昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (百四)

2021-06-15 08:00:29 | 物語り
 なぜ愛人で留まらせているのか、武蔵にも腑に落ちない。
仕事は他の誰よりもできる。無茶な要求をしても、手早く処理ができる。
裏切るのではといった思いは一切感じない。
信頼もしている、しかし信用ができなかった。

仕事を辞めさせて家庭に入らせても良かったのだ。
家事一般についても、満足とまではいかなくても――いや、苦手なことならばお手伝いを雇えばいいのだ。
世間一般でも、お手伝いのいる世帯は多い。
職業として認知されているし、花嫁修業の一貫として考える娘たちも多かった。

聡子の容姿については申し分ない。
外で連れ立って歩いていると、すれ違う者たちの殆どが振り向いていく。
色気があり過ぎるとしても、他の男に気を許す女ではないし、そうさせない自信が武蔵にはある。
ではなぜ? それを考えることのなかった武蔵だった。

 口述筆記をさせていた文書を途中で読ませろと言ったことがある。
タイプをしていないからと嫌がる聡子から、無理矢理取り上げたことがある。
そしてその文書を見たときに、どうしてなのか嫌悪感を感じてしまった。

走り書きされた文字が、武蔵を苛つかせた。
読めないわけではないが、ピョンピョンと跳ね回るような文字に、武蔵には聡子の正体が現れているように感じられたのだ。
気分屋の観はある。喜怒哀楽を隠すタイプではない。

といって、それほど気になるほどではない。武蔵自身もそうなのだ。
ただ集中力には、武蔵は自信がある。
何かに没頭しているときは、一切のことが耳に入らないし感じることもない。
部屋にひとり籠もることも珍しくない。

「たまにはわたしのために時間を作って」。
そう言われると怒りだすことの多い武蔵だ。
『男にとって、エゴが生命の素だ!』それが武蔵の口癖だった。

 強さの対極に弱さがあるように、傲慢さの陰にもろさが隠れている。
それを認めたくないがためにも、常に貪欲で牙を剝いた狼でなければならない。
そしてそれが武蔵の場合には、エゴという形で噴出していた。

 朝鮮特需の好景気が去り、中小企業の倒産が目立ち始めてきた。
順調に業績を伸ばしていた富士商会にしても、少なからず影響を受けた。
しかし先年の教訓を活かした武蔵の手腕と共に、新しい販売方法のお陰で軽微なものに済んでいた。

といって武蔵の気性からして、焦げ付きを黙然と看過する訳ではなかった。
容赦ない債権回収は相変わらずで、夜中にトラックで乗り付けては品物を引き上げにかかった。
“富士商会の引き上げ後には、ぺんぺん草も生えていない”と、他社から怨嗟の声が上がったのも、一度や二度ではなかった。

しかし、情け容赦ない回収ばかりではなかった。
再生の見込みがあると判断した折には、他社の債権を肩代わりすることもあった。
それもあって、富士商会との取引を望む問屋は引きも切らなかった。
“富士商会が取引している問屋ならば、安心だ”。そんな声もまた、聞かれていた。

 久しぶりの銀座だったが、界隈の人通りもめっきり少なくなっている。
頭上のネオンが醸し出す匂いを嗅いでみたくなり、途中でタクシーを降りた武蔵だった。
いままで見ることのなかった店外での女給たちの呼び込みに閉口する武蔵は、足早に歩いてキャバレーへと逃げ込んだ。
「社長! あたい達を殺す気かい!」。梅子から思いっきり背中を叩かれ、手荒い歓迎を受けた。

「いゃあ、すまん、すまん。貧乏暇なしでな、飛び回っていたよ。今夜は、罪滅ぼしに、パッと騒ぐ」
「ホントだね? 女給全員を呼ぶよ、社長の席に」
 満面に笑みを湛えて、梅子が武蔵にしな垂れかかってきた。
梅子のそんな仕種は、ついぞないことだった。

光子のことを知っているのか? 一瞬たじろぐ武蔵だったが、別段知られたからといってなに事もない。
第一、光子との間に男女関係は生まれなかったのだ。
梅子がそうであるように、光子もまた、ある意味戦友のようなものなのだ。





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