昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

ボク、みつけたよ! (三)

2021-09-18 08:00:41 | 物語り
わたしには兄が一人居ます。父親は平成七年に死去しています。
母親は多分ですが他界しているでしょう。多分というのは、両親は離婚していますので。
父親に育てられて、母とは音信不通です。
中学二年の冬でした。母が家出してしまい、そのまま帰らずです。
大正14年生まれです。ですので多分他界しているでしょう。

兄は、わたしの子ども二人を除けば、唯一の肉親です。
言い忘れていました、わたしもまた離婚をしています。
子どもたちとは恥ずかしい話ですが、現在は音信不通です。
正直、良い父親とは言えません。
経済的にも苦労をかけましたが、何より父親としての愛情を注ぐことに失敗した気がします。
わたしのidentity 確立失敗に関わることなのですが。

 唐突ですが、お尋ねします。
あなたは、愛情を信じられますか? 感じられますか? お持ちですか? そもそも愛情とは、なんですか? 
辞書には、明快に書いてあります。
「好ましく思うこと、慈しむこと」。
「ありのままの相手を受け止め、成長を願うこと」と表現されている方もみえました。

わたしにしても、子どもを好ましく思い、慈しみたいと願い、健やかに成長してくれることを願いしました。
ですが、いつの時もいつの場でも、先ずは自分が一番でした。
いえ、食べるとき、観るとき、触れるとき、殆どのことにおいて、子どもを優先させました。
子どもの意思を確認してから、動きました。

 でも、でも、なにかがありました。その前に、いつもなにかがありました。
どう表現すればお分かり頂けるか、非常に悩んでいます。
「子どもを第一に考える」。それは実践をしました。
甘やかしたつもりはありませんし、なんでも言うことを聞いてきたわけではありません。
第一、子どもが、わたしを一番に考えていましたから。

そう! そうなんです! 
それこそが、「なにか」だと思います。
わたしがそうでした。父母に対して、どうしても超えてはいけない一線を感じていたのです。
貧乏だからわがままを言えなかった? 
共働きで朝から晩まで働き続けていたから甘えられなかった?

 確かに。確かにそれはあった気がします。
でも、そんなことは枝葉末節でしょう。
では。ではなにが。なにがわたしを押しとどめたのでしょうか。
そしてそのなにかが、わたしの子どもたちにして、わたしを一番に考えさせるようになってしまったのでしょうか。

なにに脅えさせてしまったのか。
暴力的なことは一切していません。妻に対しても、一度たりとも手をあげたことはありません。
口汚く罵ったこともありません。一番辛い、一番堪えることー無視をしたこともありません。

ただ、稼ぎの悪かったわたしのせいで、貧乏生活をさせてしまいました。
「嘘を吐かれたことが辛かった」。責められました。
確かに吐いた覚えがあります。でも……。
まあ今さらどんな言い訳をしても、詮ないことです。
いえ、その言い訳の中に、また嘘が混じるかもしれません。


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