a Happy New Year 2018
新年の御挨拶は、暗く落ちた背景から浮かび上がる夕映えの天狗岳です。
雲の海に屹立する朝焼けの天狗岳(石鎚山山頂)と御来光が新年の定番となっていましたが、
今年は、あえて暗い闇から浮かぶ上がる夕映えの神の山の姿です。
狙っても、こういうコントラストの強い気象条件は、雲海や首巻(巻き上がる波濤のような雲)以上に稀です。
これを今年の年賀状の画像として選択しました。
そして今年の目標は、「メッセージ」です。
錯覚であったとしても、「これは私宛のメッセージだ」という受信者の想いは、
文学であれ音楽であれ神からの啓示であれ、とても幸せな気持ちにさせてくれます。
それは贈り物(贈与)であり、人と人を繋ぐ原初的なコミュニケーションの手段だと思う。
私もそれを受け取るし、あなたにもそれを送りたい。
そうやってメッセージを繋いでゆきたい。
幸せな錯覚であったとしても…それが他者(異民族)を繋ぎ合わせる世界文学の世界音楽の世界宗教の条件であると。
本年もよろしくお願いします。
夕映えの石鎚、年明けにマッチしたすばらしい写真です。
そしてメッセージ!
自分の考えを発信出来るコンピュータの世界、ぜひ続けていってください。
宇和島ではミニコミ誌の「きずな」から「つなぐ」という新しい情報誌になりました。
これが地方の求める姿だと思っています。
新年の挨拶、ありがとうございます。
鬼城さんから送れた大林宣彦監督の映画も、戦争体験者の伝えておきたいメッセージが溢れていました。
激動の時代を生き抜いて来た歴史の生き証人からの命のリレー(連鎖)を絶やさないための伝言だと思いました。
エンディングの美しい芦別の四季の風景が癒されます。
「これは私宛のメッセージだ」という受信者の心を満たす充足感は(幸せな錯覚であったとしても)
本を読み音楽を聴き信仰に触れる醍醐味でもあります。
それを多くの空間や時間を越えた人々が共通して受信したのならば、
それは普遍性を獲得したことになるのでしょうね。
鬼城さんが年末に寄せてくれたコメントの言葉そのままに。
そういうメッセージを可能な限り、送信し受信してゆきたいものです。
またまた年始に大風呂敷を広げてしまいました(笑)
ちょっと考えたら二礼二拍手一礼という神社参拝の作法って、伝統的な儀礼の方法ではなかったのですね。
以下に宗教学者、島田裕己の「神社の神拝の変遷」を。
https://togetter.com/li/1185929
伊勢は8拍手、出雲や宇佐は4拍手…
二礼二拍手一礼は戦後に定められた比較的新しい作法であることが分かってきました。
参拝の作法は、自由礼拝ということで…