Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

樹霊

2017-11-26 | Walk on

 

もう一本、近郊で知られた銀杏の巨樹がある。

幹回り8m樹高31mは、県下でも屈指の老樹。

樹齢300年と云われる五本松の大銀杏よりも、さらに齢を重ねているだろう。

観音堂(川筋)の大銀杏と呼ばれる巨木は、前回のような住宅地の迫る環境とは正反対の

野生の勢いに呑まれようとしている過疎の集落の外れにあった。

長福寺跡ということは、住職のいた寺だったのだろうか?

旧金毘羅街道から一筋逸れた集落である。

昔は、それなりに往来のあった場所なのだろう。

事前に調べた情報では、樹勢のいい大振りの銀杏の画像が掲載されていた。

でも当日に出会った樹は、ほとんど色づく前に葉を散らせた冬枯れの姿だった。

おそらく皿ヶ嶺の森にも被害を及ぼした戦後屈指の規模だった台風21号の影響だろう?

折れた大きな枝も周囲に散乱している。

黄金色の輝きに包まれた老樹の姿を夢想していただけに残念。

それでも、この瘤だらけの隆々とした最早植物というよりも岩石のような佇まいに圧倒される。

数百年の時を重ねた長寿の生命体は、それだけで霊的な存在、

「樹霊」を宿しているのかもしれない。

銀杏はメタセコイア同様、生きた化石と呼ばれる古い世代の植物だ。

日本列島では氷河期に絶滅したと云われている。

現存する銀杏は中国から平安時代から鎌倉時代に入って来たものらしい。

だから銀杏の天然木は日本には存在しない。

落葉広葉樹のように見えて、実は特殊な形の針葉樹だというから吃驚。

氷河期を生き延びた人類の記憶の古層に刻まれた悠久の時の中の樹木の存在を想う。

その古い遺伝子を受け継いだ生命が目に前に圧倒的な存在としてある。

なんだか時を越えた叡智の欠片を受け取っているような気分になる…

まだ映画「メッセージ」(あなたの人生の物語)の影響から抜け切れない(笑)

(映画と原作は別物です。再読して改めてテッド・チャンの才能に驚愕しました)

大銀杏からの帰り、集落の外れから紅葉の山の向こうに雪を頂いた夕映えの石鎚連峰(おそらく瓶ヶ森)が見えた。

 


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3 コメント

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 (鬼城)
2017-11-27 08:13:28
最近、よく聞く言葉です。
魂は何処の宿るのか、ありとあらゆる物でしょうね。
陰陽師の世界とは少し異なりますが、呼び起こすには面白いかもしれません。
ランスケさんの文章は一人称で書かれています。
綿貫征四郎の世界観・・・
改めて梨木さんを読み返しました。
まさに動植物を擬人化しています。
この銀杏、何を見て、何を考えていたのか興味が湧きます。
このまま朽ち果てるのは惜しい!
地方再生大臣などと言う馬鹿な役職、現実を足で歩いて見て貰いたいですね。
まさに税金の無駄遣い。
返信する
土地の神々との交流 (ランスケ)
2017-11-27 09:41:17
これも課題としている土地の神々との交流です。(笑)
宗教以前の未分化な信仰心の現れである日本的霊性は、八百万の神々(森羅万象に宿る神々)ですからね。

地球上で最も長寿の生命体である植物の存在は、もうそれだけで人智を超えた畏怖の対象だと思います。
その中でも写真映えする華やかな彩があるのが、
春の桜と秋の銀杏です。
杉や楠の巨樹も圧倒的な存在感ですが、華やかな彩がありません。
以下に愛媛県内の巨樹リストを貼っておきます。
鬼城さんの住む南予は巨木の王国ですよ。
銀杏の巨樹も多い。
是非、土地の神々との交流を(笑)

http://www.hitozato-kyoboku.com/ehimeken.htm

そうですよね。
御指摘通り梨木香歩の描く物語世界は、私のテーマとする日本的霊性の具現化ですよね。
これからも土地の神々との交流を続けて行きたいと思っています。
返信する
何処まで堕ちれば気が済むのかな? (ランスケ)
2017-12-01 11:36:55
衆院選後に入って来るニュースは、もう常軌を逸しているとしか言いようがありません。
嘘が堰を切ったように社会全体に奔流しています。

あの選挙が最後の理性の閾だったように思えてきます。
今という時代に相応しい映画が12月から公開されます。

水道橋博士(小野正芳)‏

映画【否定と肯定】「世の中は卑怯者だらけで私はいつも不安になった。
私もその一人ではないかと。ゲーテが言っている----
--“卑怯者は安全な時にだけ居丈高になる”と」この台詞だけでも今、胸に迫る。

http://hitei-koutei.com/intro/
http://hitei-koutei.com/


歴史修正主義者や差別主義者の常套句である「両論併記」も、この映画では徹底的に粉砕されます。

まず「肯定派と否定派の二つの見方がある」という構図を作り出し、
あたかも両方の意見に一定の説得力があるかのような事実誤認へと受け手を導く手法は、
小池百合子東京都知事が関東大震災後の朝鮮人虐殺問題でとっている態度とピッタリ重なる。

KoichiroKOKUBUN國分功一郎‏ @lethal_notion

両論併記とは現代に現れた「無責任の体系」の最終進化形態であろう。
それは、実施することどころか、考えることについても責任を取らない。
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