今年も残す処あと3ヶ月となりましたね。寒暖の差が激しくなってきました。体調を崩さぬ様、後慈愛下さいね。
近隣ではヒガンバナの咲く田んぼでは稲刈りが始まりましたし、稲穂をはせがけしている田も、まだ稲穂が頭を垂れる田もあり、まだ新米が出回っていないのに新米と書かれた袋に入った米にクレームをつける客が居るとか。店側も姑息ですな。
さて、今日10月2日は国連総会で決められた、「国際非暴力デー」と云う国際デーでありますが、何故この日かと云うと「マハトマ・ガンディー」の誕生日所以です。「ガンジー」とも呼ばれていますが、ラテン文字表記では「Gandhi」ですから「ガンディー」と此処では表記します。タイトルは彼の本名で、「マハートマー」とは「偉大なる魂」と云う意味で尊称です。
「ガンディー」は恐らく丸い眼鏡の写真が象徴的でしょう。なんだかアジアなら何処にでも居そうなおっさんであるが、心が澄んだ人の笑顔はチャーミングである。インドをイギリスの植民地から独立させる際に、「敵が殴ってきたら、進んで殴られよ。撃って来たら、昂然と胸を張って撃たれよ。但し、こちらから相手の血を流す様な行動は絶対するな!」を捉え、非暴力主義と誤解を生むが、「非暴力、不服従」である。
さて、インドと云うと「西遊記」では天竺と呼ばれ、仏教発祥の地でありますが、今はヒンドゥー教が多数を占めています。イスラム教と喧嘩別れし、隣国パキスタンとは諸問題を抱えていますが、「ガンディー」はそのインドとパキスタンの分離独立に対し、断食で身を挺してそれを防ごうとしました。「ガンジー」と云う映画でこう云うシーンがあります。
断食をしている「ガンディー」の元へ1人のヒンドゥー教徒が来て、武器を捨てる事を約束し食べ物を差し出し「貴方を死なせたくない。自分の子供がムスリム(イスラム教)に殺された。だから、自分もムスリムの子供を殺した」と告白。「ガンディー」はこう言う。「地獄から抜け出る道が一つだけある。子供を拾って来て育てなさい」と、続けてこう言う。「但し、ムスリムの子供だよ」と。
そんな宗教戦争の中、「ガンディー」はムスリムに譲歩しすぎるとヒンドゥー教徒に暗殺されてしまいます。その絶命直前に自らの額に手を当て、イスラム教で「貴方を赦(ゆる)す」と云う意味の動作をしました。
彼の言葉を借りると「弱い者は赦す事が出来ません。赦しとは強い者の性質なのです」と云う「ガンディー」は強い、偉大な人でした。
彼は「愛」についても語っています。「人類が絶えず愛の掟に従って来たかどうか私は知らない。しかし、それは私の邪魔にはならない。愛の掟は丁度重力の法則の様に働く。我々がそれを認めるかどうかには関わりがない。愛の掟に気付いた人は、我々の今日のどんな科学者よりも偉大な学者だろう。単に我々の探求がそこまで十分に行き届いていない為に、誰にでも愛の法則が働くのを理解出来る様にはなっていないのだ」
続けて、私が同感する彼の言葉を少し紹介。
「地球は全ての人の必要を充足せしめても、彼等の欲を満たしきる事は出来ない」
「国の偉大さ、道徳的発展は、その国に於ける動物の扱い方で判る」
「明日死ぬかの様に生きろ。永劫永らえるかの様に学べ」
「何かを信じておき乍らそれに生きない。それは不誠実と云うものだ」
原子力発電は安全だと言い乍ら、それを担保しない。それは不誠実と云うものだ。
再生可能・自然エネルギーとは聞き心地、環境に良いと云うイメージを持つのだろうけれど、ウランやプルトニウムだって自然にある物だ。ガボン共和国のウラン鉱床が有名かな。海外では心臓ペースメーカーの電源としてプルトニウムを使っていたのも極最近までだしね。岩手の松を京都五山の送り火として使用するのを嫌い、福島県産の花火を嫌い、福島ナンバーの車を嫌うけれど、それならウラン劣化弾を使われたイラクや、ガボン共和国の人々も、心臓ペースメーカーを使っている人も入国禁止かな?
最後に「ガンディー」の言葉で締めくくろう。
「臆病な者は愛を表明する事が出来ない。愛を表明するとは勇敢さの表れである」
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