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ネット坐禅会・43・・・『般若心経』の世界❽智慧と慈悲の経典

改めてこの経典を考察してみたいと思います。

このお経は、唐の時代の玄奘が訳したものが有名ですが、すでにその200年ほど前に、鳩摩羅什という僧も訳していて、実は、ほぼすべて同じ訳文になっているのです。大きな違いは2つあります。

①題名が、鳩摩羅什訳は「摩訶般若波羅蜜大明呪経」、玄奘訳は、「般若波羅蜜多心経」である。

②冒頭の菩薩名が、鳩摩羅什訳は「観世音菩薩」、玄奘訳は、「観自在菩薩」である。

 つまり、鳩摩羅什訳は「大明呪」という真言、祈りの経典の意味合いを強めた題になっていると言え、玄奘訳は悟りの智慧の神髄、大切な「空」の論理を説く経典の意味合いを浮き彫りにしたものと言えます。その性格の違いは、②の菩薩名にも反映しています。鳩摩羅什訳では、世の人々の苦しみ悲しみの声に耳を傾け、寄り添う「観音様」の慈悲の精神が前面に出ている菩薩名と言えます。一方、玄奘訳は、自らの中にある本来の仏の姿を、自らの実践行動によって達し得た「観自在菩薩」としての般若、つまり「智慧」の意味合いを強めて訳されたと言えます。

 前者は他力、帰依、祈り(本文では後半重視)のお経として密教経典に分類されてきました。後者は自力、自らが仏となれる空観の智慧(本文では前半重視)の経典とも言われています。そのため、前者の意味合いからは、真言、浄土、密教系の宗派の主要経典として位置付けられ、後者は、禅宗系の宗派で重要視される経典として受け継がれ、研究されてきました。しかし、両者は全く別の考えというものではなく、両者の性質を補完しあって、この経典が読み継がれて来たところに優れた特徴を持っていると言えます。

構成をふり帰りますと、

  1. 観自在菩薩(観世音菩薩)が、

     ⇓  人への施し(布施)の心を持ち

     ⇓  人として守るべきことを守り

     ⇓  我慢して耐え忍び

     ⇓  たゆまぬ努力を続け

     ⇓  心穏やかにして人間の本来の姿を現ずる

 ここで、智慧の実践を述べるが、具体的な上記のような記述は無い。布施~禪定など六波羅蜜の徳目などは、他の般若経典の記述にある。

  以上のような悟りに至る人として大切な行いを実践することにより(智慧)

   2. 世の現象(色)やそれによって生ずる(受~識)は、(五蘊)                        

    すべて空虚(無常・無我・実体がない)と、判る (皆空)

    ここで、般若(智慧)として悟り得たことが、「空性」であることを表明して「空」の論理を展開する。もともと、無我・無常・縁起として広まっていた仏教理念の大乗的な解釈で、智慧と慈悲の教義としてのスタートと言える。

   3. そして、空の本質(生滅・増減・垢浄などが存在しない)を説明

ここで、空のニュートラル・フラット・無分別・ゼロからの出発・あるがままの世界を説く。

        4. この後、仏教の基本的な教理が挙げられるが、これも「空」と説く

ここで大切なことは、四諦、十二因縁、十八界(六根・六境・六識)などの迷いの構造が「空」であると説明しながら、このような無常・縁起・皆苦・涅槃などの教理の存在を提示しているところが大切で、具体的内容は省略されていますが、何故、悩み多い人生なのかの奥深い教えが潜んでいるのです。

        5. 後半は、菩薩の慈悲心によって、安らぎの道へと導いてくれ、(心無罣礙)

    6.  その威信力は例えようも無く素晴らしく、信じて念じて生きましょう。 (是無等等呪)

       7.  そしてみんなの幸せを祈りましょう。(菩提薩婆訶・ボージーソワカ)

以上、『般若心経』とは、「智慧」と「慈悲」の祈りと実践の教えなのです。

         『般若心経』の世界(リモート坐禅会講話) 完         

 

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
ネット座禅会、ありがとうございます (津島 守)
2021-02-01 15:27:01
 ネット座禅会1~43(坐禅、曹洞宗、修証義、般若心経)について、読ませていただきました。
益々、仏教(坐禅・曹洞宗、般若心経)が好きになりました。
 このコロナ過在宅において、ふだんと少し違う時間にまかせ、形而上学的な思考を楽しむ中で、大変、有意義な勉強ができました。
 
 
 
→津島さま (tera)
2021-02-03 17:46:33
コメントありがとうございます。いつもご丁寧に返信いただいたり、近況、感想を寄せていただき感謝します。大変励みになり、コロナ禍のリモートワークにも意欲が湧きます。
 
 
 
質問します (津島 守)
2021-02-06 11:49:09
すみません、質問があります。9行目の文章です。「つまり、玄奘訳は---」のところと、もう一か所12行目の「玄奘訳では、世の人々の---」のところの玄奘訳は鳩摩羅什訳ではありませんか?
私の解釈がおかしければ、教えてください。
 
 
 
→津島さま (tera)
2021-02-07 21:18:01
ご指摘有難うございます。大変な間違いでした。コピーして氏名を使っていて取り違えてしまったようです。同じ氏名で対比させていて、本当に初歩的なミスですみません。
訂正させていただきました。
 
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