「霊の世界は閉ざされてはいない。汝の官能が塞がり、汝の胸が死んでいるのだ」
牧師のそんな言葉も、死刑囚には何の意味もなく、まして感動は与えない。
否、安らぎを与えられるまでもなく、死刑囚の心は落ち着いていた。
その落ちつきは、己以外の人間に対する軽蔑からくる、ある種の快感のようなものだった。
「人生の紙くずを縮らして飾り立て、それでピカピカ光っている演説なんてものは、秋の枯葉の間をざわめく、湿っぽい風のように気持ちの悪いものだ」
早くやめてくれと言わんばかりの死刑囚の顔には、牧師以上の何かが、神から授けられたようだ。
或いは、死神のとり憑いた死刑囚への、最後の贈り物かもしれない。そして今、ついぞ今まで信じなかった神の存在を、死刑囚は意識せざるを得なかった。
間もなく訪れる 十時十分。
執行時間は、すぐそこに足を運んでいた。
「おゝ、あふれる月の光よ、おまえがわしの苦痛を見るのもこれが最後ならよいが。わしはいくども真夜中、この机によって
寝もやらず、お前の出るのを待ったものだ」
死刑囚は、改めて死にとりつかれた。
もうすぐだ、もうすぐだ、考えまい、思うまい、
……しかし、死に対する観念は膨らんだ。
死刑囚の心の動揺は形容しがたい。
激しい恐怖の念にかられたかと思えば、次の瞬間まるで神の如くに、狭い窓の中に夜空を迎え入れていた。
その安らかな顔には、死への恐怖感が微塵もなく、そしてまた生への執着心もない。
「風琴をむだに鳴らさないでくださりませ!
施しをなさって初めて楽しくなります」
死刑囚の食べ残しを漁る鼠は、体全体でそう告げた。
死刑囚は鼠の頭を撫でてやりたいと、猛烈に感じた。
油に汚れたこの手が今、なんと素晴らしいものに見えたことか。
「一つははげしい愛欲をもってからみつく道具で、現世にしがみついている。
もう一つはむりやり塵を逃れて、高い霊どもの世界にのぼろうとしている。
天と地の間を支配しながら働いている霊どもが大気の中にあるなら、金色のもやの中からおりて来てわしを新しい華やかな生活へ導いてくれ」
ゆっくりと扉が開いた。
(背景と解説)
始めに、お詫びをしておかねばなりません。
掲載することを止めようかとも考えましたが、好きな一節でもありお詫び文を載せることでなんとか、と考えた次第です。
「」内は、たぶん引用文で、
ゲーテ作「ファウスト」だと思います。
さてさて、背景です。
この頃の日記には、二日か三日に一度は「死」という言葉が出てきます。
といって、自殺を考えていたとは思えません。
そもそもが自殺を考えるタイプではないと、自分では思っていますから。
モラル面とかそういつたことではなく、どこまでも、自己中心的な面からです。
「地獄に落ちたら……」
実はわたし、あの世の存在を信じています。
ですので、当然のごとくに、地獄という存在もあり得るのではないかと、考えています。
いえいえ、なければそれにこしたことはありません。
ですがもしもあったとしたら、そして自殺という行為は決して許されることではなく、無間地獄へと落ちることになれば……。
そう考えたら、とてもじゃないですが、できません、
ええええ、できませんとも。
わたしは、とにかく、弱い人間ですから。
人間というものに、すがりにすがって生きていくしかないのですから。
そのくせ、すがりきることに恐怖感を感じてしまうのです。
この作品を具現化したものが、[ブルーの住人]シリーズ:第六章 蒼い情愛~はんたー~です。
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