくわい)なれば、
則ち人事百艱(かん)亦阻(そ)せず。
九十〇
人心之靈、 主二於氣一。
氣體之充也。
凡爲レ事、
以レ氣爲二先導一、
則擧體無二失措一。
技能工藝、亦皆如レ此。
〔譯〕
人心の靈(れい)は、氣(き)を主(しゆ)とす。
氣は體(たい)に之れ充(み)つるものなり。
凡そ事を爲すに、
氣を以て先導と爲さば、
則ち擧體(きよたい)失措(しつそ)無し。
技能工藝(こうげい)も、
亦皆此(かく)の如し。