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昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

愛の横顔 ~RE:地獄変~ (三十三)あちこちから、女性の声が

2025-03-19 08:00:18 | 物語り

 あちこちから、女性の声が飛びはじめました。
こういってはなんですが、一般的に婦女子というのは……。
いえ、これは失言でした。男もまた、うわさ話は好きです。
とくに下ネタとなると。いやこれも失言です。
で聡子さんは
「いえね、さっきのご老人のお話でね、その、合宿先で……」と、ことばを濁されます。
と、みなさん一様に口を手でおさえて、黙られました。

「ああ、湖畔でのことですか? なにごともありませんでしたわ。
ただ念のため、そういうことでございます」
 それまでは涼やかだった小夜子さんの表情が一変しました。
苦痛に歪んだ表情で、ぐっと唇をかみしめられています。
いかにも「余計なことを」と言わんばかりでした。
みなさんは聡子さんに視線がいかれていましたので、おそらく気づいたのはわたしひとりだったろうと思います。

しかしすぐに、すこしの口角をあげて「では、ごきげんよう」と、小夜子さんは静かに立ち上がられました。
なにぶんにもデリケートなことであり、それ以上の詮索はありませんでした。
ところが廊下の方に体を向けられたまま、
「もうひとつございましたね。
なにやら良からぬ悪しきこと、あり得ないことを話していたようですが。
お式前夜のことは、すべて正夫の妄想でございます。
あのようなこと、ありません。起きようがないではありませんか!」

 語気するどく告げられました。
「お式前夜のことなど、あれは、まったくの、正夫の妄想です。
ですので、けっして他所さまで口にされませんように。
恥をおかきになるだけでございますから。
あんなボケ老人のことばなど、どなたもお信じになられまいと思いますが。
妙子の名誉のためにも、ひとこと付け加えさせていただきます。
それでは今度こそ、本当に失礼いたします。ごきげんよう」

 すこしの笑みをたたえられての口上でしたが、けっして目は笑っておられませんでした。
柳の下での怨みがましい白装束姿、お定まりの幽霊図です。
哀しげな色をたたえられていたそのお姿は、まさにそれでした。
「お式前夜のこと、まったくの正夫の妄想です」
 ただただ、そのひと言を告げんがための、本日この場へのお出まし、そう思えるのです。

いかにもとってつけたような、念のために、といったものでしたが、くどくどとなん度も言われますと、かえって疑念が……。
いえ、やはり、小夜子さんのおっしゃるとおりでしょう。
このひとことを言わんが為の、あの世からのお出ましなどとは、とうてい思えぬことです。
あくまで、足立三郎さまとの純愛を語られに、ということだと思うのでございます。

 なににしましても、小夜子さんが去られて「やれやれ」といった声があちこちから上がりました。
まあ、いちばんに安堵されたのは松夫さんでしょうが。
 なかなか寝付けぬ今夜です。
きょういち日のことを思いだすに、己をあそこまで悪女ぶられた小夜子さんの心情を思いますに、愛というものの奥深さが、なにか空恐ろしく感じられたものです。  (了)
                                



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