昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (二百十二)

2022-03-29 08:00:03 | 物語り

 しかし嬉々とした表情を見せる武蔵――はじめて見る屈託のない笑顔の武蔵に、小夜子もまた嬉しくなってくる。
ワイシャツの袖をまくり上げて、ふーふーと熱い中華そばをかけ込んでいる。
「中華そばってのはな、上品に食べたんじゃ、ちっともうまくないぞ。
こうやって、ずーずーと吸い込むんだ。このスープが飛び散るくらいに勢いよくだ。
小夜子もやってみろ、くせになるぞ」

 一本二本を口に入れていたのでは、おいしいとは感じない。
不満げな表情を見せている小夜子に、武蔵の指南が飛んだ。
周りを見ても、皆が皆ずーずーと音を立てている。
いかにもうまそうに食べる武蔵に、額に汗をふきだしながら食べる武蔵に、憎らしささえ感じてくる。
「どうした? 食べさせてやろうか、小夜子」。突然に小夜子のとなりに移ってきた。

「いいわよ、食べるから」。もう子供じゃないの! と言わぬばかりに、勢いよく吸い込んだ。
口の中にひろがるはじめての味、そして食感。
スープが鼻に飛びついた。熱さを感じるものの、飛び込んでくる香りがうまさを引き立てる。
「おいしい!」。思わず口に出た。
「そうだろう、うまいだろう。日本人と言うのは、ほんとに天才だぞ」。
まるで自分が料理したかのごとくに、武蔵の講釈がつづく。
よその国の料理だろうとなんだろうと、こうやって日本人好みに作り変えてしまうんだからな」

 ひと口ふた口と進むにつれて、小夜子にも勢いが出てきた。
「うまいだろ、なあ、小夜子。ビーフステーキもいいが、こういうのもいいだろう」
 すこしだまっててと言わんばかりに、小夜子が武蔵をにらみつける。
おつにすませて食べることなく、ずーずーとかけこんでいく。
そんな小夜子の食べっぷりを見て、ひとり悦に入る武蔵だ。

“キャバレーでの小夜子とはまるで違う女になったな。
いや、鼻っ柱の強さだけは変わらないか”
 一年と経たぬのに、小夜子の変貌ぶりは武蔵の想像を超えるものだった。
もう田舎娘といった雰囲気はなく、かといってこの都会にとけこんでしまってもいない。

「新しい女になるの!」。なにかといえば口にする。
男にかしづく女にはなりたくない、自立した女になりたい。
そしてそのためにもと、好奇心をかくしたりしない。
そういえばこの店に女性はいない。
暖簾をくぐったときには「なんだ、この女」「女の来るところじゃねえぞ」と蔑視された。
それでも、逆にキッとにらみ返した。

“自分をごまかしたり、飾ったりすることはなくなったか。
アナスターシアだったか、あのモデルのおかげかな”
“そのモデルがこの世から居なくなったことで、自分を失いかけたが、もう大丈夫なのか、小夜子”
“ほんとに、俺の宝物になってくれるか。精いっぱいのことはしてやる。
おじいさんも含めて、丸抱えしてやるからな”
 いま改めて、小夜子に誓う武蔵だった。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿