日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

福沢諭吉「我慢の説」 勝海舟「行蔵は我に存す」  

2023-03-28 22:42:27 | 福澤諭吉

瘠我慢の説

書簡 
福沢諭吉 
勝海舟 
榎本武揚


     福沢先生の手簡 
拝啓 仕(つかまつり)(そうろう)
(のぶれ)ば過日 瘠我慢之説と題したる草稿一冊を呈し候。
或は御一読も被(なし)成下候(くだされそろう)(や)
其節 申上候通り、何れ是は時節を見計(みみはからい)
世に公にする積に候得共、尚 熟考 仕(つかまつり)(そうろう)に、
書中或は事実の間違は有之間敷(これあるまじき)(や)
又は立論之旨に付御意見は有之間敷哉、

若これあらば無御伏臓(ごふくぞうなく) 被仰聞被下度(おおせきけられくだされたく)
小生の本心は漫(みだり)に他を攻撃して楽しむものにあらず、
唯 多年来 心に釈然たらざるものを記して輿論に質(ただ)し、
天下後世の為にせんとするまでの事なれば、
当局の御本人に於て云々の御説もあらば拝承(はいしょう) 致し度(いたしたく)
何卒 御漏(おんもら)し 奉 願候 。
要用のみ重ねて申上候。
匆々(そうそう)頓首(とんしゅ)
  二月五日
        
                       諭吉

  ・・・・・・・・・・様  
(なお)(もって)彼の草稿は極秘に致し置、
今日に至るまで二、三親友の外へは誰れにも見せ不申候(もうさずそうろう)
(これ)(また) 乍序(ついでながら)申上(もうしあげ)(そうろう) 。以上。

 

     勝安芳氏の答書 
従古より当路者古今一世之人物にあらざれば、
衆賢之批評に当る者あらず。

不計(はからずも) 拙老 先年之行為に於て御議論 数百言 御指摘、
実に慙愧(ざんき) 不堪ず、
御深志 忝存(かたじけなくぞんじ)(そうろう)

行蔵(こうぞう)は我に存す、
毀誉(きよ)は他人の主張、我に与からず我に関せずと存じ候。
  
各人へ御示御座候(おしめしござそうろう)とも毛頭 異存無之(いぞんこれなく) (そうろう)

御差越之(おんさこしこの)御草稿(ごそうこう)は拝受いたし度、
御許容可被下候也(ごきょうようくださるべくそうろう)
   二月六日  
                                                   安芳
    福沢先生 
 拙(せつ)、此程(このほど)より所労(しょろう)平臥中(へいがちゅう)
筆を採るに懶(ものう)く、
乱筆(らんぴつ)蒙御海容度(ごかいようこうむりたく)(そうろう)。 

 

     榎本武揚氏の答書 
 拝復。過日 御示被下(おしめしくだされ)(そうろう)貴著 瘠我慢中、
事実相違之廉(かど)並に小生之所見あらば云々との御意致拝承(ぎょいはいしょういたし)(そうろう)
昨今別 而多忙に付いずれ其中(そのうち) 
愚見(ぐけん)可申述(もうしのぶべく)(そうろう)
先は不取敢(とりあえず) 回音(かいおん)如此(かくのごとく)に候也。
   二月五日
                                           武揚
   福沢諭吉様 

  

底本:「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」時事新報社 
   1901(明治34)年5月2日発行
初出:「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」時事新報社
   1901(明治34)年5月2日発行



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