(九)走る時間だけがある
新一はいつも言う。
「机上の論理をこねまわしてちゃだめだ。
その前に、動いちゃえ。
若いんだ、行動あるのみだ。
青春時代には、考える時間なんてないんだ。
走る時間だけがある」
この新一の論理には、一もニもなく賛同した。
そしてつねに行動することを意識して、そう、走りながら考えることを実行した。
と、新一に微妙な変化があるように感じられはじめた。
思い過ごしなら、それはそれで結構なことだ。
むしろその方が嬉しい。
しかし皮肉めいた新一のことばが気になるこのごろだ。
新一流の人の分け方――愛と憎悪のどちらに位置するか――で判断するに、いまの新一は憎悪側に傾いたのか?
愛に位置する人というのは、余力を持って人と相対しているわけだ。
憎悪の念がつよいというのは、こころが荒んでいる――ふくらみすぎている――そういうことだろうか。
たしかに、以前の新一はわたしを見くだすようなところがありはした。
*訂正
申しわけありません。
英語力のなさで、ミスしました。
サブタイトルを
「マーダー(murder)」とします。