昭和の恋物語り

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長編恋愛小説 ~水たまりの中の青空~(十五) 懐かしい声だった

2015-07-26 10:55:56 | 小説
「はい、山田です。」
懐かしい声だった。甲高く、言葉一つ一つが明快に区切られて、時として脳の神経をチクリと刺す声だった。

「貴子さん、ですか? 僕、、」
「たけしさん? たけしさんね。久しぶり! 雪枝から連絡があってね、待ってたのよ。嬉しい! 
ねっ、今どこ? バス停を降りてすぐの、たばこ屋さん? うん、分かった。すぐに行くから、待ってて」

貴子の弾んだ声を聞いた彼は、体がカッと熱くなるのを感じた。
“来て良かった。いいさ、あのことは聞かずにおこう”
受話器を置くと、手の平に汗をかいていた。鼓動の高鳴りが、激しく耳に響いている。

「貴子さんって言うと、あの山田さんちの、貴子ちゃんかい?」
人懐っこそうなお婆さんが、彼に微笑みかけてきた。
「えっ? はい、そうですが」

「そうかい、そうかい。あの娘は、良い子だよ。
こんなお婆の話し相手になってくれるような、心根の優しい娘だよ。
大事にしてあげてな」
「はい、わかりました」
別れた女性なんですと言える筈もなく、苦笑いをしながら答えた。

「ごめんねえ。お待たせえ! あっ、お婆ちゃん、こんにちわ。
どう、膝がまた痛むんじゃない? 雨が降りそうだからさ」
「あゝ、ありがとうねえ。少し痛むけどねえ、今夜先生ん家に行くつもりさあ。お灸を据えてもらうわさあ」
祖母をいたわる孫娘のように話しかける貴子は、彼の知らない貴子の一面を見た思いがした。

“こんな素敵な女性を、どうして僕は‥‥”
後悔の念が、彼を襲った。
屈託のない笑顔を見ると、あの噂はやはり嘘だろうと、思えてしまう。
「お婆ちゃん、またね。たけしさん、じゃあ行こうか」

連れだって歩きながら、貴子は含み笑いをもらした。
「うふふ。着てくれてるんだ、このジャンパー。良く似合ってるよ。
これなら、人混みの中でもすぐに見つけられるね。
でも、どういう風の吹き回し? ひょっとして、誰かにふられたのかな? 
あっ、ごめんね。たけしさんが、ふられるわけないか。
でも、嬉しい。ねっ、腕組んでもいい? 
うふふ、昔に戻ったみたいで幸せだわ」


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