昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~ (四百二十九)

2024-06-25 08:00:53 | 物語り

 部屋の照明は落としたまま、ベッドぎわの灯りだけを点けた。
上向きの灯りは、うす暗くはあったが落ち着いた雰囲気で、気持ちも和やかになってくる。
ふとんの中に入れと、小夜子を迎え入れた。
しわになりにくい素地の服だということで、小夜子も久しぶりに武蔵に触れられるとウキウキしてくる。
しかし武蔵の体を感じたとたん、あまりの痩身ぶりに驚かされた。
たしかに腕にしろ足にしろ、細くなっていることは見ていた。
が、直接に小夜子の体全体で感じる物とは異質のものだった。

“こんなに痩せ細ってるの? ううん、だいじょうぶ。退院したらしっかりと栄養を摂らせるから”
 小夜子のそんな思いを推し量ってか、
「小夜子。病院食ってのは、精進料理そのものだな。
まるで脂っ気がないぞ。ああ、中華そば食いたい、ステーキもがっつりといきたいぞ」
と、両手を合わせてお願いポーズを見せた。
「分かったわよ、わかった」と、武蔵の手をふとんの中に収めたとたんに、
“やっぱりだわ、熱がある。勝子さんと同じだわ。
良くなったと思ってたのに、あのあと……”
「あなた! しっかりと治療を受けてよ。武士が一人前になるまで、しっかりと」
 母親が子どもを叱るように、ひと言ひと言に力をこめた。

 武蔵はそんな小夜子のことばには答えずに、淡いベージュ色の天井を見つめたまま
「おまえ、ピグバンドが好きだったな。そのなかで、どの楽器が好きだ?」と、唐突な問いかけをした。
「トランペット!」
 間髪を入れずに答えた。なにか重大な意味がありそうにも思えるし、
“ひょっとして、性格占いのような本でも読んだ? それとも、自己啓発本のようなこと?”
と、疑問が湧いてくるけれども、ただ単に話のとっかかりなのかとも思える。
「そうか、思ったとおりだ。だから俺に惚れたんだな。
俺も名、トランペットだ。というよりも、俺自身がトランペットなんだよ。
トランペットを目指したんだ。意味不明か? 
突撃隊長だ、猪突猛進だ。なにがなんでも、前に行く。
未来を明るく照らして、他の楽器を引っぱるんだ」

 手を宙に舞わせながら、ことばが止まらない。人差し指を唇にあて、他の指を両手の指を上下させながら、「ぷっぷっぷっ、パッパッパラパ」と声を出す。
「前に、まえに、だ。大きな音をひびかせて、静寂なんてしったことじゃない。
とにかくやかましい。やかましいけれども、気分が盛り上がるんだ。行け、いけ、いけえ! だ。
俺はそうやって生きてきた。
小夜子。お前には寂しい思いもさせたな。人混みがだめな俺は、いつもお前を放り出してしまった。
小っちゃい頃にな、押しくらまんじゅうをした。そのときに、体が小っちゃかった俺は、いつも悪ガキどもにいじめられた。
軍隊では、二枚目の俺をにやけた奴だと、またやられた。
役者連中といっしょに、厠に閉じ込められたこともあった。
それらが思いだされるんだよ、人混みに入っちまうと」
 これまでの武蔵の人生を振り返るがごとに話す。
俺を覚えておいてくれ、俺という人間を知っていてくれ、そう言わんばかりのことばの羅列が、小夜子の胸をえぐる。



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