goo

炭坑の街

このページでの報告は、炭坑の街、芦別・赤平地区です。写真は芦別のリゾート施設「北の京(みやこ)芦別」の北海道観音から見た芦別の街です。
         
ここは、札幌から旭川とのほぼ中間点の山間に開けたかつての炭坑で賑わったところです。最盛期の隆盛を語るかのように、五重の塔や観音様、宿泊・宴会リゾート施設が建造されています。現在は、やっと維持されているといったところでしょうか。ゆく末も心配です。
 

大正のはじめ頃から、この辺りの鉱脈が注目され、住友や三井といった財閥がこの空知地区に炭坑を開発していったのです。

住友赤平炭坑立坑の概要

 
 
平成6年に全面的な閉山になり、数万人の居住住宅地は閑散として、草地が広がっています。
芦別、頼成地区
             
この中央の道路は、ある寺院から続く道ですが、以前は両側は住宅がぎっしりと建ち並び、賑わっていたそうです。
この反対側には、立派な寺院だけがポツンと残されています。
      芦別、Z寺様
この寺院は、炭坑の賑わいと共に、昭和24年に創立され、僧侶一家が移り住みましたが、長男は大学で学者の道を進み、現在A大學の著名な教授だそうで、弟さんが住職を務められています。閉山とともに、ご近所の檀家さんも市街地に移住され、寺の行事の折にはバスをチャーターして送迎するのだそうで、大変な努力です。

過疎化は進み、周辺の住宅地は消えていくものの、駅がある市街地は、建物も立派に残り、往時の面影を残しています。
中央拡大
JR赤平駅は、街の中心施設として駅に公民館や医療施設が集中している

 新しい地を求め、開拓して街をつくり、人々の宗教的安寧をはかるために布教所を開設し、寺ができ、産業の衰退と共に人口は減少するが、残る人がいる以上、寺の灯を消すわけにはいかない。そんな思いをこの空知地区の寺院を訪ねて感じました。

赤平駅前のメイン道路

 寺請制度のない、信仰のみを中心とした寺院との絆は、細くてか弱いもののように思えましたが、実は芥川龍之介の小説「くもの糸」のように、決して切れることのない堅牢なものなのかも知れません。

 しかし、その絆を維持する努力は大変なものです。住職は毎日必ずどこかの家を回る毎月の「月詣り」がありますし、各家では、毎月のように法要や行事で寺に集まってきます。特に冬の時期は大変です。
北の寺院に学ぶことは多いのです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 北海道の寺院活動 北海道の花々 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。