日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

内田良平「支那観」二 遊民社曾

2020-06-19 20:31:38 | 内田良平『支那観』

               
    内田良平 「支那觀」


二 遊民社曾

  支那には一種遊民社會なるものあり。
是れ秦漢以来、豪侠を以て自ら任ずるものにして、
彼等平生の職業は人家を叝奪するに在り。
墳墓を發掘するに在り賭博をな
すに在り。

 其の眼中に政府もなく、祖國もなく、仁義もなく、道もなく、
其理想とする所、唯た自己の快活を得れば足れりとなすものにして、
秤を論じて金銀を分ち、異様に紬錦を穿ち、成瓮の酒を喫し、
大塊の肉を喫せんとするの外他の何物も顧みる所にあらざるなり。

 馬賊と呼ばれ土匪と呼ばれるるは、此徒の一類に属す、
而して支那國民性の惨刻狼毒は實に此徒によって代表せらるると謂ふべく。
今小説水滸によって、其の殺人の残忍なるを状せば、
那の婦の婦人の頭面首飾衣服を把って都ベて剥了し、
兩條の裙を割き、婦人を綁して樹上に在り、
刀を把り、先ず舌頭を舌を穵出して一刀ち割了し、
且つ那の婦人をして叫(サケ)び得ざらしめ、
罵って道(イ)ふ、這の婆娘(ヲンナ)の心肝五臓怎地(イカ)にか生着する、
我且つ看一看せむと、一刀心窩裏より、
直ちに割いて小肚子下に到り、心肝五臓を取り出して、
掛けて松樹の上に在り。

 又た彼等が古墳を發掘するのは状は、
司馬遷の史記、既に之を看過せざりし所にして、
唐の詩人杜甫亦た
   昨日玉魚蒙葬地、 蚤時金盌出人間
の句あり。

 而して支那の國民性が先天的盗心あることは孟嘗君の客中、鶏鳴狗盗あり。
呉の孝子陸郎が橘を懐ろにしたるあり。東方朔が桃を偸みたるあり。

 俚諺に巡
人夜を犯すと云ひ、論語に季康子盜を患へて孔子に問ふ。
 孔子封へて曰く苟くも子の不欲なる、之を賞すと雖も竊まずといへるが如き、
古來支那はその官民を通じて盜心の發達したりし明證にあらずや。

且つ支那人は食人族なり。

   腿上兩現の肉を割下し來り、些の水を把って洗淨し、
   竈裏些の炭火を抓し來って便ち燒く、
   一面に燒き一
面に喫し、喫し得て飽了す。
といふが如き、支那小説を除き、世界何の處に斯かる殘忍の記事あらんや。

 支那は孝を以て道德となす。
而して支那の謂ゆる孝子は多くは孝を賣りて自利を計り、
孝を名として其性命の急を免れんとする者なり。

 定めて我を殺さんと要す、
我が假意(イツワリ)叫んで家中個の九十歳の老娘あり。
人の養贍する無し、定めて是れ餓死せんと道(イ)ふを喫し、那の驢鳥、
眞個に我を信じて、我が性命を饒了し、
又た我に一個の銀子を與ふ、
といふが如き、吾人は一部孝経の功徳、唯だ此くの如くなるを歎ぜざるを得ず。

 支那人は詐欺を以て能事となすの風あり、
席を相て令を打すとは當座間に合せの詐欺をいふなり。
贓を抱いて屈と叫ふとは其厚顔なるをいふなり。
是皆支那人を
實寫したるの語なり。

 賭博は支那に於ては、決して罪悪に算へられざるなり。
孔子の聖を以てするも、其論語中、
飽食終日爲す所なからんよりは、博奕をなすを可とすといへり。
故に支那の遊民等は日々賭場に去り、
輸し得て分文なきに至れば、其老母頭上の釵兄を討了するに至る。
其兄此くの如し、其弟何ぞ然らざらむ。
説く莫れ哥哥贏たずと、我も也(マ)た輸し得て赤條條地といふもの比々皆然り、
回也屢空し、賜也屢中る、
豈個中の消息にあらずといふを得んや。

 如何なる社會を問はず、支那は賄賂を以て罪悪となさざるのみならず、
信敎の経典の如きも、大要賄路を用ふるの手段を講じたるものといふを可とする如し。

 周易に包むに魚有れば咎なし、
包むに魚なければ凶を起す、
杞を以て瓜を包めば、
章を含で天より隕ると有りといふが如き、
包むとは苞苜の義なり。

 苞苜は則ち賄略なり、
孔子の語に禮と云ひ禮と云ふ玉帛を云はんやとは、
支那の謂ゆる禮は賄賂と其意義を同ふすることを暗示せるなり、
孟子の王何ぞ必ずしも利をいはん。

 また仁義あるのみとは、支那の謂ゆる仁義は賄賂を用ふるの良法たることを暗示せるなり、
到底支那は黄金萬能の國なり、
有錢千里通無錢隔壁聾の語は、支那に在ては警策の語といはんよりも、
寧ろ事實の直叙なり。

 公人の錢を見るは、蠅子の血を見るが如しの語は、
獨り之を公人
一のみに嫁すべきにあらず。
支那人の錢を好むや、幾んど水裏には水裏に去り、
火裏には火裏に去るものなり、
彼等が戦鬪に怯なるに似ず、
弾丸雨飛の間に闖入して死屍の懷中を探るが如き、
吾人は論語に根也慾焉くんぞ剛を得んの語あるを思うて、
咥笑を禁ずる能はざるもの有り、
彼等性格の改まらざる、數千年猶ほ一日の如きものあるなり。

 支那人潘慾の肉的なることも亦た、其特性の一に算へざるべからず、
何ぞ唯だ奴の婢を見て慇懃なるを笑はんや、
孔子の謂ゆる德を好むこと色を好むが如きものを見ざるは、
支那人を知るものにして、始めて其語の味あるを知るべきなり。

 支那人の不潔を不潔とせざるは亦た他邦人の顰蹙する所なり、
彼等の語に抛屎撒屙といひ、屙屎送尿といひ、
屎意の氣人を薫ずといふが如き、
支那全地擧げて是等の語の實證たらざるなく、
試に杭州岳王廟畔に至らば、支那第一忠義の霊、
亦た此不潔中に血食するを見るべし。

 支
那人に物の保存力なきは、
幾んど亦た呆然に價するものあり。
 彼等は道路の敗壊を見て之を修覆するを知らざるなり。
山林を濫伐して之を補植するを知らざる
なり、黄河の汎濫を防がずして、
北方地力の減退を致せるが如き、其由來亦た此に存す。

 此故に彼等は其郷土に戀々たるが如きものに非ず、
苟くも一身を利するに足れば、
天涯地角、何くに徃くとして可ならざるなきなり。
彼等言ふ鈍鳥巣を離れずと。

 以上は必ずしも遊民に限りたる特性にあらす、
唯だ一般支那人の劣惡なる性格は、遊民も亦た免る所に在らず、
彼等を以て眞々實々半點兄の假性なきものとなすの謬見を恐れて、茲に列記したるのみ。

 遊民社會の記事を終るに蒞み、
吾人が特に注意せざるべからざる事は、
此社會は政治社會と普通社會の中間に在りて相互勢力の消清長を支配するものたること是なり、
遊民社會にして、政治社會の驅使を甘んぜば、
普通社會は如何なるを虐政をも忍ばざるべからず、
遊民社會にして農工商社會の爲に力を出さば、
知何なる權力も行はるべからず。

 昔は洪秀全の亂、秀全實に此社會を驅りて其兵となせるなり、
而て之を用ふるの術は、固より財を興ふるの外なきも、
彼等に一の悪癖ありて、其財餘あれば決して他人の用をなさず、
茲に於て秀全爲に一計を接出し、
障中購博に巧なるもの多數を養ひ、
一方に於て之に財を與へ、一方に於て其財を奪ひ、
彼等をして常に貧に、常に驅使を甘んぜしめたりしといふ、
是れ實
に此社會を駕馭するの法たるなり。

 古墳發掘盗賊、食人、竇孝、詐欺、賭博、賄賂、淫慾、不潔、保存力なし、等の
支那民俗の性情的動作は彼禮儀三千威儀三百中に胚胎せるものが、
周公の時、既に是の如き煩瑣なる文法あるにあらされば、
此畸形國民を如何ともする能はざりしものか、
子は往年長江地方の饑饉に際し、我海産物の賣行を危虞し、調査せしことあり。

 其派遣者の報告中海産物を要求するものは、
大抵中流以上の紳士なれば假令饑饉死者あるも、
別段賣行及時價に影響なかるべしと云へるを見て稍奇矯の感をなせしが
翊春季に及び、日々數百の餓莩あるにも拘わらず、
我海産物の購買力は依然として戀ずる所なかりしなり。
餓莩を並べて美食する支那紳士は尚ほ饑人の食を奪ふを忍ふものに非すして、
饑人を見ること土塊の如きものなり。
                       (欇藤成卿)

               

この記事についてブログを書く
« 内田良平「支那観」三 支那... | トップ | 内田良平「支那観」三 農工商... »
最新の画像もっと見る

内田良平『支那観』」カテゴリの最新記事