昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (三百五十三)

2023-05-18 08:00:05 | 物語り

「世の妻帯者の三割が、十分な金を稼いでいるはずだ。そして家族にぜいたくをさせている。
しかし俺のように、細君にたんまりの金をつかっている、つかわせている夫は一割にも満たんぞ。
どうだ、残りの九割の中に入りたいのか?」
「そんなの、嫌!」
「だろう? 心配するな、俺は浮気なんぞしていない。
もう昔みたいな、女遊びはしていない。そうだ、梅子に聞いてみろ。こんど連れていってやるから聞いてみろ」

 映画館で観たチャップリンのように胸をそらせて言う。
“また、ごまかされた。でも、いいか。
たしかに、香水の匂いをさせて帰ってくることはなくなったし。
出張先でといっても、そんな時間もないでしょうし”
疑念の気持ちは残るものの、これ以上追求したところでいいことはない。
そう考えて矛を収めることにした。

「タケゾウ!」
 突然にすっとんきょうな声を上げて、小夜子が立ち止まった。
「どうした? なにか、欲しいものを見つけたか? 約束だから、なんでも買ってやるぞ。
小夜子のおかげで商売も順調なことだし」
「ここ、ここ、ここに入ってみたい。
歌声喫茶、カチューシャですって。カチューシャって、ロシアよ。アーシアの国よ」
 目をかがやかせて、武蔵の手を引っぱる。

 昭和30年に、歌声喫茶「カチューシャ」と「灯」の二店が誕生した。
店内のお客全員でうたうということが、連帯感を生まれさせてくれる。
集団集職で上京してきた若ものたちにとって、さびしさを紛らわせる心のよりどころ的な存在になっていった。
「ああ、楽しかった。みんなで歌うって、素敵ね。
それに大きく口をあけるのも、こころが開放されるわ。竹田も、そう思わない?」
 うっすらと汗をかいている小夜子、十分に満喫している。
「はい、そうですね。気持ちいいです。ですが小夜子奥さま、そろそろお帰りにならないと」。
陽の落ちた時間が気になる竹田だ。小夜子のお供をおおせつかって、もうふた月が経つ。

 取り引き先のあちこちから引っぱりだこの小夜子は、夜の接待にもかりだされている。
当初こそ、ビッグバンドの演奏が聞けると大喜びだった小夜子も、接待の何たるかを知るにつれて不きげんになっていった。
しかし他の女子社員たちの目もあって、にこやかな対応をしなければならない。
これまでのように、好き勝手はできない。朝の出勤時間も、次第しだいに早くなっていった。
いまでは、武蔵と同時刻に出社する。
「無理するな、遅くてもかまわんぞ」と武蔵がいっても、
「いいの。みんなとわいわいおしゃべりするのが、楽しいから」と、小夜子の意思でしている。
さすがに夜の接待の翌日は昼の出社としてはいるのだが、武蔵はふだんどおりに出社していく。
「ほんと、タフなのよね。それだけが、とりえかも?」



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